快く生きる日々 No.10 渡辺照子

一本500円のバラからの学び

去る3月のとある日、私は知り合いのお嬢さんが競輪学校を卒業したので、お祝いをしたくてKちゃんをランチに誘った。約一年間合宿所生活。スマホ使用や外出を制限される生活環境で、厳しいトレーニングに耐え抜いてきた彼女を、何よりねぎらいたかったし、彼女の前途を祝いたい気持ちでいっぱいだった。

彼女に会う前に彼女にプレゼントしようと、花屋さんに立ち寄った。この花屋さんは、私のお気に入りの花屋さん。私はこの花屋さんで花を買うことが度々だ。なぜこの花屋さんかというと、私がリクエストしたとおりにアレンジしてくれて、何より花の鮮度が良く、買って手にした時の、花々のみずみずしさに、うっとりできるあの瞬間がたまらないからだ。スーパーマーケットの一角で店員さんが一人常駐して営業している。顔見知りの店員さんが居はするが、その日は、違う方が対応してくれた。

そもそもこの花屋さんになぜ行くようになったかというと、このお店の本店にご縁が私にはあった。今から35年以上も前、社会人の入り口にいた私が、赴任したのは中学校だった。教員という職業が初めてで、かつ思春期の生徒たちに翻弄され、ままならぬ毎日。毎日ぐったり疲れて、夜遅い時間に帰宅することが多かった。そんな帰り途、本店の前を通ると、閉店はしているが、店内の電気がついていて、前面ガラス張りのウインドウから、色とりどり、あふれんばかりの花がディスプレイされ、夜の闇の中に浮き上がる光景が、私の仕事での苦しい気持ちや疲れを癒してくれた。時折りその花屋さんに花を買いに行くと、気風のいい店主の女性との会話が、毎日が上手くいかなくて、穴凹に落ちている私の気持ちを、吹っ切ってくれた。力強く花屋を切り盛りする姿に、当時の私は女性の先輩として、憧れを抱いていたのかもしれない。

このお店は残念なことに、通りに面して駐車場がなく、車をとめるためには、裏手まで回らねばならなかった。そういうこともあって、最近はもっぱら、スーパーマーケットへの買い物ついでに立ち寄ることができる、出張店の方を利用するようにしていた。

(前置きが長くなりました。)それで、Kちゃんの喜ぶ姿を思い浮かべながら、お祝いの気持ちも込めて、明るく華やかな配色にして欲しいことと金額の希望を伝え、花束をつくってもらった。会計を済ませ、手渡された花束の花たちをみると、私が楽しみにしているあのみずみずしさがない。しかも花束の中心にアレンジされているバラの花びらに幾筋もの人為的な折れ線が入っていて、ちょっと見でもみすぼらしさを感じてしまうような仕上がりだった。我慢して、このまま頂いていこうかと思ったが、私の感覚はそれを許さなかった。「すみません。この花なんですけど、花びらが折れていて」とここまで言いかけたところで、店員さんが、「この花はすごくいい花なんですよ。1本500円もするんです。」とまくしたてるように。その言葉を聞いて私は、心の中で、「この花の1本の値段なんか関係ない。見栄えがしなくて、これじゃあ、Kちゃん受け取っても嬉しくないんじゃないかな。」と思って、口から出てしまった言葉は、「これではプロとしてのレベルが低いんじゃあないでしょうか。」「口をついて出てしまった」とはまさにこのこと。すると店員さんは、「換えますか?」と言い、私はお願いして、別の花に換えて、束ね直してもらった。

待っている間、必死で心を整えようとした。単なるクレーマーにならないために、ここから何ができるか?と考えてとった態度は、最後に花束を受け取るとき、満面の笑みを浮かべ、感謝の言葉を伝えたこと。❝また利用させてもらいますね。❞というくらいの思いを笑顔に込めたつもり。(あくまでもつもり。心の中では、もうここには来るまいという気持ちがふくらんでいた。)

