快く生きる日々 No.5 渡辺照子
「余裕がないと、OKメッセージは伝えられない?」
私は、時に研修の仕事をする。SF研修の最後に、「今日の感想をどうぞ」というと、こういう答えが返ってくることが少なくない。「プラスの眼鏡は、自分の心の余裕がないと、なかなかかけられないので、心の余裕を持つように、まずは意識していきたいと思います。」
そうおっしゃる相手のことを思うと、そう言いたくなる気持ちは十分理解する。自分にも身に覚えがあるので。しかし、研修を行った側からすると、思いは複雑で、❝そっか、余裕がないとプラスの眼鏡はかけられない。となると、この方の周りにいる皆さんに、この方のOKメッセージが届くのは、少し先になりそう。何とかならないものだろうか。今日という日をきっかけに、この人の向こう側にいらっしゃる方へ、即、OKメッセージが届くようになったらいいなあ❞。
プラスの眼鏡は、❝かけなければならない❞あるいは、❝ずっとかけ続けなければならない❞ものではないことを知っている。それでも、何とかならないかなあ。と考える私。この段階で、今回のブログは、堂々巡りしそうな予感がする。
本当のところ、どうなんだろうか? 心の余裕がなければ、人は相手にOKメッセージを届けることはできないものなのだろうか?
青木安輝さんは、「SFコミュニケーションの定義」として、以下のように言っている。
SFとは望む未来を実現していくためのコミュニケーション手法である。他者を尊重し、多様な価値観を受け止める態度を基本姿勢とし、「既にある肯定的要素」「臨む未来の内容」「臨む未来に向かうための小さな変化」に焦点を当てる。結果として「ポジティブ感情を伴ったコミュニケーションが活発になり、望む未来に向けた豊かな発想や自発的な行動が生まれる可能性がある」と。
プラスの眼鏡で見るからこそ、「既にある肯定的要素」も「臨む未来の内容」も「臨む未来に向かうための小さな変化」を焦点化できるものだとも考える。「プラスの眼鏡でみて、OKメッセージを表現すること」は、SFコミュニケーションの肝心要のことのようだ。
今から、4年ほど前のこと、我の娘は短期大学を卒業し、大学に3年次編入をしたが、入学して1ヶ月で、その学校をやめたいと言い出したことがあった。東京で一人暮らしの環境を整え、送り出した親に、❝やめたい❞ということが、心苦しかったようだ。けれども、そのままその学校に行き続けることが、娘の中では無理だったようで、かなり葛藤し、私と夫に告げてきた。よく話を聞いていくと、未来が見えなくて、死にたいくらいだ。と言い出すではありませんか。びっくりして、この時の私に心の余裕などなく、彼女をひたすらプラスの眼鏡で見て、彼女の存在の証を躍起になって伝えたことを思い出す。
上記は、余裕がなくてもOKメッセージを伝えた極端な一例。心の余裕がなくても、OKメッセージを伝えることは、どうやらできる模様。しかし、冒頭のように、❝余裕がなければプラスの眼鏡はかけられない❞となるのはなぜなのだろうか? その人の中に、プラスの眼鏡をかけるよりも、もっと優先するものがあるということ?
