快く生きる日々 N0.20 渡辺照子
「友の母がずっと行きたかった尾瀬、
友がずっと連れていってあげたかった尾瀬」の話
夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬 遠い空
霧のなかに うかびくる やさしい影 野の小径
水芭蕉の花が 咲いている 夢見て咲いている水のほとり
しゃくなげ色に たそがれる はるかな尾瀬 遠い空
私は尾瀬の麓の山里に生まれ育った。
この5月27日~29日、私は友3人を、遠く関西と北陸から尾瀬への旅に招いた。ちょうど水芭蕉が咲く頃。ぜひご案内いたしたいとかねがね思っていたことが実現する。
5月初旬の或る日、3人のうちの一人、桐ちゃんから、「母も連れて行って良いか」と相談があった。彼女がそう言うには、こんな理由が。
今は関西に住んでいるけれども、実は群馬県に住んでいたことがあったそうだ。彼女が小6のとき、家族で尾瀬に行く予定だったが、彼女のご機嫌が悪すぎて中止になったそうだ。それ以後何度も、お母さんは、「あぁ、尾瀬に行きたかったなぁ」とつぶやいたのだそうだ。あまりの申し訳なさに、「夏の思い出」の歌をきく度、心の奥でズーンと黒くて重いものを感じていたのだそうだ。当時の彼女にとって、関西から尾瀬は、「遥かで遠すぎた」ようだ。そんな彼女、中学2年の冬に、新聞配達員の広告を見つけ、地道に尾瀬費用を稼いでお母さんを尾瀬に連れて行こうとしたそうだ。きっと喜んでくれると信じて、内緒で実行。ところが、1か月半くらい経過したころで、ちょっとしたよそ見から、電柱に激突し、川に自転車ごと転落。左ひざにガラス片が突き刺さり、6針縫う大けがをしたそうな。当然お母さんに知れてしまい、こっぴどく叱られて、彼女の計画は、終了してしまったのだそう。
お父様がひと月ほど前に急逝し、半年以上前から計画があった尾瀬。彼女は行くのを中止するよりも、むしろ、お母さんを伴って、一緒に行こうと決意したのだ。お母さんは79歳。22キロの山道を歩いていくとなると、時はいつまでも待ってくれない。このチャンスを捉えよう!と彼女は決意したのだと思う。
私は、その思いを受け取り、何とか彼女の想いが実現するのを手伝いたいと思った。私の実家は宿屋なので、前日から来ていただいて、実家の宿に泊まってもらった。尾瀬行きの前日、実家近くにある吹き割れの滝を見に行った際、彼女のお母さんの歩く様子を私は観察した。❝明日、安全に、お連れできるだろうか❞という視点を持って。正直、絶対大丈夫と思えるご様子ではなかった。友人には、その見立てをそれとなく伝えたうえで、現地へ行ってみて難しそうなら引き返そうと打ち合わせていた。
当日は、絶好のハイキング日和。もし、到達できれば、きっと水芭蕉が美しく咲くのを見ていただけるのだが。
今回ご一緒の友人の二人には、別の友人と来てくれているグループの方々と、往きは一緒に行っていただいて、私は、桐ちゃんと、桐ちゃんのお母さんと三人で、ゆっくりじっくり歩みを進めた。鳩待(はとまち)から尾瀬ヶ原への片道22キロの道のり。最初は、石がゴロゴロしている階段状の道をひたすら下る。段差は一歩にしては大きく、私自身も足元がおぼつかず、膝にきそうな道の状態。昇ってくる方々がいて、どうしても縦列にならなくてはいけないとき以外は、横に並んで、足の置き場など、お伝えしながら、丁寧にゆっくり進んだ。階段状の山道を下りきって、いよいよ尾瀬特有の木道続きのコースに入るころ、友人がお母さんに確認した。お母さんには、ここで引き返す意思はなく、「行くよ。」と当然のごとくきっぱり。お母さんのその明るく言い切ったご様子から、私も覚悟を決めた。地元に暮らしている姉からは、無理をしてはいけない。最悪、ヘリコプター救出というケースもあるからと伝えられてはいたが。
私が先頭を進み、友人はお母さんの後を。木道の状態が悪いところもあるので、チェックして、いちいち言葉で、「段差あります。ご注意ください。」と、手に持っているスティックで、箇所を指し示しながら進んだ。
時折立ち止まっては、新緑のその優しい緑を味わったり、至仏山の残雪を眺めたり、シャクナゲの淡いけれど主張のあるピンク色に圧倒されたり、可憐に咲く山桜に癒されたりしながら、それらを3人で味わいながら進んだ。
