快く生きる日々 No.4 渡辺照子

「あるものをいかす生き方」

 テレビを観ていたら、スウェーデンの建築家アンナ・シャンベルという女性が、レポーターみたいな方とやり取りしていた。

レポーター:

「あなたは既にあるもの、元々そこにあったものを活かすんですね。あまり手を加えないで。」

アンナ:

「ええ、最小限のことをして最大限のものを引き出すのが、よい建築家だと思います。(中略)これが現実だとあきらめるのではなく、理想の現実をつくりだす。建築家はその手助けができます。人々が抱える問題を、家のデザインを通して解決します。」

 山のふもとの農場の跡地にある古い廃屋を改修し、開放感たっぷりのアンナの家が映像で紹介された。廃屋の天井に空いていた大きな穴をそのまま生かして太陽が降り注ぐ天窓を設け、自然に溶け込んで家族皆がおおらかに暮らす素敵な家と暮らしぶりが紹介されていた。

 ソリューションフォーカスでも、「既にあるものをいかす」というのは、大切にされている捉え方であり、考え方であると思っている。私は、この「既にあるものをいかす」っていう考え方が大好きだ。私は普段は、コーチングのコーチをやっているのだが、コーチングの私のやりかたにも応用しているし、クライアントさんがより前進したり、解決を得たり達成するために、この考え方を共有したりもしている。

 ところで、「あるものをいかす」ことの良さって、どんなところにあるのだろう?

 先日クライアントさんが私に送ってきてくれたメールをご本人の許可を得て、一部ご紹介する。「渡辺さん、こんにちは😃。前回からの進捗報告です。ヨガの先生に修了証がもらえる講座情報お伺いメールした。(中略)自分で講座情報を調べた。候補が見つかったが、はたと気づいた。ヨガの先生になるのが目的でなく、動き出す元気を出すためにヨガプログラムをしようとしていたと。そこに力を入れすぎてどうする?今の私でもできるかも!周囲に、❝かつてしていたヨガのプログラムをしようと思っている❞と発信中!仕事に追われている昼休みです。」

 と、このメールから、既にそれが自分の中にある・身近にあると感じられて、安心感や余裕が生まれ、より行動的になっているのがわかる。忙しい昼休みの寸暇を縫って、私にメールするという行動までも起きているのだ。

 自己体験としても、こんなことがある。「コミュニケーションをより良くして、日々を楽しく」的な内容の講演をしに行くことが度々あるのだが、ある時連日忙しくて、その日の講演に行くための準備が7割までしか整っていなかった。じっくり腰を据えて準備する余裕は既にない。気持ちが焦る。空回りする。そんな時に、セルフトークが始まる。「おい自分、同じような講演を今まで何度となくやってきたじゃないの。今準備が完璧でなくとも、これまでやってきて積み重ねてきたものが、今日を上手く運んでくれるよ。心配しなさんな。」・・このように思えた途端、肝が据わりというか、腹が決まって、体の重心は、すーっと下へ下がっていく。

 「あるものをいかすのだ」と思えると、それの前と、そう意識できた後とでは、天と地ほどの心模様に大きな違いが生じる気がしている。前後の大きな違い・・・このことを思うと、とあるエピソードが思い出される。

 今は成人した長男が幼少の頃、空手を習っていた。近くに住む同級生のお母さん(Nさん)と、交代で練習場への送迎をしていた。自宅から、公道まで20メートルくらいあって、そこまで出て息子と二人で待っている。いつもの約束の時間になってもNさんがやってこない。刻々と時間は過ぎていっている。私はそわそわする。当時は携帯電話もなくて、「ねえ、Nさん遅いね。どうしたのかな? 家に戻って電話してくるから、ここで待ってて。」といって、家の方へ向かおうとしたら、息子が言った。「お母さん、信じようよ! 」。この言葉を言われて、一瞬私は固まった。幼いわが子からこんな風に言われるとは思ってもいなかった。でも、その直後この言葉を受け止めて、❝息子の言う通り信じよう!❞と思えてそうしてみた。するとどうでしょう~?! さっきまでのそわそわした感覚は全くなくなり、ドシンと落ち着いた気持で、Nさん親子の到着を待つことができ、待つ間の息子との時間も味わえた気がするし、やってきたNさんをニュートラルに受け入れ、息子を託し送り出すことができたのだ。この時の前後の違いは、あるものをいかせたと思えたときの違いと、とても近いものがあった。

 上記の体験から、私の中では、「信じること」は、「あるものをいかす」という意味を包含しているという風に捉えるようになった。自分の中で、信じることができれば、あるいは、信じる度合いを高められれば、あるものをいかしたときに伴う、安心感や余裕を享受でき、楽しさや幸福な瞬間を暮らしていくことに繋げることができる。

