「あるもの」をつなぐ No.22 シンイチロウ
メンバーがイキイキと話していた、あの「朝会」をもう1度!
No21の記事では、チュウさんが突然異動願いを伝えてきたエピソードを書きました。理由はアリオカさんから傷つくようなことを言われていたことが理由でした。記事を書いた後もいろいろありましたが、今は落ち着きをとりもどしつつあります。この一件でぼくは気付かされました。
思い返してみれば、4年前まではチームメンバー同士はうまくやれていた訳ではありませんでした。各メンバーから他のメンバーの悪口を聞かされることも多かったんです。周囲からの評判も良くなかった。
チームの結束が高まったのはコロナ以降です。仕事の仕方がリモート中心に変わって、リモートでありながらも毎朝顔を合わせる「朝会」をやり始めたおかげで、いろいろな話題、メンバー自身のことについて話し合う機会ができました。それまでお互いのことを知るほど話す機会はなかったんです。少し不謹慎かもしれませんが、コロナという危機がメンバー同士がわかりあう機会を提供してくれました。
こうして「朝会」というベースキャンプを拠点として、成果という山頂にアタックし続けるチーム運営ができるようになりました。ぼくは、このままうまく進んでくれたらいいなと期待していました。チームはこの4年で奇跡的な成長を遂げられたと思いますし、周囲も同じ評価をしてくれています。
「朝会」という場がうまく機能してきて、メンバー同士の助け合いが生まれたりして、チーム力が高まったことで安心していました。
「チーム力が高まったところで、次のステージに行こう!」
だから、ぼくはこの1月から朝会のやり方を「なんでも話してよい時間」を短縮して「業務中心の報連相の時間」へ比重を少しずつシフトしてきました。業務の質とスピードを上げるためです。
しばらくはうまくいっているように見えたのですが、5月、6月ころにアリオカさんの仕事が雑になっているのを感じました。全社案件のプロジェクトでコミュニケーションが一方的となり、それにより他メンバーや部外からも不満の声が上がっていました。
「あれ?なにか調子が狂ってきたような気がする・・」
もう4年が経っています。そして様々なことが変わりました。7月からチームが所属する本部も変わっています。あるメンバーのお子様は中学3年生から大学受験を迎える年頃になっています。40代後半になって生理的な変化に悩まされている人もいます。年齢を重ねることで将来への不安が高まっている人もいる。ぼく自身もそう。次のマネージャー育成と人材確保が大きな課題としてのしかかり、待ったなしの状況になってきました。
以前の朝会は、こうした変化をその時その時メンバーが話し、メンバー同士がわかり合える時間を大切にしていました。それによってメンバーはチーム全体がどんな状況かを知り、その上で発言や行動をしていた。今も大切にしているつもりですが、なんでも話せる雰囲気が薄くなっていると思うし、ぼくが業務を重点に朝会を回していることをメンバーが感じとっています。
チュウさんの異動希望の一件でいろいろ振り返ってみて気づいたこと。チーム(組織)というのは複数の人の集まりなんだなということ。チームが1つになって目標達成のために動いていくには、集まっている人たちが互いにわかり合う必要があるんだなということ。当たり前のことかもしれないけど、ぼくはチーム運営の中で体験することができました。
もう1度初心に帰り、わかり合う場としての「朝会」を再起していきたいと思います。
メンバーがイキイキと話していた、あの朝会をもう1度!
小林さんへ
『メンバーがイキイキと話していた、あの「朝会」をもう1度!』
なんとも力強いタイトルです。小林さんの心意気そのままですね。
心に原点を持つ人は本当に幸せなのかもしれません。しかもその原点がメンバーの中にもDNAとして組み込まれているはずと信じてみたいですね。
昔聞いた言葉に「富士山がきれいに見えるのは、頂上に風が吹き荒れているからだ」とあります。組織も同じだと思います。みんなが仲良く安定しているのは一見よく見えますが、実は落とし穴があるのかと。いつも個性がぶつかってザワザワしていても、いざという時に結束できればいいですよね、と勝手なことを思い浮かべながら自分の職場に当てはめています。お互いに頑張りましょう。
ちょうど今読みかけなんですが、青木さんの取材記事が載った大阪ガスのCELという季刊誌の中に、露木さんという方の取材記事に小林さん達のような雑談タイムの大切さが記述されていました。やはり雑談朝礼は自然のうちに人を結びつける力が備わっているんですね。つい嬉しくなってしまいました。
おっくんへ
お返事遅くなりました!