途中、ほんの一瞬のことだったが、お母さんは足を踏み外し、左右の木道の間に転がって、身体がはまってしまったことがあった。私はもうとっさにお母さんの上半身を抱きかかえ、でも無理に動かすと、身体を痛めてしまうかもしれないから、冷静に慎重に対処しようと努めた。しかし、私たちの心配をよそに、お母さんは、「何でもないよ・大丈夫!」と。桐ちゃんにうかがってみると、お母さんは若いころに二種目の運動を掛け持ちしてやっていて、しかも、国の大会の上位に食い込むほどのスポーツマンだったらしい。だからであろうか、とても柔軟なお体の持ち主でいらした。とても79歳とは思えないほどに。
そうして私たちは、山ノ鼻小屋に無事到着。おにぎりをほおばったあと、いよいよ尾瀬ヶ原へ。山々の新緑が湿原の周りを囲んでくれていて、見渡す湿原には、水芭蕉やリュウキンカがそこここに咲き、尾瀬に抱かれているなと感じさせてくれるところまで行ったところで、私たちは記念写真を撮った。それも、何処からかおじさんが現れて、「私はあなた方の写真を撮るためにここにいるよ。ハイ撮りましょう!パチ」。後から考えると、あれは桐ちゃんのお父さんが、母の願いを汲んで想いを果たした娘と、見事に尾瀬に到達した妻を、祝福しにいらしたのではないかと思えてきた。とある登山者のいきなお申し出を、私たちは受け取った。
復路を安全に進むためには、来るとき以上に慎重さも要る。湿原にそう長居はせず、帰路に就いたわたしたちだった。帰りは、先に到着していた二人と合流し、5人で帰ってきた。実は、一緒に帰りを歩いてほしいと私が二人にお願いした。往きの時には、とにかく二人に尾瀬を堪能して欲しくて、先に行ってもらった。しかし、帰りは無事に桐ちゃんのお母さんを登山口までお連れしなくてはならないという気負いもあった。私は二人にあえて頼った。頼った友人二人はとても頼もしく、今度は、友人の一人が先頭を行き、木道の状態を逐一口頭で伝えてくれた。私は、帰りは桐ちゃんのお母さんが木道を外れないよう、できる限り反対側の木道に渡りつつ、手をつなぐ方が安全を確保できそうだと思うところは、手をしっかりつないで歩いた。お母さんの後ろは桐ちゃんが見守り、そしてもう一人の友人は、桐ちゃんのお母さんのリュックサックを背負って、しんがりを努めてくれた。まさに、5人が一つになって、ゴールに向かっている気持になった。途中で出会う人や追い越す人も、桐ちゃんのお母さんに声援を送ってくれた。
これはとてもびっくりしたことだが、桐ちゃんのお母さんは、自分がとてもつらいのに、道行く人を励ますのだ。その気力がどこから出てくるのかと思うほどだが、笑顔で大きな声で、本当はかなりご自分がつらいはずなのに、声援を送る。私は、今回の旅で一番感じ入ったのは、この部分。自分がつらくても、自分だけを見つめるのではなく、周りの人を応援する気持ちで生きる。この姿勢を、生涯持って生きることこそが豊かな人生を生きることになるのだということを学ばせていただいた。
朝の登山口、最初は石ゴロゴロで足元がおぼつかなかった。帰りはその逆、足元がおぼつかない、石ゴロゴロのところを、今度は昇り続ける。手をつなぎ、「イチ・ニ・イチ・ニ」と掛け声をかけながら、桐ちゃんのお母さんも声を発しながら。
そうして、とうとう、私たちはゴールに到達した。桐ちゃんも桐ちゃんのお母さんもとても嬉しそうで、友人二人と私もその様子をとても嬉しく満たされた思いに包まれて、そこにいた。
桐ちゃんが旅から戻って、私にしたためてくれた手書きのお手紙の一部抜粋。「旅から戻った翌日は雨の中、傘をさして歩く母の写真が妹(お母さんと同居なさっている)から送られてきて、『朝から自分で布団を畳んで、自分で服を選んで着て、顔も洗ってシャキシャキしてたよ。(中略)尾瀬とお姉ちゃんのおかげで、よみがえり~』と書いてありました。尾瀬を歩いたこと、楽しくて、嬉しくて、誇らしい気持ちは、母の中に確実に刻まれたようです。晩御飯の時、皆さんから祝福をいただき、母は涙していました。こんなに幸せそうな母を見ることができ、私も心から嬉しく思いました。母がずっと行きたかった尾瀬、私がずっと連れていってあげたかった尾瀬、尾瀬の旅は、母と私、そして妹、天国の父にとっても、宝物となりました。」
ああ、何ともいえない気持ちだ。桐ちゃんの想いを応援できたこと。桐ちゃんのお母さんとの間に芽生えた友情みたいな気持ちを味わえたこと。友人たち皆で、ゴールに向かったそのプロセスを味わえたこと、あれから2か月半経つのに、情景は新鮮なままで、思い出す度、快い気持ちになる。