 この場合の「信じる」とは、さっきのエピソードで言うなら、「Nさん」という対象を信じるというよりは、「Nさんがやってくるということを信じる自分を信じる」みたいなことをさしている。信じるための条件は必要なく、❝自分の中で信じると決めること❞。ただそれだけ。信じる自分を信じられると、おのずと自分に対する自分へのまなざしが、優しくなるようにも思えるし、同時に自分の中の堂々とした何かを、自分の中心に据えることができるのだ。

 こじつけかもしれないが、信じるという、あるものをいかす姿勢は、冒頭のアンナの言葉、「これが現実だとあきらめるのではなく、理想の現実をつくりだす。」というところにも繋がってきて、日々のご機嫌度は格段に増す気がする。❝信じることは、日々を生きることの解決である❞・・・こう言ってしまったらちょっと言い過ぎかな。

快く生きる日々 No.4 渡辺照子” に対して8件のコメントがあります。

  1. 谷奥勝美 より:

    渡辺さんへ

     今回はちょっと肩に力が入ってましたね、笑
    でもそういう渡辺さんらしいタッチの表現がとても好きです。
    どことなく哲学的でもあり、青木先生が内科だとすれば渡辺さんは外科的に
    物事を進めるって感じかな。(全く個人的なイメージなので根拠はありません。深く追求しないでくださいね!)
     4つのエピソードの共通点は、すでに自分の中に備わっている”もの”に気付くという
    ことでしょうか。ふとした何気ないきっかけで気づくこともあるっだろうし、執着の心が
    先に立つとなかなか気が付かないことだってありますよね。そんなときには第三者の目も
    大切になってきます。4つのエピソードの場合、Nさんには渡辺先生であり、親子には
    お子さんであったり、自分自身であったのかもしれません。

     僕はある日のSFinsideDayに参加したときに確信したことがあります。
    それは、「答えは自分自身の中にある」ということでした。
    ある方とお話ししている中でその方の悩みの答えは僕の中ではなくその方の中に
    きちっとありました。でもその答えに気付いていないのか、自身がないのかという状況で
    心が迷っていたのだと思いました。そんなことは僕の日常でもいくらでもあります。
    でもそんなときに、自分の中にある”もの”に気付かせてくれる「きっかけ」「場」「人」の
    存在がとっても大切だと思っています。

     もう一つSFに交わる経験ですが、上記のような意味で僕にとって「SF実践コース」は
    自分の中にあるものを磨いてくれる良き「場」であり道場でありました。ある意味強制的に
    あのような鍛錬の場に入ることによって、”もの”を発見でき、見つめなおし、より強くする
    ことができたのではないかと思います。良き仲間と過ごせた時間も大切な宝物ですね。

     コラム冒頭のアンナとレポーターの会話にある
    「最小限のことをして最大限のものを引き出す」ということにも通じると思いますし、
    「これが現実だとあきらめるのではなく、理想の現実をつくりだす」という新しい視点の
    発見にも発展していく可能性があると思いました。
     実際、このような簡単な?言葉ですが、たくさん実績の積み上げのの結果なんでしょうね。
    SFの「既にあるものをいかす」という言葉も同じではないでしょうか。

     すいません、あまりのもコラムが高尚すぎて頭脳がフリーズしてしまいそうです、笑
    もう少し考えてみますね。楽しいテーマをありがとうございました。 つづく

    1. 渡辺照子 より:

      谷奥さん、こんにちは。いつもブログを読んでいただき、丁寧にコメントいただいてありがたく嬉しいです。返信が遅くなってしまいましたが、ここに改めて返信させていただきます。

      先日も、「僕はこうしてコラムを通していただいたテーマで考える機会をいただいたことが嬉しいのです。こうして皆さんと同じ舞台で考えることでいつしか自分も皆さんと同じように少しづつ雲の上の景色を楽しめる人になれたらいいですよね。」のようなもったいないお言葉も頂戴しました。SFブログをお読みいただいて、返信をお書きいただくことが、谷奥さんの豊かな暮らしの中に溶け込んでいるように感じられて、とてもやりがいを感じることができました。

      さて、ブログへのコメントの冒頭、「青木先生が内科だとすれば渡辺さんは外科的に
      物事を進めるって感じかな。」を読んで、爆笑してしまいました。根拠はないですがいい得ているようにも感じられ・・・。

