快い日々を生きる No.25 渡辺照子
母が職人さんへのお茶出しをする理由
夫が3年間単身赴任している間に、自宅は完全に私一人の仕様になってしまった。任期を終えて夫が戻ってくることになり、いったいどのようにこの空間で二人で暮らしていくのかと考えあぐねた結果、私は仕事場を、二所帯住宅のもう一つの家の方に完全に移転することに決めた。
これまで懇意にしている大工さんにリフォームをお願いした。畳敷きだったところに床を張ってもらい、壁紙を張り替え、カーテンレールも付け替えてもらうという内容で、三日間作業に来ていただいた。
さて、私の父と母は、50年以上前に、二人で事業を始めた。事業といっても最初は、焼き肉食堂、次に民宿、次に旅館、温泉棟の建築と何回も建築の施主となった。そうだ、自宅の建て替えもやった。建築が行われる度に母が大工さんに、10時と3時に必ずお茶をお出しするのを見てきた。❝なんでそこまできっかりしっかり心込めて❞お茶を用意するのか私にはこれまで理解できなかった。理解できなかったけれども、いざ自分が大工さんに仕事をしてもらうとなると、母の真似をしてお茶の用意をする。
用意するのは、市販のお菓子であることもあるが、手作りの漬物やおやつである。毎回同じものにならないよう変化をつける。飲み物も、日本茶のほかに紅茶やコーヒーを準備する。お茶を飲んでいただく場所も、飲みやすいようにテーブルや椅子を整える。(戸外で飲んでもらうこともあるが、テーブルや椅子の代用品を準備して、とにかくしっかり休んでもらえるように整える。)
お茶の時間の機能というのは、一番は職人さんに休憩をとっていただくことで、作業をスムーズに行ってもらうことだと思う。そのほか、職人さんと施主のコミュニケーションの機会にもなるし、職人さん同士の対話の機会にもなり、世間話的な内容もあるだろうが、作業の打ち合わせ的な内容にもなる。
それで、話は戻って、なぜ母はそこまでの徹底したお茶の出し方をするのかということだが、おそらく、職人さんへの敬意の表現なのではないかと思う。施主側としての最大限の敬意を表す。それは、「職人さんの良いしごと」という形で、建築の出来栄えに影響してくる。それで、母のすごいところは、良い仕事をしていただくその先に、今後もつながりを持って生きていく「友情のようなもの」を育んでしまうところだ。私の実家のある所は雪が降るので、建築物は傷みやすい。職人さんとの繋がりがあれば、修繕が生じても快く引き受けてくれるというわけだ。
ふと思うのだが、母の場合、自分側の得になるということのためにお茶出しするというだけにとどまっていない気がするんだなぁ。
私の家のリフォーム作業の最終日、その日、大工さんの作業は既に終わっていて、クロス屋さんだけが、仕事にきてくれた。それで、1対1で話せる機会があったので、思いきって訊いてみた。「お仕事をしていて、一番楽しい時はどんな時ですか?」「このお仕事に就いたきっかけは何ですか?」の問いに、照れつつ答えてくれた。いちばん楽しいのは、施主さんに喜んでもらえた時で、きっかけは、アルバイトでいったところの雇い主に引きずり込まれて、今日まで来たのだと気取りなくくったくのない様子で答えてくれた。ああ、なんかこういうやり取りが楽しいなあ、嬉しいなって思えた。おそらく私がこの瞬間に味わったような嬉しく楽しい気持ちを母はずっと味わってきたのだろうなと思えた。それでようやくわかってきたのは、母が職人さんにお茶出しをすることの本質は、私がこの時味わったような快い瞬間を味わうためということなのかもしれない。
渡邊さんこんにちは、ご無沙汰しております。
ウチの母も同じように10時と3時に必ずお茶を出していましたので、懐かしい風景を思い出しながら投稿を拝読しました。
「損得を考えずに、ただ喜んでもらうことだけで行動していると、巡り巡って自分に戻ってくる」そのような生き方を母から学びました。私はまだまだ行動に移せておりませんが(笑)
松永さん、コメントをどうもありがとうございました。
こちらこそご無沙汰いたしております。
そうでしたか~。松永さんのお母様もなさっておいででしたか~。
「損得を考えずに、ただ喜んでもらうことだけで行動している」このことって、
実は人間が人生を楽しんで幸せに生きる上で、とても意味深いことなのかもしれませんね。
大げさに言えば、私の母は、
松永さんがお母様から学ばれたことに近い生き方で、
事業自体も発展させてきて、リピートしてくれるお客様に恵まれてきたと言えると思います。
「まだまだ行動に移せていない」とおっしゃる松永さん。
そういう中でも実はすでに行動に移していらしてきたことは何でしょうか?
(私は、松永さんが、すでにお母様の生き方からの学びを
活かしていると思えてなりません。私も無意識なんですけれど、母から
伝染していて、既にそうしてきたなと感じることが最近でてきています。)
辺さんへ
小春日和の陽射しの中でお茶を一服している気分です。おもてなしの心はちゃんと母から子へ受け継がれているんですね。しみるなあぁ〜。
読みながら高校生の時に行ったアルバイトのことが浮かんできた。今では見かけなくなった木造の家の周りを木目調のトタン板を張って化粧する仕事。こう見えて手先の器用な私は自分に合っている仕事だと思っていたし、店主からは「現場ではアルバイトって言わずに慣れてますってことにしとけ」と言われていた(笑)
高校生の体力には物足りない仕事量でしたが、時間がくればやはりお茶とお菓子が出てきた。そしてお家のおばさんも一緒に。私は店主の横に座ってたぶん何も話さずただゆっくりしていただけだったような。そんな昭和の時代の職人さんは大事にされていたんですね。コラムを読んで今も変わらぬ風景があることを嬉しく思いました。
そんな大人のやりとり(空気)も僕の心のDNAにインプットされてたんだなあって思うと、やっぱりどんな出会いも大事にしたいなあって思います。さあ、出会いの春が楽しくなりそうやわ。
おっくん
渡辺さんへ😊😁😅👍
おっくんへ
😊😁👍🌈
おっくん、いつもコメントをどうもありがとうございます。
高校生のおっくんが、「私は店主の横に座ってたぶん何も話さずただゆっくりしていただけ」っていうのが想像しがたかった(快活に話の輪の中で、談笑していたというなら想像しやすい)ですが、手先の器用さで高校生の時に既に、店主に認められるような働きぶりだったことは想像できますし、そこで、「お茶の時間」を経験なさっていらしたとは、豊かな経験・体験を積まれていらっしゃって素敵だなと思いました。
まだ爛漫とはいきませんが春めいてきました。出会いの春、どんな出会いがおっ君に届くのか、実際にやってきたときは、シェアをお願いいたします。お待ちしております。