その直後から幾日もの間、私を支配したのは、正当性を自分に主張すること。❝あんな対応されたんだもの、あれくらいのこと言っても、それは客として当然のことだった。花というものの鮮度は落ちてしまう。だからといって、古くなったり傷んだりした花を使ってしまうと、結果として商売はうまくいかなくなる。❞と、一応事業主として仕事をしている自分の価値観のようなものが手伝って、❝あのとき、ああ言ったことは間違いではない。❞と自分に言い聞かせていた。だがどうも座りが良くなかった。そして、さらに数週間経って、やっと気持ちよく自分の中で収まりがつくときが来た。

私は普段は、コーチングのコーチという仕事をしているのだが、ある時コーチのトレーニングの案内を見ていたら、「コーチとして、当たり前のように使っている言葉を見直してみよう!~その言葉、一般社会では使われていない言葉だったりしませんか~」とのお題。それを見た瞬間、すとんときた。あの店員さんは、あのようにすべきではなかったと言っている私だけれど、同じようなこと自分もやってしまっている可能性があるな。例えば、業界用語の連発や、コーチング特有の論理を前提にして、話を進めてしまったりなど。自分の側、自分が属しているところから見たら、それは当たり前のことでも、相手にとってそうであるとは限らない。そこには、相手に伝わるような丁寧な説明が必要かもしれないし、相手側の捉え方や考え方の枠組みを、こちらがよく理解して対応する大事があると考えられる。もし仕事であるなら、そういうことを認識して、相手とコミュニケーションを取っていくのがプロの仕事であるとも思う。

店員さんの行動を、客の側で捉えていた私は、心穏やかにはいられなかった。しかし、仕事をする側として捉えたら、自分の中で理解が生まれた。花屋さんでのあの出来事以来、ずっと気持ちが落ち着かなかったけれど、よく祖母が言っていた、「人のふり見て我がふり直せ」の学びの機会だったのだと思えて、ようやく快さが戻ってきた。

あの花屋さんにはもう行かないでおこうと思ったけれど、もう少ししたら、また行ってみようかな。

快く生きる日々 No.10 渡辺照子” に対して13件のコメントがあります。

  1. シオタリョウコ より:

    サービス受ける側(客側)になった時、心のザワザワ、時にムカッとする感覚、私もあります!
    そんな時、私は何事もなかったように笑顔でいることはしないので(笑)、その時の気持ちを伝えるようにしていますが、時に相手にガツンと言いたい!という思いがあふれる時も…( ̄∇ ̄;)ハッハッハ

    そんな私なので、渡辺さんの今回のブログ、食い入るように読みました。

    心に残ることって後になっても考えますよね。
    その考え方の方向性の一つを教えて下さるブログでした。

    起こった事をどのように捉えるか…。その捉え方を最近は自分の立ち位置は固定して多角的に見ることを意識していましたが、自分の位置自体(立場)を変えて見る方が、多角的に見やすいのではと気づきました。
    現在、愉しくトライしていることがあるのですが、さらなるヒントになりました。
    渡辺さん、ありがとうございました。

    1. 渡辺照子 より:

      シオタさん、コメントを頂き、どうもありがとうございました。
      シオタさんには、既に学びや挑戦がおありのご様子が、伝わってきました。

      「私は何事もなかったように笑顔でいることはしないので(笑)、その時の気持ちを伝えるようにしていますが」

      この場合の「気持ちを伝える」ってどのような雰囲気で、どんな風になさるのですか?

      それから、「現在、愉しくトライしていることがあるのですが、」
      これも、何をどのようになさっておいでなのか、おききしたいです~~~~。

      シオタさんから学ばせてもらいたいです。
      お時間のある時ぜひおきかせください。

      「起こった事をどのように捉えるか…。その捉え方を最近は自分の立ち位置は固定して多角的に見ることを意識していましたが、自分の位置自体(立場)を変えて見る方が、多角的に見やすいのではと気づきました。」ここのところを拝読し、
      どちらも選べるのだと私の中で可能性が拡がりました。

