SF伝道者の四方山話 No.24 青木安輝
「アプリシエート」誕生!
新しいプログラムが生まれました。ここ数年ずっと構想を練ってきて先月第1回目を開催した「アプリシエート」です。これは青木流のソリューションフォーカスが隠し味として活かされてますが、誰でもが参加できる「自分語りを聴き合う」ワークショップです。今、本当にやって良かったと思っています!
アプリシエートという言葉の意味は「よさがわかる、おもしろく味わう、ありがたく思う」です。僕自身も進行しながら参加者の一人で、北海道、北陸、関東近県、関西と全国各地から集まってくれた8名の皆さんと一緒に3日間「自分語り」をし、それを聴き合いました。「認め合い、学び合い、応援し合う」のSFスピリットで進行するので、笑いも涙もありながら基本的に暖かい雰囲気の中で人生への色々な想いが交錯し、お互いにインスパイアし合いました。
僕の両親が住んでいた木造の昭和家屋(築47年!)をこの会場にするために、開催までの数週間はカミさんと縁側や玄関の床板磨き、障子の張替え、イスなどの家具や茶飲みセットの調達、庭に花を植えるなど、色々な準備をしてきました。自分が深い想いを込めたプログラムを新たに提供するにあたって、それを良いものだろうと信じて遠くから来てくれる皆さんが気持ちよく過ごせるようにしようと思うと、いつもの大掃除以上の作業なのにまったく苦になるどころかむしろ楽しくできました。
どんな雰囲気なのかは、こちらのアルバムをご覧ください。
僕自身これを通じて自分自身の重要な変化を感じましたし、参加された皆さんがそれぞれの言葉で参加した意義について語ってくれました。開催後2週間たってからのアンケートに書いてくださった言葉を引用しつつ、「アプリシエート」の意義について思うところをお伝えしたいと思います。
(以下の文章中「 」の中は、収まりを良くするために語順や語尾を若干変えた以外は参加者の皆さんの言葉をそのままいただきました。)
会場は東京駅からJR中央線特別快速で1時間ほどの八王子駅からバスに30分弱乗る八王子市西部の住宅街(僕が子供の頃は農村)で、決して交通至便なところではありませんし、特別自然豊かで風光明媚なところでもありません。さて、そんな会場ですが、皆さんどう思われたのでしょうか?
◆会場に関する感想を教えてください。
「座敷や縁側のある家に入ってみると大変心地よくて、懐かしい実家に帰ってきた感覚になれました」
「安心感やほっこり感、落ち着きが、他では得られないもののように感じました」
「畳に寝ころび手足を伸ばす解放感、目に入る天然素材の天井はおばあちゃんの家に来たような懐かしさ、縁側で感じる陽ざし、これらの感覚によって過去や大切な人のことが思い起こしやすくなった気がします」
◆そんな場所で自分語りを聴き合う3日間の体験をして何が良かったでしょうか、その意味あいは?
「⽇常から解放されて、⾃分について気を削がれずに向き合う時間を持てた」
「自分の人生や大切な人について集中して考えたり、感じ直したり、心の動きを観察する期間・時間を得ることができた」
「他の参加者お一人おひとりの歴史や心の動きに触れることで、どの人も様々な環境のなか懸命に生きてきたこと、今も生きようとしていることに深く感動した。一生は一瞬で過ぎ去ることと、しかしとても重みがあることを同時に思った」
「他人の人生を垣間見ることで、そこから学んだ本質的なものは頭の片隅に残る。そして、それは自分が似たような状況になった時、自分の人生の転換の引き金の一つになるだろうと思う」
◆その結果、どのようなことを感じるようになったのでしょう?