幾人かの人に、きいてみた。
一人の人は、「余裕がないときほど、相手の足りないところ、もっとこうして欲しいという方に目が行ってしまう。だとすると、相手に注文を付けたくなったら、そのことを言うのとセットにしてOKメッセージを言うのだと、自分に約束したらどうだろうか。」
別の人は、「余裕なんて言っていても、日々は巡っていて、いつまでたっても余裕なんてやってこないから、先延ばしにするのではなく、今この状況でできる何か小さなOKメッセージを伝えてみる。まずはそこから始めてみるのはどうだろうか。」
二人とも、心の余裕がなくてもOKメッセージを伝えるにはどうしたらいいか、解決志向で考えて答えてくれた。
三人目の人がこう言った。「プラスの眼鏡でみて、OKメッセージを伝えることが、どんなにいいことか知ってしまえば、もうそうしたくてしょうがなくなるんだけどな~!」と満面の笑みで。
もやもやと考えていた私に、3人目の人の言葉が、ぐっと響いた。そうだ。余裕がないとOKメッセージを伝えられないというのをどうしたものかと思ってる私の執着こそを手放して、その素晴らしさをもっと届けられればいいんだ。
プラスの眼鏡をかけてOKメッセージを伝えることで相手にもたらせる意義は大きいけれど、それ以上に、プラスの眼鏡をかけてOKメッセージを伝えられる自分であることが嬉しいものであり、そこに心の余裕も伴ってくることを感じてもらえるように。これからもSF研修の機会を楽しく創り出していきたい。それが正真正銘、私の仕事。
考えている途中はどうなることかと思ったけれど、書いてみたらそんなに堂々巡りせずに済みました。ホッ。
面白く読ませていただきました。
余裕が無いと、、、ってなんとなく分かります。
(皆さんとは同じじゃないかもですが・・・)
自分て良い人じゃないし、愚痴も言うし、家ではめっちゃ我儘言ってるし、鬼嫁だし
そんな自分がプラスの眼鏡をいつもかけて無くてはいけない。って言う風についとらえてしまい、本来の自分と理想の自分に差を感じるとその心の余裕やゆとりみたいなものと繋げてしまいます。
でもアイテムとして持ってるだけでも全然違います。
SFを学ばせてもらってアイテム頂いただけで
違う目線から相手を見ることが出来る=肯定的に相手を認められること
ができるようになる。そうすると余裕も自然に付いてくるような気がしました。
肯定出来る自分、プラスの眼鏡を持っている・知っている自分だけでも価値ある物です!!
細谷さん、コメントをどうもありがとうございました。
・アイテムを持っているだけで全然違う
・違う目線から相手を見ることができるようになって、肯定的に
相手を認めることができると、余裕も自然についてくる
「肯定できる自分、プラスの眼鏡を持っている・知っている自分である」という価値
・・・なんともありがたいコメントです。
まずは、「プラスの眼鏡」のことを伝えるというミッションが果たせたなら、
それでよいのだ・・・と肩の力が抜け、すっと軽くなる感じがしました。
細谷さん、サンキューです~♪
渡辺 様 興味深いお話、ありがとうございます。
マスクとの共同生活も、2度目の冬を迎えます。眼鏡をしている身で困るのが、曇っちゃうこと。メガネがくもりにくいマスクや、メガネの曇り止めもありますが、つい忘れて出かけ、濃霧に包まれたような状態になりがちです。特に、急いでるときなど。
40歳を前にして、書類の小さい字が読めなくなりました。眼科を受診すると「老眼だね。ちょっと早いけど。」との診断で。「ちょっと、じゃなくね?」と思いつつ、老眼鏡を作りました。手元を見るときだけ老眼鏡をかけ、離れた所を見るときはそれを外すという手続きですと、とても煩雑ですし、どこかに老眼鏡を置き忘れかねません。それではせわしなく、こころにゆとりも生まれません。それで「遠近両用」のタイプにしました。メガネの下の部分だけ老眼鏡で、上の部分はまあ素通しのようなもの。遠くはメガネが無くても見えたので。これでメガネを常に掛けて、暮らすことができます。
あれから、30年。あの時の眼科医の冷徹な予言「年齢と共に、度がすすむよ」は的中し、何度作り変えたことか。初めて掛けた頃は、階段を降りるとき下を見るとぼやけて見え、とても怖い思いをしました。眼鏡屋さんも遠近両用ビギナーには、下り階段に注意するよう警告してくれます。下りるとき、視線だけを下に向けるのではなく、顔全体というか頭を下に向ければOK。コツをつかんで慣れてしまえば、便利なもので。寝るときと、風呂に入るときを除いて、常にメガネとともに暮らしています。
マスクはしても、メガネの曇り止めを忘れるというドジな事態に対処するには、こころの余裕ではなく、こころの整理かも。この曇りは自分が息をしている証拠、生きててよかったね。曇らなければ、ハッキリ見えてよかったね。
話し、スベリましたかね? めがねだけに、ツルって(‘_’)
柴田さん、コメントをどうもありがとうございます。
「笑点」の上を行くような、コメント丸ごとが芸術になっている、
時事のことを盛り込み、最後の「話し、スベリましたかね? めがねだけに、ツルって(‘_’)」のところまで貫かれたメタファー、しびれました~。
そして、遠近両用にして、かけ方のコツを体得して、かけ慣れれれば、
体の一部になるんだということが、得られました。
眼鏡が曇ったときは、心の整理がいるのだということにも感じ入りました。
柴田さん、私の中に、プラスの眼鏡に関して、広がりが生まれました。
どうもありがとうございます。
渡辺
もし、くも
「もし、くも」は、消し忘れました。失礼いたしました。
渡辺様 ありがとうございます。
御眼鏡に適って、何よりの幸せに存じます (^^♪
柴田さん、おはようございます。
御眼鏡に適って、何よりの幸せに存じます (^^♪
↓
「お眼鏡」に敵って・・・むむむ、さすがです!
OKメッセージを伝える前に、その相手の良いところを見ようとすることが必要ですけど、そんなことしている場合じゃないとか、その人には良いところなんてなさそうに見えると思ってしまう状態になることは僕もあります。嫌なヤツだから、その人のいいところなんて見たくない!と思うことすらあります。ま、そんな自分は小さいヤツだと思うわけですけど。
それでもなんかの拍子にというか、何かきっかけがあってその人の良い面が見えることがあります。いつも偉そうにしていて人を見下しているように見えてたけど、人を助ける行為をたまたま見かけて、「なんだいいとこあるじゃん。悪い人じゃないのかも。」とか。その瞬間なんだかホッとします。小さな余裕が生まれた感じがします。偶然に助けられて、余裕が生まれたわけですね。
また、あまり自分とは合いそうにないと見えて距離を保っていた人に、必要があって積極的に人に近づこうとした時に、一定のラインを越えてみると、その人の良いところや人間味が見えてきて、嫌な感じが薄れることがあります。自分の行動で余裕をつくったわけですね。
最後までそういう風にポジティブな見え方がしてこない場合や、その人のことを思うだけで呼吸が浅くなってしまうような捉え方を変えられない場合もありますが、割合としてはそう多くはないと思っています。「OKメッセージを伝える余裕がない」状況でも、偶然の出来事や自分から近づこうとすることを通じて「相手への視点が変わり→余裕が生み出される可能性はある」と思っています。だから「OKメッセージを伝えようとすることで余裕が生まれる場合もあるよ」と言いたいのですね。但し「いつもとは限らないけど」という但し書きつきで。
SFを伝える講師としては、「余裕がないとSFできない」と言われるのはちょっと寂しいですよね。そうすると僕なんか「余裕がないから私はSFしません」と言われている気になってしまいます。だけど、多分「余裕がないと」と言っている人もそこまで思っているわけではないんだよなと思い直して、「確かにねぇ、余裕がある時はSFしやすいよねえ。ただね、余裕がない時でも『プラスの眼鏡』をあえてかけようとしてみると、新たな発見があって、それが余裕につながることもあるよ。」と言うようにしています。
渡辺さんへ
「OKメッセージで心にゆとりを」
先日の「SFマネージャー解体新書」で久々にお声が聞こえて嬉しかったです。話している時以外は案外真面目なお顔でしたね!笑。
研修生の方たちの仰る「プラスの眼鏡は、自分の心の余裕がないと、なかなかかけられないので、心の余裕を持つように、まずは意識していきたいと思います。」は、なんとなく解ります。
が、その研修生の方も逆にOKメッセージをもらうと、或いはOKメッセージだと気づけると自分の中にも心の余裕が生まれるはずですよね。
僕の経験からのお話ですが、
①OKメッセージを発することによって自身に生まれる「心のゆとり」もあると思います。
②そしてOKメッセージの醍醐味の大部分はその発し方とその後に訪れる相手と共有できる笑顔(安心安堵感)です。
③それを得るための手段として「プラスの眼鏡」という道具が必要となります。
僕は①の「心のゆとり」を得るために、あえて「私は貴方の味方ですよ」的な発信をして、その場の雰囲気を居心地の良いものにすることもしばしばあります。
④そして何より大切なのは、感動したこと、嬉しいことをなるべく直接その場でOKメッセージ(感謝)を伝えるということだと思います。(もちろん事後でも効果的に伝えたいのは言うまでもありません)
例えば、
◉レジ応対が素敵でしたら「〇〇さん〇〇が素敵ですね」と伝える
◉美味しいお菓子を戴いたら「ウワーォ❣️」と声を上げる
◉露天風呂で見知らぬ隣の人と「ここのお風呂気持ちいいですね」と挨拶する
結局、誰でもが行なっている何でもない表現なんですよね。
その感動や気づきを相手の方と共有することによって、共鳴が生まれ、共感が広がっていくのが見えるようです。
研修の場で改めて「やりなさい」と言われると臆してしまうかもしれませんが、身近な事から伝えることを心がけているうちに、もう伝えたくてどうしようも無いようになってしまうかもしれないですね、笑。
結局、言いたいことはOKメッセージで生まれるゆとりもあるということでした。
今度の研修会にみんなでお菓子でも食べて、「この感動をどうやって伝えたら良いだろうか?」とやられてみるのも面白いのではないでしょうか。
おっくん、おはようございます。
ご示唆をどうもありがとうございます。
なるほど、OKメッセージの伝え方を身近に感じられるように工夫して、
イメージが湧けば、やってみようという気持ちの方が、
「心にゆとりがないと」ということに勝ってしまう可能性がありますね。
さらに一歩踏み込んだ工夫が出来そうです。
もし、研修で、ワーク等で体感していただけそうな時間がない時は、
イメージが湧くような例をおっ君が、
◉レジ応対が素敵でしたら「〇〇さん〇〇が素敵ですね」と伝える
◉美味しいお菓子を戴いたら「ウワーォ❣️」と声を上げる
◉露天風呂で見知らぬ隣の人と「ここのお風呂気持ちいいですね」と挨拶する
と示してくださったように示すことで、
やってみようと思っていただけそうですね。
例示に関しても、この頃の自分の例はマンネリ感があるなと気づいたので、
日ごろからアンテナを立ててストックした上で、リニューアルしていこうとも思います。
おっくん、いつもプラスの眼鏡のまなざしを、どうもありがとうございます♪
ここだけの話ですが、照ちゃんのコラムにこれだけ反響が多いのは、鏡のような水面に小石を投げて波紋を起こし、集まった鯉たちが「なんだなんだ」と事の真相について考え、気づき出すことを狙った渡辺理論なんでしょうか?日常のエピソードにあえて答えを明確にしない「やりかた」かな!
おっくん、おっくんの「ここだけの話」コメントも、OKメッセージとして拝受いたします。いつも、どうもありがとうございます☺☺☺☺☺
とても興味深く、そして共感するブログでした。
私も研修後の振返りに「まず、余裕を持ちたいと思います」等の言葉はいただくことがあるからです。
感じたこと、書かせていただきます。
最近思うのは
・余裕があってもいいし、余裕無くてもいい。
・伝えられなくてもいいし、伝えてもいい。
大切なことは「自分が心地よい状態でいること」。その状態にすることは自分の責任。ということ。
人は感情があるので「心地よい状態でもいいし、心地よくない状態があってもいい」つまり、「これもいいし、またそれももいい」。優柔不断ではなく、私は柔軟性と捉えていて、静かな確信のような感覚です。
自分が心地よい幸せな状態だと、必然的に肯定的な面を見ることが出来たり、感謝の気持ちがじわぁ~っと湧いてきたり…その中にOKメッセージも出てくるかもしれません。
でもそんな時ばかりではないので、それはそれでまたよし…笑
そして「適時」があるなぁ…と、思っています。
研修で講師をしたり、個別面談をしたり、様々な発信しても、相手も感情があるのでその人にはそれを受け取る適時があると…。
それが来ない時があっても”またよし…”という感じです。
シオタさん、おはようございます。コメントをどうもありがとうございます。
余裕があってもいいし、余裕無くてもいい。
伝えられなくてもいいし、伝えてもいい。
大切なことは「自分が心地よい状態でいること」。
その状態にすることは自分の責任。
心地よい状態でもいいし、心地よくない状態があってもいい
「これもいいし、またそれももいい」という柔軟性
自分が心地よい幸せな状態だと、必然的に肯定的な面を見ることが出来たり、
感謝の気持ちがじわぁ~っと湧いてきたり…
その中にOKメッセージも出てくるかもしれません。
でもそんな時ばかりではないので、それはそれでまたよし
「適時」がある・・・それが来ない時があってもまたよし…
シオタさんのコメントの中に、珠玉の言葉たちが輝きを放っています。
これまでのシオタさんのご経験の中で、培われたセンスによって、
紡ぎだされる言葉たち。
読んでいて、体が軽くなって、気持ちが晴れやかになる気がしました。
このテーマはとてもリアルで興味津々拝見していましたが実名で投稿する勇気がなく・・・
皆さんの意見を読みただ自分の頭の中で考えていましたが
おっくんさんの投稿にとても共感したので書きたくなりました。
否定的な関係は双方辛い気持ちで悪循環になり解決からは遠くなりますよね。
正論より好意的な相手から発せられた言葉の方が受け入れてもらいやすくなると思うのです。
おっくんさんの経験①のように発する側が楽になるという効果もよくわかります。
一歩踏み出すまではハードルに感じるかもしれないけれど、心に余裕がない自分にもOKメッセージを出しながら、ひとつでも相手にOKメッセージを出せたら変わることが大いにあると私は経験からお伝えしたいです。
秋晴れの日さん、コメントをどうもありがとうございました。
一歩踏み出すまではハードルに感じるかもしれないけれど、
心に余裕がない自分にもOKメッセージを出しながら、ひとつでも相手にOKメッセージを出せたら変わることが大いにある
上記の部分を読ませていただいて特に
「心に余裕がない自分にもOKメッセージを出しながら」
ここの部分は、とても肝要なところだなと感じます。
と言いますのも、先日SFを上手に使っているマネージャーさんお二人の対談を
きかせていただく機会があったのですが、その二人のSFマネージャーに
共通していたことは、
「ことが上手くいかないときでも自分自身へOKメッセージを出している」というところ
でした。秋晴れの日さんのコメントと重なっています。
それから、「一歩踏み出すまではハードルに感じるかもしれないけれど、
(中略)ひとつでも相手にOKメッセージを出せたら変わることが大いにある」
・・・上記のことに関しても、このブログの交信の場面で、
秋晴れの日さんが、おっくんのコメント読んで、勇気を奮って投稿してくださって
その後のおっくんとのやり取りが生まれているのをみて、
秋晴れの日さんに、実例を示していただけたように感じました。
「一歩を踏み出す」
この言葉に勇気を頂きました。
と私は経験からお伝えしたいです。
晴れの日さんへ
勇気の一歩、おめでとうございます!
一歩踏み出すと景色が変わることもありますよ♪
そして、OKメッセージありがとうございました。晴れの日さんに触発されて色々想像が膨らみ昨夜は寝不足かも(^^)
「プラスの眼鏡とFPは同居」
「晴れの日」って素敵なニックネームですね。僕も青空の色が大好きです。
でも実は雨の日も風の日も好きなんです。台風やゲリラ豪雨は遠慮しますけどね。でもそんな自然現象の危機から人間は温暖化対策とかSDGsとか考え出すんだからすごいもんです。未来の地球は案外居心地いいのかもしれませんね。
塩田さんの悟りの境地のように、自分は葛藤しながらも、周りのすべての考えや行動をありのままに受け入れる姿勢の先にもいずれ未来は明るいことを信じているのでしょう。
柴田さんの遠近両用のお話も面白いです。相手のいいところが見えにくい時は度数を変えてみる。長い経験でOKメッセージを楽しめるようになったら相手の未来まで見通せる眼鏡になっていた。なんて事を匂わせているんじゃないでしょうか。
渡辺さんのコラムの風景も娘さんの悩みに慌てているようで、心の底ではわが娘さんの本来のたくましさを信じているからこそです。母親の愛って真似できないですね。
このようにエピソードは、現在の悩みもいずれ訪れる晴れの日のための試練ととらえたら、意味があるものに見えてきますよね。そしてそのOKメッセージの陰には常に相手の未来の姿が出来上がっているのだと思いました。
そんな素敵なOKメッセージの楽しさは自分だけのものではなく多くの人に広げたいですね。
今日はあいにくの雨の日ですが、この雲の上にはあの素晴らしい青空が広がっていることを楽しく確信しています。
またご一緒できる日を楽しみにしています。
秋晴れの日さんでしたね。
秋がぬけてました。ごめんなさい。
いえいえ、OKもらって、うれしかったです。
コロナ後、淡々と仕事して褒められるような機会がなかったので新鮮でした!