さて、時は8月初旬。遥かな尾瀬は、今どうしているかなぁ・・・。短い夏、訪れる人びとに、涼やかな景色と風を届けて、毎日皆に喜ばれているんだろうな。来年また、尾瀬を訪れてみようと思う。
*この記事内容の掲載を桐ちゃんに承知していただきました。
いい話をありがとうございました。
尾瀬の湿原は、500m位の距離を、木の板に乗りながら、簡単に見て回れるものだと
思っていました。22kmのトレッキングコースだったのですね。知らなかった。
岩場もあり、登山道もあって、相当な難所。70代の私もお母さんに乗りうつる
気持ちで読み進めました。
桐子さんの後悔、お母さんへの思いが温かく伝わります。そして見守る照子さんの気持ちも。
お詫びのつもりの新聞配達、中学生のすることだから、事故も怪我もあるあるですね。
お母さんは、娘への心配と、余計なことをしてという怒りと、娘の気持ちを知った上での
温かい気持ちと複雑な思いをしたのでしょうね。
何十年も感じていた負い目を、ここぞというタイミングで、恩返ししたいと思いつき、
それを照子さんやお仲間がお手伝いして実現できた。この日のために、あの日の
出来事があったのかと思えます。
母の矜持といいますか、年をとっても母親は子ども達には負けない、世話にはならない
という気持ちがあるように思いました。精一杯の力を使い果たしても、弱音も吐かない、
その姿に、私も年じゃない、しっかり生きようと強く感じました。
きよしさん、コメントをどうもありがとうございました。
ブログ文の中に、娘の想い、母の想い、そして、筆者の私の想いを
見事に汲んでお読みくださったことが伝わってきて、嬉しい限りです。
最近読んだ本に書いてあったのですが、「対話というものを、望まないストーリーに
傷ついた心や、家族のナラティブに縛られている心を癒す体験として位置付ける考え方が
あるのもうなずけます。そして、そのような癒しの対話は、聴き手が全面的に
『curiosity(関心)』を持って臨んでこそ、可能になるのです。」と。
きよしさんの私の文章の読み取り方の中に、「curiosity(関心)」を私は感じ、
だからこそ、文章の書き手である私が、きよしさんのコメント文を拝読して、
すがすがしさや、❝自分、それでいいのだ~。❞っていう思いに至れるのだと思いました。
「矜持(きょうじ)」という言葉、素敵な言葉ですね。意味を調べたら、
「堂々と誇りや自信をもって行動する。(中略)同じような言葉としてはプライドや
自尊心などがありますが、矜持はこれらの言葉より重みがあるものです。」と。
私は、7月8日に、きよしさんが弦をかき鳴らしつつダンスをなさったその立ち居振る舞いの中に、「矜持」を見出し、とても勇気づけられました。きよしさんを見習って参ります!
素敵なお話ありがとうございました。
桐ちゃんさんとお母さんの長年の夢が叶って、本当に良かった~!
と思いながら読ませてもらいました。
照子さんやお仲間のように、応援し見守り、協力してくださる存在のありがたみも感じました。
1人では出来そうもないことも、周囲のサポートや見守りがあれば叶えることができる。
そういう関係性の中で生きていくことが人生を豊かなものにしてくれるし宝だなぁと
改めて思いました。
そして、わたしは尾瀬に行ったことがないので、来年あたり行ってみたい気持ちが
むくむく湧いています!
かよちゃん、コメントをどうもありがとうございました。
「本当に良かった~!」のお言葉に、
かよちゃんがどんな思いでお読みくださったかが伝わってきて、
ありがたく嬉しいです。
「1人では出来そうもないことも、周囲のサポートや見守りがあれば叶えることができる。
そういう関係性の中で生きていくことが人生を豊かなものにしてくれるし宝だなぁ」
かよちゃん、私もそう思います。
今後自分一人ではできそうもないことを
かよちゃんとやって、叶えていきたい気持ち満々です。
これからも、よろしくお願いいたします。
それから、尾瀬へ共にまいりましょう~!
お声かけさせていただきます。
尾瀬道を思い出しながら、湿原に着くまでの山道をみなさんが登られる様子、ドキドキと読ませていただきました。無事に尾瀬を満喫できた五人みなさんに祝福ですね!!
「山を行く人たち其々に人生ドラマがある」そう思いながら、私は山を歩きたくなりました。声かけや、差し出す手など(いや、私が差し出される方かもしれません)に血が通いそうだと思いました。すてきな体験共有をどうもありがとうございます^^
こばちゃん、コメントをどうもありがとうございました。
お気持ちを寄せてお読みくださって嬉しいです。
こばちゃんには、山歩きの体験があるのだと、
お言葉尻から何となく伝わってきます。
こばちゃんも、日常的に自然に触れられる環境がお好きでしたよね。
そういう環境、自然に触れ、人に触れ、私たちが心地よく生きるには、とても大事だと私は思います。
そういう良い環境にきっと暮らすこばちゃん、存分に日々を味わってお過ごしくださいね~!
渡辺さんへ
体験談ほど人を鼓舞するものは無いですね。
「やり残したことは無いかなあ」と振り返って
みることにします。そして人を魅了して止まない
尾瀬の本当のパワーも教えて頂いたようです。
ありがとうございます。
「はるかなる尾瀬」
青空のように潔い
風のように爽やかに
ひとつの思いで繋がる
けなげな乙女たちがいる
自分のためなら愚痴になる
母のためなら勇気が出る
友のためなら知恵が湧く
やることが見えたら力が出る
夏が来れば思い出す
誰の心にも夏が来る
きっとここにもあそこにも
あなたの尾瀬が待っている
そうさ、今がチャンス!
そうさ、今だから出来ること
そうさ、今しかできないこと
その勇気がきっとある
僕にも、君にもきっと
あの乙女たちのように。
2023年夏 おっくん
おっくん、コメントをどうもありがとうございます。
おっくんは名詩人。
おっくんの感受性は、ほんと、研ぎ澄まされていますね。
ブロガーの方々にいつもコメントしてくださっていますが、
他の方々に対するコメント文、言葉のチョイスからも、秀逸なセンスを感じ取っております。
勝手な想像なんですけど、
おっくんはその昔、ヨーロッパの宮廷作詞家だったとか、
あるいは、日本のその昔に、和歌の撰者さんをなさっていらしたのでは
ないかなあ。よくぞ、想いを見事にお言葉にお載せになられるなあと。
おっくんの詩の中に、自分と自分の仲間たちを見出し、
なんだか涙が目に浮かんできます。
2023年の夏、まだ暑さは夏を維持していますが、
もう間もなくすっかり秋の入り口に立つであろうと思われます。
時の有限さを思いつつ、私も勇気をもって、やろうとしていることに
向き合って参ります。
おっくん、いつもエネルギーを与えていただき、
どうもありがとうございます。
私は皆さんからいただく勇気という霞を食べて生きているようなものです。ですからあなたの心に流れている純粋さが私の心を動かし言葉になるのですね。その純粋さをいつまでも絶やさずにお願いいたします。合掌
おっくん、ご返信ありがとうございます。
ってことは、お互いに食べたり食べられたりしているってことでしょうか?
繋がって生きているってことですよね?
それはすてきなことですね~。
ありがたいです。
❣️
山を歩いていると、出会ったかたどうし、必ず「こんにちわ」と声をかける、下りの方が登りの方の邪魔にならないようにいきちがう。その瞬間、一体感安心感の場を5感で思い出させていただきました。一人で山登りをするかたもありますが、仲間で見た景色程感動するものはありませんでした。ただただ目的地に安全に到着するために、チームの体力や天候や足元に注意していると、普段の生活の雑念はどこかにしまわれます。そんな時間空間を共有させていただきました。
本間さん、コメントをどうもありがとうございました。
以前に、皇海山のことを書いたとき、登山をなさっていらしたとコメント
いただきましたね。
「出会ったかたどうし、必ず『こんにちわ』と声をかける、下りの方が登りの方の邪魔にならないようにいきちがう。」
7月に縄文杉にあいたくて、屋久島に行ったのですが、
その時に、まさに本間さんが書かれていた上記のことを目の当たりにしました。
ほとんどの組が、山岳ガイドさんについて歩いていましたが、
それぞれのパーティーをリードしている、その山岳ガイドの皆さん同士が、
本間さんの書かれていたルールをしっかり守って、私たちを導いてくださいました。
一緒に登る仲間、他の登る人びと、下る人々が一体感を味わう登山という体験。
本間さんが味わっていらした、「仲間で見た景色程感動するものはありませんでした。ただただ目的地に安全に到着するために、チームの体力や天候や足元に注意していると、普段の生活の雑念はどこかにしまわれます。」という体験を、今後もなんらか機会を見つけて、私も味わっていきたいと思っています。というのも、屋久島に行くために登山靴を新調したので、履くチャンスを作らなければ、靴に申し訳ない気がするので。☺
本間さん、登山のお話、ぜひ今後もきかせてください。登山は、人が生きる上で
大切な学びを包含している気がします。