「自分が大好きなことが何か沢山見つけた・出会えた」
「ありがたい、大切という気持ちが自然とこみあげてきた」
「よい人生を生きてきたと心から思えるようになった」
「無理をして頑張ることが良いことではないと思えた」
「実現したいことを言語化して声に出すことで、奥底にある思いを再確認できた」
「自分を再確認できた。変えたいな~と思っていた部分が、実は強みや良さでもあったり、他の方が求めているものでもあるというグッドポイントをOKメッセージから受け取りました」
「普段なら、単に『起きたこと』として終わってしまう事も、もう一歩突っ込んで、次の『物語』を作ろうとするマインドに目覚めた」
「人を大事にしてあげたいという気持ちであふれてくることに気付いた」
◆参加後に気づいた自分自身の変化はどのようなものでしょうか?
「心に余裕ができた」
「小さなことにも感謝できるようになった」
「毎日を大切に過ごそうと考えている」
「パーソナルなことに関する自分の思いを人に伝えるときの抵抗感が以前より減った」
「自分の幸せを第一に考えて良いのだと思えるようになった」
「苦手なものとは距離を置いて、『今』の自分の快適さを優先させる」
「不安に飲み込まれず、何とかなると自然に思えた」
「無理をし過ぎない、自分を過小評価しない思考に切り替わった」
「これが意味することは何だろう?と考えるようになった」
「もうダメだと思っても、面白い人生を過ごしたいのなら、『これでおしまい』ではなく、『でも、これをやりたかった』という気持ちを捨てないこと。意外ときっかけや別の道のきっかけが現れることがある」
「多分、⼈は⼈。⾃分は⾃分という意識が⾼まり⼈を操作しようという気持ちが薄れたのではないかと思います。また、そう意識することで、⾃分がしたいこと、⼤事にしたいことが⼼の真ん中に座っている感じで気持ち良いです」
「将来の漠然とした不安から解放され、今に感謝できるようになったことで、やりたいことを先延ばしにしなくなった」
「自分はこれまでの人生を通して、自分で生きる力をつけてきたのだと思えた。だから、これからいろいろな事があっても大丈夫だ、なんとかできると思えるようになった」
「のんびりしたいとばかり思っていたが、これまでに得たものを世に還元することも考えるようになった」
「『両親よりも幸せになることに躊躇する気持ち』は必要ないと思えた」
「一人でいることは孤独だ、誰かとつながらなければ~という感覚が薄れ、自分は一人が好き。一人を楽しんでいるという事を再確認した一方で、人との交わりにも喜びを感じる自分も発見した」
開催するまでは、自分が意図したようなプログラムになるのかどうか不安がありましたが、上記のような素敵な感想をいただきホッとすると同時に、多くの方にこの機会を提供したいとあらためて思いました。
アンケートの最後の方にある未来に向けての質問への回答には、「⼈⽣が軽やかになり、⾃分の中の⾃信が湧き上がってきている」「⼼が喜ぶことをして⽣きていく」「自分のステージで勝負する」「これまで褒められたこと、キラリと光る部分を大切にしようという認識が鮮明になった」などの言葉が並んでいて、読んでいる僕の心も軽やかな感覚で満たされました。また、最後のまとめの言葉としてこんな表現をされた方もいます。
「(以前は)⽼後の不安が常に付き纏い、アクセルとブレーキを同時に踏むような気持ちでがんじがらめになっていたのだなと思いました。何か出来事が起きた時にどちらかを選択すればよいし、何も起きないのに不安を意識することはないのだと腑に落ちました。⼼が軽くなったのは本当にありがたいです」
「アクセルとブレーキを同時に踏む」という表現は、僕も含め多くのミドルエージャーがときどき心の中で感じていることを代弁しているのではないでしょうか。人生を謳歌するためにエネルギーもお金も使ってガンガン前進したい、だけど健康や経済状況が心配だからやめておこう・・・そんな反対方向の気持ちを同時に感じてしまい、自由に動けていない感覚になることってありますよね。しかし、アプリシエートに参加したことで「加速したい時はする、止まる必要があるときは止まる」と、人生のアクセルとブレーキ両方の本来の機能を適切に活用する方向に意識が変化する方が多かったようです。僕自身そんな感覚があります。
また、アンケートには「とても良かった!」ということだけが書かれているわけではなく、「私自身のアプリシエート参加の目的が達成されたかどうかは、今のところ答えはでていません。しかし、このプログラムに参加する前後で、いろいろな出会いや気づきを得ました。これもアプリシエート参加の効能であると思っています」という回答もありました。
これは非常に大事なことだと思います。
僕自身今回“参加”してみて思うのは、アプリシエートの3日間はそこでピーク体験をするためにあるのではないということです。むしろ、参加前に自分の人生に関する様々な角度からの振り返り(プレセッションワーク21)を始めることや、参加後にいろいろなことを新鮮に感じたり、味わうための「意味のある自問」が継続することで、自分という存在の価値をゆっくりとアプリシエートし続ける、そのために3日間のメイン・セッションがあるのだと実感しました。燃えさかる炎ではなく穏やかな遠赤外線のようなものでしょうか。ある参加者の方は「アプリシエートはじわじわと効いてきますね♪」と嬉しそうに感想を述べてくださいました。
僕はアプリシエート期間中は、「わあ、みんなが集まってこんな風に語り合い、聴き合うっていいなぁ♪」という想いに満たされていましたが、自分に関して特に大きな気づきがあったような気がしていませんでした。ところが、終わってからアプリシエートについて人に話している時に、色々な気づきがあったり、自分の想いを確認したり、他者に対する自分の捉え方を自覚できたりと、アプリシエートについて話すたびに発見が増えました。数人で集まって、お互いの話しを聴き合うというだけのシンプルな体験ですが、3日間のその集中的な体験は種となって、自分の人生に関する問いと回答を更新し続けてくれる源になり得ると確信しました。
プログラムとしては、まだまだ改善の余地も進化の可能性もありますが、第1回目に参加してくださった皆さんのおかげで、僕が構想してきたことは間違いではなかったことが証明された気がして、本当に嬉しいです。どうなるか誰にもわからなかったものに勇気をもって参加してくださった皆様に心底感謝いたします!今回の体験は僕の2023年のハイライトであると同時に、これから先に自分が注力したい方向を示す道標として光を放ってくれています。
人生経験からくる実感を語り、気持ちよく聴き合う、そして自分自身をアプリシエートするって、下手な観光とかするよりもずっと面白いんじゃないかな!v(^ ^)
青木先生へ
「アプリシエート」の誕生、おめでとうございます。
まだ青木先生の最終章ではないと思いますが、着実に本懐に近づいているようで羨ましいです。
①「アプリシエート」が喜んでいる
アプリシエートの意味について「よさがわかる、おもしろく味わう、ありがたく思う」とあります。最初は国語辞典を引いた時のように「あ~なるほど」わかったつもりになっていたようですが、今回の第一回目の取り組みに参加された皆さんの声をお聞きして本当の意味での「アプリシエート」に出会えたような気がしています。きっと「アプリシエート」自身も喜んでいるのではないでしょうか。
②プロ魂(職人技)
宝物はもともと誰の胸にも存在しているものと信じています。
でもそれは見ようとしないと見えてこないこともあるし、見つけ方も決まった形はないのかも知れません。また、自分ひとりの眼では偏った見方しかできないのかもとブログを読んで思いました。
青木先生は、それをこれまで積み上げてこられた理論と巧みな技術に細やかな配慮を組み合わせて一つのプログラムを作り上げられました。それは「職人技」と言い換えると理解しやすいのかもしれませんね。数年に渡る構想はもとより事前の取り組みや場の雰囲気づくりに至るまで最善を選択しながら創り上げる姿勢は奥様共々プロ魂を感じるのであります。にわかSF研修の私は到底及ぶところではなく、だからこそこれからも先頭を走っていただきたいと羨望するものであります。
③人生の応援歌
参加していないのでイメージになります。同じ「認め合い、学び合い、応援し合う」場であっても研修やソルでの観点とアプリシエートでの観点では少し違うように思われました。
簡単すぎますが、研修やソルでは参加者がある取り組みを行うことで他者からのOKメッセージを受け取り、肯定されることで次に進める(局部から全体に広がる感じ)ことを促していく。
アプリシエートはその人の人生や生き方そのものに光を当てて、これまでの人生やを振り返りつつより実りある生涯へと昇華していくような雰囲気が感じられます。(全てをありのままに受け止めて再発見する)
無二の親友と語り合うようなそんな心地よい空間なんだろうなと思いを巡らしています。
④感謝
これは全く独自の解釈です。配信メールで最初に「アプリシエート」の記事を見たときに感じたのは、当時の私が日々の生活をFBに投稿する中で湧き出でてくる充実感と符合するものを感じたことです。そのことで私自身の生き方がが肯定されたようで勇気づけられる思いを感じたことを思い出します。日々の記録や振り返りと文章化はまさに自身を肯定的に捉える上でもとても大事な要素だと再確認する次第です。もちろんSFブログがそれを支えてくださっていることも間違いない事実です。皆さんに感謝しながら今年最後のコメントを締めくくりましょう。1年間ありがとうございました。良いお年をお迎えください😊
おっくん、詳細なコメントありがとうございます!なんだか小学生のときに担任の先生が「青木くん、君がやってることは素敵だね♪それ大切なことだよ!」と言ってくれたような気がして、素直に「やったー!」と思える感じです v(^^)
「アプリシエートが喜んでいる」って思ったことなかったけど、言われてみればそんな気がします!こいつ待っててくれたんだって。
「プロ」という言葉には僕はコンプレックスを感じてしまい、自分に対してその言葉を使うことはありませんが、ある意味、僕がやってきた青木流SFは「素人が素人と一緒にやれる」ということを大事にしてきた気がするんですよね。そういう意味では、そこを大事にする第一人者(他に知らないだけ・笑)かもしれません。
参加していないのに、アプリシエートの意味あいをイメージしてくれるって嬉しいです。「今より前に進む」という結果はあるかもしれないけど、前提はむしろ「前進も反省もしなくていい」なので、確かに「ありのままにうけとめて再発見」により近いと思います。お見事なイマジネーションですね。それぞれの「人生の応援歌」が聴こえてくるといいなあと思ってやってます。
日々の気づきや自覚した想いを言葉にする、そして誰かにうけとめてもらうっていうのはと~っても人間らしい営みなんじゃないでしょうかねえ。今はそれをネット上である程度できるので、その回路の方が合っている人にはとても便利で良いですが、生で話すっていう回路の方が合っているという方にはそういう場が必要で、そのようなワークショップになっていると思います。しかし、最終的には聴いてもらって終わりではなくて、話した後の自分の中のリアクションや聴いた人のリアクションなどを総合的に感知して、さらにまたその先を深めていくような志向があるなら、もう最高のプログラムだと思います。
おっくんも良いお年をお迎えくださいね~!!
実は②プロ魂のところで消去した文章があったんです。それは
「(職人)と言ってもその風体からは”良き兄貴”って感じなんですけどね!」と。
やっぱ自他ともに認める”素人が素人と一緒にやれる”人が一番お似合いのようです。よかった❣️
雪上キャンプで風邪ひかないでくださいね♪
「良き兄貴」いただきました~♪
ありがとうございます。
キャンピングカー移動してると、ぜんぜん年末感なくてさ。今日が大晦日って感じがぜんぜんしない。今は兵庫から鳥取に向かう高速道路上。雲が厚くて、今日はこのあと雷もあるかもしれないって。明日の初詣が雷(神鳴り)を聴きながらだったらもしかして最高かも(笑)