SF伝道者の四方山話 No.21 青木安輝
”Good afternoon!”の衝撃
いやあ、本当にドキッとした体験でした。
今年の5月のオランダ、アムステルダム中央駅でのことです。スキポール空港に向かう電車の時間を知りたかったのですが、駅地下道の案内表示を見てもどの電車に乗ればよいかよくわかりませんでした。すると前方のインフォメーション・ブースに中年の女性がすわっているのが見えました。ホッとして近づいて、電車のことを質問し始めたときのことです・・・
僕の質問がまだ途中なのに、いきなり強めの声で“Good afternoon!”とカットインしてくるのでした。表情はグッドアフタヌーンという言葉に似合わない硬い感じで、声の調子は生徒を咎めている学校の先生のように響き、なぜか上目視線(僕にはそう見えました)・・・
僕の身体はビクッと萎縮反応したものの、その後の会話はビジネスライクに知りたい情報を得るという目的を達して終わりました。彼女の表情は最後まで硬いままでした。
僕の心の声:「お愛想ゼロ!よくこんな偉そうな態度で旅客相手の仕事してるな!?」
そして「ただの機嫌悪いおばさんなんだ」と思おうとしたり、笑顔でへりくだってくれる日本の優しいサービスをこっちの人に期待してもダメだと考えたりと、最初は相手を悪く捉えようとする思考が先行していたんです。ところがですね、少し時間を置いて落ち着いたら「もしかするとこのことから僕が学ばなければいけないことが何かあるのかも」と考えてみる余裕が生まれました。
あの女性の態度はあきらかに僕個人へのメッセージが込められている気迫があったので、僕がしたことで彼女に対して何かネガティブな意味あいのメッセージを送ったことがあるとしたら何だろうと考えてみたんです。彼女があえて硬い表情でしかも責める調子で“Good afternoon!”と言ったということは・・・
そっかー、「ちゃんと挨拶くらいしてから質問しなさいよ。私は機械じゃないんだから!」という指導の意味あいのメッセージだったのかと思ったら、癪に障るけど何だかしっくりきました。確かに僕はいきなり質問したもんなあ。でも言い訳させてもらうと、自分としては困った顔を見せて「困ってます、助けてください、よろしくお願いします」と表情で訴えていたつもりだったから、いきなり感はまったくないつもりでした。これ日本人的なのかな(笑)。でも現地の文化では相手に敬意や親しみを表すような挨拶をしてから用件を言うのが普通の礼儀なのかもしれないと考えてみたのです。
それは考え過ぎかなとも思ったのですが、その後現地の人たちがそういうサービスの人とのやりとりをするのを観察してみると、最初はGreeting(挨拶)を交わしてることが多いのがわかりました。“How are you, today?”って。日本では案内係の人に、「すみませんが」とは言っても「今日はお元気ですかぁ?」とは言わないですよね。でもこちらでは用件より先に相手個人に対して関心を示したという証、「あなた」という存在をちゃんと認識してますよというOKメッセージとなる言葉(greeting)を交わすのが普通なのか!?
僕は悪気はなかったし、「お手数おかけしてすみませんが」的な気持ちはあったけど、基本的には用件を済ませたかっただけなので、「あなたとお話しさせてください」という意識はなかったなあ。現地の人々もそこまで意識しているかどうかはわからないけど、サービスをする側にいるか、受ける側にいるかは関係なく、対等に敬意を払うってことを最初の社交的やりとりで示すのが無意識の内に当たり前になっているのかなと思い至りました。
そうは思ったものの、これは僕が勝手に創り上げてしまったストーリーかもしれないという疑念を拭い去れず、その数日後に会った友人(エジンバラ在住の英国人)に尋ねてみました。出来事の説明と僕の解釈を伝えた後で、「彼女はそういう意味(サービス提供者であろうが、まずは人として扱って挨拶をしてくださいという指導)でその対応をしたのかな?」と。そう尋ねながらも半分は「それは思い過ごしだよ(笑)。ただ機嫌が悪かっただけじゃないかな」という回答を期待していました。そうであるなら無意識にしろ僕が失礼なことをしたことにはならないので、そっちだといいなと思ったのです。ところが、その友人夫妻は揃って「多分あなたの思った通りです」と言うのです。「オランダ人は結構ストレート(きつい)だからねえ」と優しく添えて。
これはめっちゃショックでした!
以前もサービスの人に軽口をきく欧州の人々を見ていて、「ああ、なかなか如才ないな。良い感じだな」くらいは思っていたのですが、逆にそれをしない自分は「相手をただの用事を済ます相手」としか見ていない、人間扱いしていない(大袈裟!?)と思われてしまう可能性があるなんて!異文化コミュニケーションについては、ある程度経験もあるし、自分はうまく海外の人たちに合わせているつもりだっただけに・・・。
結局、本当のところはその当人に確かめることはできないので、真相はわかりません。しかし、この「“Good afternoon!”の衝撃」をきっかけに色々振り返って気づいたことがあります。
日本人同士でのことですが、一旦仲良くなったのに、どうしてかわからないうちに相手が僕から離れていくように感じたことが今までに何回かありました。僕は人当たりは結構良い方だし、人の話しはちゃんと聴く方だし、人を見下したりしないし・・・と思っていたのですが、気づかないところで相手の人にとっては失礼に当たることを結構しているんだろうなあと。相手の「個人的文化」と僕の「個人的文化」の差異に気づかずに、相手を怒らせたり、悲しくさせたり、見下した感じを出してしまったりしたことは、きっと相当あるのでしょうねえ・・・(嘆息)。そしてその相手はきつく”Good afternoon!”を言ってくれることはなく、ただ静かに去ってしまった。よく考えてみたら、自分もそうしているなあ・・・。
アムステルダム駅のあの案内係の女性には本当に感謝しなきゃいけないなあと思います。自分は“普通のことをちゃんとやっている”とか“相手に気を遣った”と思っている時こそ相手の反応をよく見なきゃいけないですよね。異文化の谷間は異国に行かなくも、今となりにいる人との間にもあるのだから。
今度ヨーロッパに行く時は、案内係の人に”How are you, today?”って話しかけるのが楽しみになってきたぞ・・・いや、待て、ヨーロッパとひとくくりにしちゃいけないな。今回のはあくまでもアムステルダムでの一つの体験なんだから。また違うところに行ったら、そこの人たちがやることをよく観察しよう。うん、学んだ教訓はそれだ!
青木さんへ
「名探偵、青木安輝の推理日記」
オランダでのオロオロした数日間(もしかして今でも?)はとても衝撃的且つ貴重な体験だったようですね。旅の出会いは一期一会。真相は謎のままの方がサスペンスで面白いのかもしれませんね。
しかし、それをそのままにせずに地元の人々の行動やご友人の証言をもとに真実に近づこうとするところが、”青木さんが青木安輝であり続ける理由”なのかなあって勝手に想像しています。
しかし、お客様に面と向かって言い放つその女性もすごいですね。確かに青木さんの仰るように”文化の違い”と解釈するのが一番しっくりくるようです。
私の場合(ホテル送迎)に置き換えてみます。「送迎はホテルの玄関、顔」と自覚し、おもてなしを基本とする社風のもとでは、例え傲慢なお客様であったとしても、お客様の立場を尊重したり、居心地を優先させた対応を心がけることが大事とされます。私自身、そうすることが正しいと勝手に思い込んでいるところもありますが、この2年間にトラブルが発生していないところを見ると、間違いでも無さそうです。
一方、”立場が対等である”ことを前提とした場合、彼女のように面と向かって言い放つのも理解できそうです。私にはまだまだ鍛錬が必要な部分でもありますが💦
人は皆?自分が正しいと思いながら行動しているようですが、このような自分の狭い常識を否定されるような異文化体験も時には必要な事だと気付かされます。周りの人達の意見や考えも尊重しながら、本当に大切なものは何なのかを考えるきっかけにしたいと思います。ありがとうございました。
追伸、CEL9月号、待ち遠しいですね!
おっくん、コメントありがとう。名探偵・・・というより迷探底ですかね(笑)。僕は小さなことを見つけて、そこからストーリーを創り上げてしまうのが好きで、いつもカミさんに笑われます。街でみかけた見知らぬ人のちょっとした仕草を取り上げて、「あの人は・・・という背景の人で、今~~ということがあったから、あんなことしたんだ」と一瞬のうちに勝手に自分の想像をそこに当てはめてしまいます。ま、よく言えば想像力が旺盛。でもそれが悪い方に働くと、考え過ぎ(´;ω;`)ウゥゥ
ただね、「勝手なストーリー」とひとくくりにしちゃったけど、直観的に何か本当にそこにあるものを感じた場合と、ただ勝手に物語をつくってしまう場合と、その両方が混ざっている場合とあるんだと思います。人間コミュニケーションの機微をソリューションフォーカスという考え方周辺で感じ分けて、言葉にして、いろいろなものを結び付けて仕事にしてきて、多くの人に受け入れられたわけだから、この性格もどっかで役に立ってんだろうと思います。
さて、オロオロ感はさすがにもうなくなってしまいましたが、そのアムステルダムの日からしばらくは確かに何だかモヤモヤする感覚が続きましたね。でもきっとそういうのは何か自分にとって意味があることだからなんだと思っています。そう思うと、あれこれ心の底を探って迷う・・・まさに迷探底になるんですよ。人間て、自分を率直にバーンと出してしまうことができる度合いがぜんぜん違うじゃないですか。アムスのおばさんなんかはそれができる人だったんだろうなあと思います。僕なんか出せない(場面による)方なので、出せない分だけ考える方に入ってしまいます。「バーン」の人から見ると、まだるっこしい感じがするだろうと思います。でも、まあそうやってこの人生楽しんでんのかな。「バーン」の人にあこがれる時もあるけど、最近はこういう風にあーだこーだ考えて楽しむってのもいいよ、タダだし!って思ってます(笑)。
たしかに、モヤモヤにも意味があるんですよね!これも受け売りしちゃいますね。
今朝、風邪の診察で診療所に来てますが、さすがに「おはようございます。ご機嫌いかがですか?」とは言えませんでした😅
夏風邪?お大事に~