      シオタさん、これからも高め合いをよろしくお願いいたします。

                            渡辺照子

      1. シオタリョウコ より:

        渡辺さん、コメントのコメントありがとうございます。

        ご質問の「気持ちを伝える…」ですが、

        ・(私)+(今)+(気持ち)

        を言っています。コメント書いたときの状況は、電話での問い合わせに対して、相手の方が「ふっ(笑)」と笑ったんです。それで、
        「私、今、ショックです」
        と、言いました。これは相手を責めているわけでもなく、みんなが言っていますということでもなく、昔から思っていましたでもなく、単に自分の今の気持ち(感情)を言うわけです。

        しかしながら、その後も相手の方の雰囲気(そんなことくらい…)が続き、『ガツンと言いたい!」と責める気持ちがムクムク湧き上がったという、人間らしいストーリーです。笑

        顔の見えない相手の雰囲気を私が「この人、私の問い合わせ内容を(そんなことくらい)って思っているんだな!」というのは、私が勝手に思っているだけなので真実はどうか分からないわけです。もしかすると、笑いたいことが目の前で起こっていたかもしれないし…。

        真実は分かりませんが、いずれにしても『顔が見えない対応は配慮が必要』と、電話応対の指導をする時には使える出来事となりました。

        もう一つはまた何かの機会に~

  2. 柴田 篤 より:

    渡辺さま

    今回も学ばせていただき、ありがとうございます。

    クレームで感情的になっているお客様は、悪質なクレーマーを別にすれば、想定外の事態にどう対処すればいいのか分からず途方に暮れて助けを求めているのだ、とクレーム対応の本には書いてあります。クレームはお客様の、SOSだと。

    Kちゃんをねぎらい、前途を祝福したいという渡辺さんの気持ち。その気持ちを乗せてくれるはずの、花束がこれ? 長年その花屋さんに寄せてきた信頼の糸も、プッツリ。言い方も、きつくなる。この程度の言い方で済んだのは、さすが渡辺さん。でも「助けてよ」という、SOSを発していたわけです。

    本来ならその店員さんが渡辺さんのSOSをキャッチして、お客様を助ける場面。ところが1本500円を「まくしたて」た店員さんも、どうしろっていうのよ? とSOSを発信していたことになります。つまりお客様を救助すべきレスキュー隊員も救難信号を出し、バラの香りに包まれた店先で二重遭難が発生した、と。不幸中の幸いは、最初の遭難者であるところのお客様(つまり渡辺さん)が、最後は満面の笑顔でもって、遭難したレスキュー隊員を救おうとしたこと。

    そうしてみるとこのレスキュー隊員、じゃなかった、お花屋さんの店員さん。その後、お客様を助けるという気持ちと、助けるスキルを身に付けているだろうか、と心配になります。もちろん、自分がSOSを出さずに、という前提ですが。

    本店にいらっしゃる「気風のいい店主」さんに、どうすればお客様を安全に助けることができるか相談したら、どう仰るか、興味のある所です。

    長々、失礼しました。

    1. 渡辺照子 より:

      柴田さん、コメントをどうもありがとうございました。

      柴田さんの記述を読ませていただき、あの場所で何が起きていたのか、
      あの日のお花屋さんの情景の中、店員さんと私も登場している映像をみせて
      頂いたような気分です。
        
        ・クレームはお客様の、SOS
        ・店員さんも、どうしろっていうのよ? とSOSを発信していた
        ・バラの香りに包まれた店先で二重遭難が発生した

       ああ、そういうことが起きていたのか。
       
       拝読しながら、自分が救われたような気持ちになりました。
       とてもこころあたたかな気持ちになれました。

       そして、同時に、店員さんに思いを馳せました。

       あの店員さんは、あの後、どのような風になったのだろう。

        ⇒ 帰宅して家族に、「ちょっと聞いて、今日、お店に、こんなお客が来てさ
          むかつく~・・・・」て話したのか、
        ⇒ 「そっか、私は、お店全体のこと、売上とかのことも考えて、あのバラを
          チョイスしたけれど、お客様にとっては喜ばしくなかったということか。これか
          らは・・・」みたいに考えてくれたのか、
       
       わかりません。

       柴田さんも文末に書いてくださいましたが、店主さんだったらどうおっしゃる
       のかきいてみたいです。

       私は実家が旅館業なので、サービスというのが身近にあります。職種に因りますが、
       例えばお花屋さんであれば、単に目の前のお客さまに対するのではなく、お客さんとの
       共同作業で、お客さんの向こう側にいる人へ、歓びやお祝いの気持ち、弔意などをお 
       届けするような心意気で、お花を売ることができたら、自分満足(働き甲斐)とお客様
       満足に繋がるんだろうななんてあらためて思います。

       自分の身の振り方をこれからも探求していきます。

       柴田さん、今回も学ばせていただきました。どうもありがとうございます。

       

  3. おっくん より:

    渡辺さんへ

     お元気そうで何よりですね。
     僕はいつでも照ちゃんの味方ですよ。
    おばさんパワーでガツンと言ってやって下さ〜い😁

     今回のコラムは、人生って瞬間瞬間に発生するコミュニケーションで成り立っていることがよくわかる事例だと思いました。
     だって、さっきまでKさんに渡す花束のことで幸せ気分だったはずなのに、想定外の薔薇の花を見せられた途端に心が曇りだしたんですもの。それをつい口に出してしまったというのも何ら不思議でもなく、逆に照ちゃんが自分に正直な人で良かったと思いましたよ。それに今回の場合は直接言葉で伝えないとわからないことですもんね。僕が店員の立場だったら伝えてくれてありがたいとなるかもです。この店員さんもきっとお客様の気持ちに自分の心を合わせるきっかけになったのではないでしょうか。

     もうひとつ気づいたことは、心に物差し(規範)を持っている人は、事の善し悪しを自分で解決しようとする力を持っているかもしれないということです。
     渡辺さんは、瞬時に店員さんに気を配られ自らフォローをされていますね。思い通りになったかどうかは別にして、自分の気持ちをコントロールしてすぐに次の行動を起こせることは、やはり訓練の賜物なんだと思いました。

     このコメントに落ちはないですが、青木先生の仰るジャスのように、塩田さんの仰るあるがままを大切に、出会いの人生の一瞬一瞬に名曲を奏でていきたいですね。

     おやすみなさーい♪

    1. おっくん より:

       ”おばさん”って言ってすいません。晩酌の後だっだんで少し補足させてください。

       感情の出会いは突然にやってきます。それが心地良いことならすんなりとOKメッセージになるんだけど、そうでない場合も多々ありますよね。それを縁にして自分の中にいろんな感情や思考が生まれてくるんだけど、関係性を修復しようという心とは別に口が先に動いてしまい、「しまった」となることを私も経験中です。幾つになってもまだまだですわ。
       その心と行動のズレを縮めるために「プラスの眼鏡」を掛ける習慣はきっと役立っているのだと信じたいですね。

      1. 渡辺照子 より:

        おっくん、コメント2度もありがとうございます。
        「おばさん」は、事実なので気になっておりませんです。(笑)

        おっくんがおっしゃる、心と行動のズレを縮めるための「プラスの眼鏡」
        の存在。

        なるほどな~って、うなっております。

    2. 渡辺照子 より:

      おっくん、いつもコメントをどうもありがとうございます。

      おっくんのメッセージの中の、「味方」という響きは、
      本当に嬉しく、身体と心が柔らかくなる感覚を持ちました。

      味方になってもらえることで、その方の前では、ことの次第を
      事実として見つめ、そこからどうするのか、主体的に決めていけそうになる、
      そういう感覚を持ちました。

      おっくんに味方になってもらえて、快さが増進しました。

      そして、「もうひとつ気づいたことは、心に物差し(規範)を持っている人は、事の善し悪しを自分で解決しようとする力を持っているかもしれない」という洞察の
      根拠のコメントは、まぎれもなくOKメッセージとして、頂戴いたしました。
      訓練とかすごい感じのことはしていないのですが、SFに興味を持ち続けているという
      こと自体が、知らず知らず「訓練」ぽくなっているのかもしれません。

      「出会いの人生の一瞬一瞬に名曲を奏でていきたいですね。」
      ・・・素敵な響きであります。

      おっくん、いつもありがとうございます。

  4. 深山敏郎 より:

    いいお話ですね。ともすれば、自分の論理で相手を裁いてしまいがち。でも、自分は…..。絶えず姿見を持参して生活してみなければ、と感じました。ICレコーダーも持参してね。

  5. 渡辺照子 より:

    深山さま、おはようございます。
    先日も、Caféへのご参加をどうもありがとうございました。
    アンケートのご回答もありがたく、嬉しく拝受しました。

    コメントをどうもありがとうございます。「絶えず姿見・ICレコーダーを持参して生活する」
    という心意気を持ち、創造力を連動させて、姿見やICレコーダーを発動させれば、上手く自分の中で消化したり、熟成させたりして、行動に落とし込んだ、パフォーマンスが出来そうですね!

    私はコーチの仕事をしていて、時々、自分のコーチングを録音して聴くのですが、
    その時間は、正直、いやというか苦しい、苦い、感じが起きます。自分の引き起こしている
    事実に触れることが、痛い感じがします。が、そういうプロセスを経て、再度
    自分の向こう側に居てくださる対象の方々と触れ合うからこそ、積みあがったり、
    磨かれたりしていくのだろうなと、あらためて思いました。精進したいと思います。

    深山さんが、Caféの前に、ブログを複数読んだら、答えが見つかったとおっしゃっていらっしゃいましたが、そのことから、深山さんはきっと常日頃から、「姿見を持参」して生活
    なさっていて、自分にやってくる姿見からの答えから気づき学んでいらっしゃるのだとわかりました。

    1. 深山敏郎 より:

      渡辺様 過分なお言葉、ちょっと恥ずかしい思いです。久々に貴女のコラムを訪れてみて、思い出したことがございます。学生時代、そして社会人になってから10年程舞台でシェイクスピア劇などをやっていました。その際、ビデオ撮影をされて(して、ではなく、されて)(いやいや)自分の姿を観たり、いや見たり、声を聞くわけです。当時は白黒のオープンリールのビデオ機材でしたが、その時間がいやでいやで、「何でこんなにスウェイ(肩が左右にぶれること)しているんだ。」、「何でこんなに一本調子の声なんだ。」などなど、マイナス部分だけが目(耳も)につきました。それが40数年経って、SFを少しだけ舐めて(もうじきかじるようになると思います)、自分の声を聞いたり、姿を観て「なかなか頑張っているじゃないか」、「予想していたより、少しいいじゃない」なんて気分になるなんて。奇跡です。

      渡辺さんのコーチング、きっとクライエント(と言っていいのでしょうか、あるいはコーチ―と言うべきでしょうか)はきっと多くの気づきを得ていらっしゃると拝察しています。今後とも、SFで宜しくお願い申しあげます。

      1. 渡辺照子 より:

        深山さん、こんにちは。

        お嬢様は、外国でお元気にお過ごしでしょうか?

        深山さんにいただいた8月22日のメッセージからだいぶ時間が経過してしまいました

        あらためて拝読。

        学生時代・そして社会人になってから10年もの間
        舞台で演じていらっしゃったのですね。

        同じご自分の姿に、前は、ダメ出しと言いますか、注文を付ける目線だったのが、
        今や、「なかなか頑張っているじゃないか」、「予想していたより、少しいいじゃない」という見方がおできになる。いったい実際どういう内面の変化が起こったんでしょうか?

        マネージャーの方々などが、頭ではわかっているんだけど、
        部下を目の前にすると❝ついついできてない方をみてしまう❞とおっしゃいます。何か良いアドバイスがありましたら、ぜひお願い申し上げます。

        さて、「シェイクスピアを演じる」深山さんの青春てどんなだったんだろうな~?

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