快い日々を生きる No.22 渡辺照子

想像力の使者・「心の目」を飛ばす

この9月の末、夜中に電話が鳴って、単身赴任中の夫が緊急で検査入院をし、結果が虫垂炎であると同時に、治って間もないコロナに再び感染しているとのこと。それで、手術のあとは、一晩しか入院させてもらえないとのこと。職場のスタッフの方々に多大なご迷惑をおかけすることが予想され、仕事の調整を図って急遽看護に向かうことにした。

10日ほど滞在する間、三食毎食、ベランダで食事をした。理由は、助けに行った私がコロナにかかっては、元も子もないので、移らないように徹底的に対策をしたその一環(笑)。夫が住むのは気候が温暖な、ここから9500キロ離れた島の街。25階に住んでいて眺めが良い。小テーブルをはさんで、向こうとこっちに向き合って座る。

ベランダで幾回も食事をしたとある朝、夫が言った。「今日は珍しく、山にガスが掛かっていないな。すっきり山が見えてきれいだ。」それを聞いて私は心の中で、「この人何言ってるの? 珍しく? 山にガス? は? 何言ってるか意味が分からない。」と一瞬思った。私に毎食時に見えていたのは、町の家々の建物の屋根やビルと、それらの向こうのに広がる青々とした海原だ。「山」とか「ガス」とかは全く見えていなかったのだ。

私は愕然とした。

たった60センチしか距離がないところで、ほぼ同じところに居るのに、見えているものが全く違い、認識も食い違う。一緒にいるのだから、見えていることや味わっているものが、同じで当然だ。という決めつけがそこにはある。

であるとすると、人と人は、向き合うのではなく、横に並んで、同じ方を見て対話するのがよさそうだ。そうだ思い出した。コーチング学校で、コーチングを学んだ時、教科書に挿絵があった。一つのキャンバスに向かって、コーチとクライアントが横に並んで座りながら対話している絵。

このことは大切なことだと思う。私は、幼稚園や保育園で仕事をする機会があるが、近年、先生方は、園児への対応ではなく、保護者対応に苦慮している。保護者と園の先生方が向き合って、問題を解決しようとする構図が多く生じている。この場合、「園児の成長」という未来に向かって、保護者と先生方が横に並んで力を合わせていく方が、真の解決に繋がりそうだ。ここには、前述の、一つのキャンバスに向かって、保護者と先生が対話する絵がぴったり当てはまる。もし、目の前の人との間に戦い感が生じたら、一つの目的に、共に向かうイメージをもって事に当たるとよさそうな気がする。

先日福岡の大濠公園の大濠池のほとりにあるスタバに行ったら、店内のすべての席が、池に向かっていた。これだと、共にお茶する方との間に自然と豊かな会話が生まれそうだ。

でも、人はいつもいつも同じ方に向かって、横に並んで対話できるかというと、そういうわけでもないだろう。むしろ向き合いで対話することの方が多いのではないだろうか。ではどうすればよいのだろう。と考えて思いつくのは、「想像力」を使うということ。

目の前のこの人には、何が見えているのだろう。

この人は、それを見て、何を感じているのだろう。

と、心を伴わせて想像する。この想像力を発動することができれば、心の目を自在にどこにでも飛ばすことができる。飛ばした心の目で、どこから見るか、どのように見るか、伸び伸びクリエイトできそうだ。

先日、スカイプを使用して(カメラオフ)のクライアントさんとのセッションの始まりの会話の際に、その日の陽気があまりにも秋晴れの素晴らしい天気だったので、「今日は、気持ちの良い秋晴れですね!」と私(群馬在住)が言ったら、静岡に住むその方は、ちょっとすまなそうに、「こちらは、くもりなんです。」と答え。あちゃ、やってしまった。この時私が心の目を飛ばすことができれば、そもそも、「今日は気持ちの良い秋晴れですね。」とは言わずに、質問形を使うだろう。「○○さん、今日のそちらのお天気はいかがですか?」と。

今後は、想像力の使者である「心の目」を上手く活用して暮らしていこう。思いを巡らせてみれば、身の回りに、心の目の自在な使い手のモデルはいる。その人々を見習っていきたい。と同時に、心の目を発動できるような、心のゆとりをもって暮らしていきたい。日々は忙しいけれど、そういう中でも、心にゆとりを持たせる工夫は様々できそうだ。