渡辺様 『SF研修の最後に、「今日の感想をどうぞ」というと、こういう答えが返ってくることが少なくない。「プラスの眼鏡は、自分の心の余裕がないと、なかなかかけられないので、心の余裕を持つように、まずは意識していきたいと思います。」』がずっと、気になっていました。時効の話題かもしれませんが。SFは心に余裕のない時、追い込まれたとき、ピンチとおもっているとき、出番であると思っています。研修の時に受講者が余裕のない状態というのは、本人にとってSF実践には絶好のチャンスですね。心にに余裕のある時には既にそれが周囲に伝わっていて、あえてSFを意識する必要がないというか、実感しにくいかもしれません。ピンチの時のSFの実践方法はいろいろコメントのとおり多様とおもいます。SFをスキルと見た時、技は磨き続ける、繰り返し自分にたいしてOKメッセージを発し、うまくいってもいかなくても振り返り訓練をつづけて、それがあたりまえ化がありたい姿です。本間
本間さん、コメントをどうもありがとうございます。ずっとお気にかけていただいていたこともとても嬉しいです。
★SFは心に余裕のない時、追い込まれたとき、ピンチとおもっているとき、出番である
★研修の時に受講者が余裕のない状態というのは、本人にとってSF実践には絶好のチャンス
★SFをスキルと見た時、技は磨き続ける、繰り返し自分にたいしてOKメッセージを発しうまくいってもいかなくても振り返り訓練をつづけて、それがあたりまえ化がありたい姿
珠玉のコメントな気がします。本間さんのコメント内容は、「余裕がないとプラスの眼鏡は・・・」に遭遇した時、どのように相手の方にメッセージすればよいかの示唆をダイレクトに与えてくれました。「今、チャンスですよ」「訓練すればいつしか当たり前になっちゃいますよ」と。
本間さんがずっと考えていて言語化してくださった内容は、これまでの本間さんのご経験もあいまって深みを感じます。
時を越えてこうしてブログ内容に光を与えていただけることで、私は再認識ができました。今日という日をまた思いを新たに進むことができます。どうもありがとうございます。
記事の内容が、公開から時間がたっても話題になるのは嬉しいですね!本間さん、気になっていたことを流してしまわずに投稿してくれてありがとうございます。このブログには「時効」はありません(笑)!
あらためて、読んでみて思ったのですが、「心の余裕がないと・・・」と言う人も、余裕がある時にはSF的にできる(その経験も普通にある)ということをわかっているわけですよね。だけど「心の余裕がないと・・・」と言うのは、プラスの眼鏡とは反対のマイナスの反応が内側で湧いてくる状況をいやというほど体験することが多い日常の中に自分がいるという大変さを訴えているんだろうなと。
客観的に距離を置いてみれば、そういう余裕のない時ほどSF実践のチャンスというのは”真実”かもしれませんが、それを「できなさそう」と口にしている人にどう伝えるかというところにSF的なセンスが必要なんだろうと思います。こういう文章を読む時というのは、基本的に余裕があるときだと思うので、「なるほど、そういう時ほどSF!」と思える確率は高でしょう。でも、セミナーの最後の方の質疑応答でこういうやりとりをする時に、「確かにそう思うのが普通ですよねえ。でも実際にはね、そういう時ほどチャンスなんです。私の経験から言うと・・・」という返しでその”真実”が受け取ってもらえるかどうかは、その回答を口にする講師の「心の態度」がどのようなものかによるところが大きいと思います。(・・・あ、これは自分に向けて確認している文章になってきました・笑)
次の自分のセミナーでこういうコメントをもらったら、何と言うか・・・。質問者の個性とその状況によるのであらかじめ準備してしまうのはリスクがありますけど、基本線としては、「そういう時ほどチャンスなんだ」というファイナルアンサーは後から出すことにして、「心に余裕のない状態」ってどういうことなんでしょうねえ・・と、それにまつわる話を聴かせてもらった上で、一つの可能性として伝えるって感じかなあ。