      「自分の中に答えがある」それがあると信じられるためには、谷奥さんがおっしゃるように第三者的存在や、気づかせてくれるものが要るということですね。はい、確かに私もそう思います。また、実践コースのことを、「”もの”を発見でき、見つめなおし、より強くすることができたのではないかと思います。良き仲間と過ごせた時間も大切な宝物」とお受け止めくださっていることがとても嬉しいです。講師の藤沢さんもきっと喜ぶだろうなと思います。谷奥さんが実践コースでの日々で、「最小限のことをして最大限のものを引き出」し、「これが現実だとあきらめるのではなく、理想の現実をつくりだす」ということにチャレンジし、実感を得られたのだとも思えてしみじみしています。

      谷奥さん、生活の場はすごく離れているのですが、同じ土台に生きている感覚を味わえております。これからも共に磨き合い・喜び合いをよろしくお願いします。

      1. 谷奥勝美 より:

         こちらこそよろしくお願いいたします。コラムをお読みでコメント欄にはご登場でない方もたくさんいらして、おそらく皆さん同じ舞台でもがきながら人生を楽しんでおられるのでしょうね。
         照ちゃん先生の生発信に期待が高まりますね😊

  2. 渡辺照子 より:

    谷奥さん、いつも読んでくださり、そして、思いとエネルギーのこもったメッセージを
    ありがたく頂戴しております。谷奥さんからのメッセージが、ブログを記す意欲に
    繋がっています。 谷奥さんがお送りくださったメッセージに改めて返信を
    させていただきます。 秋晴れの当地ですが、御地はいかがですか? どうぞ
    秋を楽しんで、日々お快くお過ごしくださいませ。

    1. 谷奥勝美 より:

      渡辺さんへ

       照ちゃんにとってはお仕事の秋。お忙しいでしょう。返信は慌てないでくださいね♪

       僕はこうしてコラムを通していただいたテーマで考える機会をいただいたことが嬉しいのです。こうして皆さんと同じ舞台で考えることでいつしか自分も皆さんと同じように少しづつ雲の上の景色を楽しめる人になれたらいいですよね。

  3. シオタリョウコ より:

    ❝信じることは、日々を生きることの解決である❞
    渡辺さん、言い過ぎではないと思います。私も同感です。

    これまで生きてきた中で「”自分を信じる”ことがテーマだな…」と、思う出来事がが何度もありました。
    ・今の自分を信じる⇒(できること)(できないこと)がある自分を信じる⇒それが『自信』

    と思っています。だから”信じることは、日々を生きることの解決”は、すんなり心に入ってきました。
    私にとっては「自己肯定感」と似ているのかな?
    そんな人たちが多くなれば、世の中優しい世界が広がるのではと思っています。
     

    1. 渡辺照子 より:

      シオタさん、コメントをどうもありがとうございます。言い過ぎかと思ったところを共感していただけて、しかも、根拠をしっかり示して共感していただけて、とても心丈夫というか嬉しくなりました。自信につながりました。共感・OKメッセージは自信に大いに影響することを、シオタさんのコメントからあらためて実感いたしました。

      谷奥さんがおっしゃっていらっしゃいますように、自分の中にあるものに気づいて、自信が持てるようになるためには、それに気づかせてくれる第三者的存在が不可欠で、その第三者のOKメッセージは、とても好影響を及ぼしてくれるのだと、
      シオタさんの関りによってわかりました。

      「私にとっては『自己肯定』と似ているのかな?」・・・のところに関することでちょっと記したいことがあります。

      私の知人が、とある本からの抜粋として教えてくれたのですが、
      自尊感情・自己受容感・自己効力感・自己信頼感・自己決定感・自己有用感の
      6つのうち一つが大きく揺さぶられると自己肯定感が下がってしまうのだそうです。

      で、私は思うのですが6っつのうちのどれか・あるいは複数が、大きく肯定的に
      揺さぶられると、自己肯定感が高まるんかな、と。(照)

  4. シオタリョウコ より:

    ご返信、ありがとうございます。
    この”ザ・リアル”ブログのコメントを通して感じていることがあります。

    それは、「私がOKメッセージと意識せず、自分の感じたことを書いたことが、相手がOKメッセージと受け取ってくれている」ということです。

    今回の渡辺さんのメッセージにもそれを感じました。それを読んで、今後は私が嬉しくなって、まさに「自己有用感」とか「自己信頼感」につながるのかな…と思いました。
    6つの言葉、ありがとうございます。「自己有用感」はあまり使ったことなく、しかし意味を考えると確かに!大切な感情というか感覚。

    狙ってはいないのだけど、シンプルに自分が”感じたこと”をそのまま伝える。
    「考え」ではなく「感じたこと」を言われると、私自身心に響くと感じるので、逆も言えるのかもしれない…。なんて考えました。

    いつも考えるきっかけをありがとうございます。4人の方のブログを通して、自分を深く見つめる機会になっています。

    今日も素敵な一日を❤

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA