快く生きる日々 No.12 渡辺照子
硬さを越える生き方
仕事でコミュニケーション研修を行うことがある。「相手に配慮しつつ、自分の思いや意見を率直に誠実に対等に表現しましょう」と組織で働く皆様の元でお伝えをさせていただいている。
仕事の現場では、相手がお客様や上司だったりすると、自分を主張することがはばかられてしまうが、自己主張はして良いこと、自分自身に問い合わせをしたうえで、伝えたいことは伝えましょう。あなたには自分自身を大切にする権利があるのです。
上記のようにお伝えすると、仕事の場では我慢しないといけないと思っていたけれど、言ってもよいとわかってほっとした。実際言おうとすればするほど、相手に嫌われるのではないかと気になったり、相手に悪いのではないかと遠慮の気持ちが出てくるが、こういう風に伝えればいいという手立てを学べたことで、今後変に自分に負荷をかけずに、伝えたいことを伝えることが出来そうで、勇気をもらった。などが、研修の感想だ。
ところが、とあるときに、三人で目的地に往復する車内で知人たちから、私が仕事で人々に伝えていることとは、別の境地があることを知らされた。
知人Aの話:
職場内に扇風機が6台ほどある。係長は皆に風がゆき渡るようにと、時々扇風機を動かして、風が皆に当たるよう配慮してくれる。ところが、大切な資料がデスクの上に出ているときなど、風に飛んで乱れる可能性があるので、予告なく扇風機の位置を動かして欲しいくない。でも、私たちに配慮してやってくれているんだから、ハラハラするけれど係長に「動かさないでください。」とは言えない。
知人Bの話:
最近、職場のブラインドが新しくなった。隣席の方は、窓を開けるとき、ブラインドの横ひだと横ひだの間に両腕を突っ込んで窓を開ける。そのようなやり方をすると、ブラインドのひだが折れて傷む。まだ新品なのに。この頃その行動が気になって仕方がない。最初に言えばよかったけれど、言わなかったのは私。もう手遅れ。その人に注意はできない。だから最近は、その人が窓を開けようとする前に自分から開けるようにしている。
再び知人Aの話:
残業をしていると係長が、「つけますか?」という。自分のせいで仕事が長引いてしまった時には、残業時間としてカウントしてもらわなくていいが、今日は残業としてカウントしてもらってよい状況だと思う時に、「つけますか?」と言われてしまうと、「つけてください」となんだか言いにくい。私がそのような態度を取ることで、ほかの人も残業申告をしない傾向で申し訳ないと思っている。隣の係は自分の係とは全く違って、したらしただけ残業申告をそれぞれがしている。実は自分の職場内には、能力があって仕事ができる人で、日ごろから残業し休日出勤もするほどなのに、残業の申告を全くしていない方がいる。その人のことを思うと、とても自分は残業を申告できないという思いがある。私の残業代はその人に全部もらって欲しいほどだ。
これらの話をきいて、私はけっこうショックを受けた。世の中はもしかしたら、多くの人々の我慢の上に成り立っているのかもしれない。ただ、少なくともAやBの話をきく限りその我慢を完全なるネガティブな事象と捉えてはおらず、我慢は当然であり、むしろ主体的に選んでいるという風。いいように心と行動を調節しており、よりよさを求めて、相手に伝えるということはあえて選ばない。
こうなってくると、私が研修で伝えていることって、何なんかな~って思えてくる。
つい先日のこと。AとBとは違う知人Cに私は話した。「一日の仕事がすべて終わると、終わった~と思って、リビングでテレビをみて少しゆっくりする。そうするうちに眠気がやってきて、お気に入りのクッションを枕にして、体を横たえるあの瞬間がこよなく気持ちよい。でも、そこでこ一時間眠ってしまうことになり、そのあと寝直すと、睡眠が分断されるのでよろしくない。この癖は変えないと。」と。するとCは、「気持ちいいんでしょ。ならそれでいいじゃん。そんな罪悪感みたいな感情持たなくていいんじゃないの。自分が心地いいならそれでいいじゃん。好きなように生きればいいんじゃない?」と言われた。
私が仕事で人々に伝えていることも、自分の生活での捉えも、なんか硬いな~って思えてきた。知らず知らず、悪気はないけれど、こうじゃないと!こうあるべき!という流れに私は身を置いているのかもしれない。もしこの感覚を超越することができたら、より快い境地に至ることができるかもしれない。そんな風に思えてきた。
そういえば、以前、ソリューションフォーカスの事例共有大会に、来日されたスイスのピーター・ザーボさんが、「クロールで前進するのではなく、波乗りしながら進もう~♪」というような内容のメッセージを発してくれたことがあったなあ。波乗りすることで、肩の力を抜いて進みたいところへ楽に自然に向かうことができるよと。
これからの私、どうしていこうか・・・。仕事では人々にどう伝えよう?自分の生活での捉えをどのようにしていこう?新たな境地を拓くきっかけを得ることができた。
こんにちは。
ありがとうございます。
同様の研修の仕事をしているわたしにとって、興味深く、そして共感する内容でした。
>我慢を完全なるネガティブな事象と捉えてはおらず、我慢は当然であり、むしろ主体的に選んでいるという風。
>いいように心と行動を調節しており、よりよさを求めて、相手に伝えるということはあえて選ばない
>私が仕事で人々に伝えていることも、自分の生活での捉えも、なんか硬いな~
>波乗りすることで、肩の力を抜いて進みたいところへ楽に自然に向かうことができるよ
同時に
自己完結で納める、から一歩踏み出して、他者との関わりの中から一緒に解を見つけられたらより素敵だなぁとも思うので、研修の中で今度そういうコメントに遭遇したら
「波乗りするがごとく、我慢するのではなく肩の力を抜いて伝えてみたら、案外上手く行くかも知れませんよ~」と伝えたくなってしまう気持ちも湧いてきました。
あれ、どうやら、「波乗り」「肩の力を抜いて」「楽に自然に向かうことができる」って言葉に最も惹きつけられたようです。思ったままに投稿してみます^^
かよちゃん、コメントを頂戴しどうもありがとうございました。
「波乗り」「肩の力を抜いて」「楽に自然に向かうことができる」
実際にそうしている・そうなっている
かよちゃんが目に浮かびます。
「自己完結で納める、から一歩踏み出して、他者との関わりの中から一緒に解を見つけられたらより素敵だなぁとも思う」
他者との関わりの中から一緒に解を見つけようとする
心構えがあることが、自分の、人との関わりのベースにあれば、
それが解決への真の道筋なのかもしれないと思えました。
これは、私にとって、あらたな認識となりました。
かよちゃん、ありがとうございます。
渡辺さま
ほのぼのと懐かしいような、それでいて身につまされるお話を、読ませていただきました。ありがとうございます。
妻の実家を建て替えて、住んでいます。亡くなった妻の父は油絵が趣味で、たくさんの絵が廊下に掛けられています。それぞれに合わせた、額縁に収まって。
4ヶ月に一度、歯科検診に行きます。先日、歯科衛生士さんが「歯の裏側に茶渋が付いてますよ」と指摘してくれました。「毎日、コーヒー飲んでるからね」と、私。「それだけですかあ? 他には? 例えば、チョコレートとか」「あっ、それだ。毎日食べてる」「コーヒーもチョコレートも、ステインっていう着色汚れになるんです。でも、止めることはないですよ。この新しい歯磨きで一日一回磨けば、きれいになりますし、着色を防止してくれるので、オススメです」と、小さいサンプルをくれました。「当院でも扱ってますけど、近くの東急ハンズでも売ってるから、気に入ったらどうぞ。コーヒーもチョコレートも、楽しんでくださいね」。
新しい歯磨きで、歯の裏ツルツル。コーヒーを淹れ、アロマの香りと、「明治 チョコレート効果 CACAO 86%」の甘みと苦味とを味わいながら、このコメントを書いています。
玄関のたたきで、履物がが戸口の方を向いて揃っていないと、気になるたちです。脱いだ本人がいないのを確認して、向きを変えて揃えたりします。本人には、そのように脱ぐ事情があるのでしょう。履くときに、向きが変わっていることに気づいたら、気分を害するのではないか、という心配もしないではありません。けど、そんなことを気にする人なら、初めから揃えて脱ぐでしょう、と勝手に決めつけております。
それにしても、Aさんの職場。残業代不払いで、労基署の調査が入ったとき、困るのは誰でしょう。「労働基準法」という、硬い額縁がある以上、これを勝手に変えることは、賢明な解決とはいえないと思いますが。
柴田さん、いつもコメントをどうもありがとうございます。
柴田さんの歯科衛生士さんは魔法使いみたいな方ですね。
コーヒーもチョコもあきらめずに、歯のつるつるや美しさを維持する
手立てを進言してくださって、それを取り入れた
柴田さんは快さそう。
靴の向きを気にする柴田さん。気になるから直す。でも当の本人は
気にしない。気にするかもしれないけど、気になるくらいなら乱して
脱がない。だから柴田さんはそれは気にしない。
柴田さんはなんか軽やか。
生きている以上、額縁の縁みたいなものは存在するのを排除できない。
でも、リフレーミングで、捉えを変えることはできる。
と思うと、自分自身の捉えや考え方は、もっともっと柔軟にできそうに
思えてきます。
今回も、柴田さんから、希望を与えていただきました。
どうもありがとうございます。
柴田さんのお宅には絵がたくさん掛けられているのですね。
美術館みたいなお宅におすまいなのかなと想像しております。
追伸:
柴田さん、Aさんの職場は、どちらかというと、「労働基準法」という決まりを
行使する側のお役所であるというのがなんともかんとも。
人と人の間に起きることは正論だけではスムーズにいかないことが多いですね。
私はサーフィンしたことありませんが、波乗りする人って(アニメーションが頭に浮かびました)にっこりしながら楽しんでるイメージです。
言いにくいこと、さらっと微笑みをたたえて言えればいいんですけどね。
秋晴れの日さん、コメントをどうもありがとうございます。
「人と人の間に起きることは正論だけではスムーズにいかないことが多いですね。」
本当にその通りだと思います。多分私の硬さは、正論でスムーズにいかないのに
正論を通そうとするところからきているのではないかと思っています。
秋晴れの日さんや他の皆さんからコメントを頂戴することで、
正論を手放す勇気、正論も正論でないことも場合によって行き来するような
軽やかさを選択できるように思えて嬉しい気持ちになっております。
波乗りする人が、にっこりしながら楽しんでいるイメージ、
波乗り・にっこり・楽しむ
このイメージを私も思いながら、波乗りを日々の生活に取り込んでまいります。
このイメージがあれば、言いにくいことを、さらっと微笑みをたたえて言えそうな
気になってきました。
秋晴れの日さん!ありがとうございます!