いつもチームを応援してくれてありがとうございます。力強いタイトルと感じてくれて嬉しいです。
成果を高めるために朝会を変化させようとしましたが、ちょっとやり過ぎたようです。生活も仕事もひっくるめて、その時の気持ちを自由に話せる朝会は、チームがひとつになるために大事な場であったんだなと改めて感じしました。
チームメンバー同士が気持ちを知りあう、わかりあうことで、『チーム』の気持ちが安定する印象があるんです。メンバーは気持ちにゆとりができて落ち着いて仕事ができるようです。チャレンジする意欲も湧いてくる。ぼくもその様子を見て気持ちが落ちつくし、安心感があります。癒される時もあります。
ご紹介いただいた青木さんの記事のように、雑談朝礼は自然のうちに人を結びつける力が備わっているんだと思います。
新商品発表会のプロジェクトがスタートして、慌ただしくなってきました。アリオカさんが今回も奮闘してくれているので、また記事にしたいと思います!
これは仮説ですが、放課後デイサービスの子供たちの様子を振り返って思ったことがあるので書いてみます。
子供たちは自由で元気です。特に1、2年生は自由奔放です。衝突しながらも一緒に楽しく過ごしています。一緒に時間と場所を共有していると瞬間瞬間がコミュニケーションしているので朝会の必要も無さそうですね。
本来はそれが自然なんだけど成長するうちに社会のしがらみや枠の中に身を置くうちに不自由になって、その不自由さも感じなくなるような。しかし、その枠が自分を成長させてくれるのも事実のようです。
そしてどこかでその不自由さに気がつく出来事に遭遇した時に「朝会」なる手段やソリューションフォーカスという手法の心地よさにも気づくことになるのでしょうか。本来本能として持っているはずの能力を外部からの知識として再発見するのも面白い展開ですよね。
*あくまでも仮説のお話でした。
おっくんへ
返信遅くなりました!
デイケアの子供達の様子を共有いただいてありがとうございます。楽しそうな様子が伝わってきました。子供達は本当に自由奔放ですね!
「どこかでその不自由さに気がつく出来事に遭遇した時に「朝会」なる手段やソリューションフォーカスという手法の心地よさにも気づくことになるのでしょうか」
そうかもしれません。朝会はなんでも話して良い時間なので、心地良さはあると思います。
とてもとても気づきがあったので、思いついたまま書きます。ちょっと長くなってしまいました。ご容赦くださいませ。。
うちの目の前が小学生の通学路なんですね。それで毎朝毎夕、子供達が虫を見つけたり、追いかけっこしたり、う⚪︎ちきったね〜とか大声ではしゃいでいる様子を見ていて、自分もこんな事やってたなあ、楽しかったなあなんて思い出したりしてます。
その時感じたことを感じたままにやったり、言ったりしてるだけなんですけどね。大人でも、感じたことを感じたままにやったり、言ったりできれば、楽しいし、ストレスもたまらなくていいんでけどね。力も発揮しやすい気がします。
ぼくはココをすごくすごく大事にしてます。感じたことを表現できることが一番大事。組織だったら感じたことを「表現しあえる」と良いです。そう思います。
一方で、組織の中で共通言語になってる言葉や型を使う場面があります。そのほうが仕事がしやすいんですね。
ぼくは押し付けられた型に自分が感じたことを合わせるのは苦手です。抵抗感もあります。だけど、仕事を会社の成果へつなぐために必要なので、仕方なく型に合わせます。
これ、合わせられる人と合わせるのが難しい人がいるんですよね。簡単な例だと、アリオカさんは会社に8時までに来ないといけないところをどうしても来れないんです。
「会社で決まっているんだから、きまりを守ってください!社会人なら当たり前のことですよ!」
と言ってもダメなものはダメなんです。頑張ったけどダメでした。でも、アリオカさんのリソースを活かしながら、受け入れられる環境づくりをすることもできます。ここでSFの登場です。おっくんが教えてくれたのはこのことなのかなって思いました。
SFのコンセプトは一つかもしれませんが、手法は人の数だけあります。その手法をクリエイトしていくことにこそSF実践の醍醐味があり、ぼくら現場の腕の見せ所なのかなって思います。
思いついたこと、思ったまま書いてしましました。皆さんはSFをどのように捉えているんでしょうかね。特に組織で働いていてSF実践されている人に聞いて見たいなあ。
おっくん、振り返る機会をありがとうございました。