キッチンをきれいに保つとか、浜田省吾の歌を聴くとか、庭先の花の鉢に水をあげるとか。

「忙しい毎日でも、できることいっぱいあるよねえ、自分。」

クリスマスには、再び、夫を訪れようと思う。その時は、夫の言葉にイラついたりむかついたりする前に、心の目を飛ばそうと思う。

快い日々を生きる No.22 渡辺照子” に対して4件のコメントがあります。

  1. おっくん より:

    渡辺さんへ

     私は若い頃から旅に出かけるのが好きでした。そして旅の目的地も少しづつ行ったことのない遠くまで出かけるようになっていきます。最終目的地である我が家に着いた時には、いつも地図を見ながら「本当に数時間前まであんなに遠くにいたんだ」と感慨にふけりながら自分の行動範囲が広がっていくことを嬉しく思っていました。それは距離だけでなく心の広さや深さにも繋がっていたと思っています。

     僕は若い頃から人前で話をする機会が多かったほうでした。気が小さいのに会社の祭りの実行委員長をしたり、組合の委員長を務めたり、社内での発表会やプライベートでも沢山の機会をいただきました。本当は緊張して人前に出たくない事も沢山ありましたが、なぜかそんな舞台に上がってしまうのは癖なのでしょうか。でも慣れというものは恐ろしいもので何でも飛びついてみる自分が次第に好きになっているのがわかります。

     これまで22回の渡辺さんのコラム記事を拝読してきました。和歌山で年配の女性に道を尋ねたこと、大学の先生の鞄のお話、お寺での段差の意味、若い頃のお茶汲みを通したふれあい、尾瀬での出来事などなど思い起こされますね。
     どれも渡辺さんの実体験でその場その瞬間に起こった出来事に対して戸惑いながらも「快い日々を生きる」ためのプラスの眼差しと様々な切り口で見つめようとされているように思えてきます。

     私の家の裏庭に一本の柿の木があります。今年は少しですが実をつけてくれました。太い幹や枝葉が渡辺さん本体としたら美味しそうに実った柿の実は分身として私たちに人生の楽しみ方を伝えようとされているのだなあと。
     自分も他人も快い日々を送ることは私たちの理想ですね。ご主人とののろけ話も楽しかったです!
     
     まとめきれないまま書いてしまいました。ご容赦くださいませ。

     最後に『想像力の使者・「心の目」を飛ばす』のタイトルは直球すぎてたまげたなあ。やっぱ照ちゃんらしいや😊

    1. 渡辺照子 より:

      おっくん、いつもコメントをどうもありがとうございます。

      おっ君は旅がお好きなんですね。

      旅は、おっ君にとって、「感慨にふけりながら自分の行動範囲が広がっていくことを嬉しく思っていました。それは距離だけでなく心の広さや深さにも繋がっていたと思っています。」

      という意義を持つんですね。旅の最終目的地が、「我が家」であるところもなんとも素敵だと思います。そして、おっくんのこれまでのご様子から、活動することを大切にしていた、その機会を楽しんでいらしたご様子も伝わってきます。そういえば、ソリューションフォーカス活用事例共有大会で、前に立ってお話をなさるおっくんの姿をすぐに思い浮かべることができます。心をそこにおいて、お言葉をかみしめるがごとく、一言ひとこと大事に話されるので、つい引き込まれる感がありました。

      私の記事について振り返ってくださったくだりも、感動的でした。
      「どれも渡辺さんの実体験でその場その瞬間に起こった出来事に対して戸惑いながらも『快い日々を生きる』ためのプラスの眼差しと様々な切り口で見つめようとされているように思えてきます。」「太い幹や枝葉が渡辺さん本体としたら美味しそうに実った柿の実は分身として私たちに人生の楽しみ方を伝えようとされているのだなあと。」

      ああ、そういう記事書いたなあ。自分のしていることをこのようにお受け止めくださるのか。ありがたいなあ。と心底思いました。

      今回は、いつものおっくんのコメント形式と違うスタイルで、視座高く見渡して、コメントしてくださった形。おっくんのコメントにより、私自身が自分のことをあらためてふりかえる機会を与えていただきました。このまま進もうと思えました。どうもありがとうございました。

      1. おっくん より:

        いつも見てますよー!
        そして見てて下さ〜いませ♪

        1. 渡辺照子 より:

          おっくん、☺。

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