渡辺さんへ
今回も楽しいテーマをありがとうございます。なんだか人ごとのようにニヤニヤしながら読んでました、笑。
自分のことは棚に置いて、率直にAさん、Bさんの職場の人間関係に窮屈さを感じました。もちろん描かれた場面の中だけですけど。また、Cさんもちょっと無責任?。それもそのはず居眠りという他人に害を与えない問題?ですから返事も軽くなってしまうのかもしれませんね。
僕の以前勤めていた会社での最後のSFの実践は「もっと良いチームにしてほしい」との上司からの依頼でした。実践コースで学んできた基本をもとに自分なりにアレンジして、まずはお互いを知るところからスタートしました。話ははしょりますが、結果お互いの心の垣根が低くなり、先輩後輩が気兼ねのないチームになったと評価してくれました。おまけにその時の取り組みイベントであった「川柳大会」が社長から全社展開の依頼があり、そのハードルをみんなで超えたことでより強くなったようです。
思うに「話す、伝える」という行為の前に「話しやすい雰囲気づくり」が非常に大切だと痛感しています。小林さんや諏訪さんのレポートも相手の立場に立っていますよね。
渡辺さんには分かりきったことで誠に恐縮かと思いましたが、ちょっと昔のことを思い出したので書かせていただきました。
硬い、柔らかいは比べるのではなく、その人自身が決めるものかなあ。渡辺さんの年齢ではもう変えることは難しいかもよ😁
おっくん、コメントをいつもどうもありがとうございます。
おっくんが職場でつくりあげた境地、本当に素敵ですね。
実際にやってのけちゃったところがかっこよいです。
そして、
思うに「話す、伝える」という行為の前に「話しやすい雰囲気づくり」が非常に大切
↑確かにそうですね。話しやすい雰囲気がなければ、「話す」も「伝える」の
おぼつかないですものね。
やはり、そこだ!
なんだか頭がすっきりしました。
人々に何をどのように伝えていくかの方向性が、自分の中で
クリアになりました。感謝!です。
おっくん気づきを与えていただき、いつもありがとうございます。
追伸:「渡辺さんの年齢ではもう変えることは難しいかもよ😁」
ここの箇所は、聞き捨てなりませぬ!
ハハハ、これでも応援してるつもりなんだけどなあ😅
この頃思うんです。自分では正しいって信じて実践してみるのですが、自分の行いが正しいか正しくないかは、周りの人や環境の変化(できれば良い方向)が証明してくれるのかなあって。
まずは勇気を持って行動してみますね。ありがとうございます😊
おっくん、おはようございます。
秋深まりつつありますね。
いつも応援のまなざしを向けていただき、
心より感謝しております。
自分の行いが正しいか正しくないかは、
周りの人や環境の変化(できれば良い方向)が証明してくれる
勇気をもって行動してみる
とのことでしたが、その後いかがですか?
少なくとも、自分の行いの真意は、
子どもたちは汲んでくれる・伝わっている・・・と教員だった時の経験から
思っています。
ただ、すぐに伝わるとは限らなくて、例えばMちゃんという生徒は
3年後に、私の意を実は当時汲んでいたと、電話をくれたということが
ありました。もしかしたらお子さんが大人になった時に気が付いて、
でも、その時、こちらに連絡してきてくださるなんてまれかもしれませんよね。そうなると、その時、その時、よいと信じて行動していく、
おっくんがおっしゃるように勇気を奮って行動するってことが
大事なのかもしれませんね♪
気づくのが今になってしまいました。素敵なエピソードをありがとうございます。
私と子供たちの関係は健やかに?成長しているのですが、施設の組織内にくすぼっていた人的問題がついに破裂してしまいました。SF的な内科処置ではなく、外科的に大ナタを振るうという選択で、心苦しい決断をせざるを得なかった社長の心中もわかります。
今は、今後の組織の立て直しのために私なりにお手伝いできることはないかと模索しています。指導員のチームワーク向上こそ子供たちのためだと思われるからです。つづく🤗