SF伝道者の四方山話 No.8 青木安輝

人間的曖昧さとデジタル的正確さ

こんなタイトルにしたけど、最後は人間的曖昧さに軍配を上げたいという内容ね(笑)。

コロナ禍でオンラインと頭につく試行が増え、その便利さや斬新さ、またその課題や欠点が毎日のように様々な媒体で取り上げられている。僕もオンラインの便利さから多大な恩恵を受けているけど、困惑することも多いし、適切にしっかり使いこなすまでにはまだまだ課題が山積みだ(汗)。そんな中、SF教材動画をつくる中で考えたことを書いてみたい。

オンラインで色々なサイトにアクセスする際、2回目以降はパスワードが自動入力されて便利だったりするけど、手入力しないといけない場合は、ドット(ちっちゃ~な黒い点)一つが抜けても絶対受け付けてくれない。大文字と小文字が一つ違うだけでもダメ。そんな時、これって人間だったら「ああ、○○のことですよね」と絶対わかってくれるのに~ってイライラすることがある。その無慈悲な融通の利かなさ(正確さ)ゆえにシステムとして成り立っていることは重々承知だけど・・・

一方で、人間が曖昧さの中から意味を見つける能力ってすごい!夫婦の間では、「ほら、あそこのアレが変わったよね」みたいな表現でも、「これは今朝話題にしていた駅前通りの、二人でよく行く店の看板が派手になったことを言ってるな」と、わかっちゃう!コンピューターにこの文章の意味を正確に当てさせるには、かなりの量の二人の過去の行動や会話のデータを入力しないと無理だろう。

ここまで前置きね。いつもながら長くてゴメン・・・(汗)

研修やセミナーをオンラインに切り替える中で、ソリューションフォーカスの動画教材を何本も制作した。最初は対面でやっていた内容を60分~90分の単位でいくつかに分割して、パワーポイントもほぼそのままで動画に置き換えただけのものだった。多少ぎこちなくても、本来対面でやることの一時しのぎの代替品だから仕方ない、と心の中で言い訳しながら作っていた。最近、YouTube的感覚でさらに短時間の動画をつくる必要にせまられ、そんな古い感覚ではオンラインの恩恵を十分に活かせないし、対面での生コミュニケーションでは聴き手側の寛容さにかなり助けられていたことに気づくきっかけとなった。

YouTube動画は短くないと見てもらえない。数分に一回「おっ!」と新鮮な動きを入れないと視聴し続けてもらえない。そんなセオリーに従って動画制作しようとすると、意味の塊を明確に短く区切って、ムダな言葉をなくし効率よく伝える必要がある。それを試みる中で、今まで自分は対面セミナーでなんと多くの“ムダな”言葉を弄していたかとわかった。一枚のスライドでよくこんなにしゃべっていたなと。

また、動画制作をするようになって気づいたのは、画面に顔がアップされてしゃべると、頭をかくとか、乾いた唇を湿らすために下舐めずりをするとか、ちょっとした言い間違いや活舌の悪さとかがやけに気になる。対面の講演や研修だと、そういう“ノイズ”はよほど気になるものでない限り、聴く側が自動的にスルーしてくれているのだと気づいた。(スルーしてくれない人もいるけどね・笑)

また、イメージとして頭に浮かんだことを言語化するプロセスをつきつめきらずに、微妙につじつまが合っていない表現をしていることがあるのにも気づいた。こんな表現でよく講師をしていたなと。対面の場合だと、身振りなども交えて「ここに意味があるんです!」という雰囲気を醸し出すと、多分聴く側が耳と脳をその波長に合わせて意味補正してくれていたんだと思う。聴衆の「なるほど」という頷きの何割かは、講師の話術の質の高さというよりは、聴き手側の(ほぼ無意識の)補正能力に負うところが多かったのだと悟った。過去の受講者の質問の中に、僕の言葉が足りていないところを見事に補って、質問という形で意味の確認(補正)をしてくれていたものがあったことに思い至った。

つまり、対面セミナーでは僕が「うまく話しができた」と思った場合でも、かなりノイズが混ざっていて、しかも音程をはずすことがよくある歌みたいなものだったのに、聴き手が雑音排除&音程補正のフィルターで聴いてくれていたのだということが客観視できた。ありがたや~。

だから反省して話し方をもっと洗練するぞと言いたいのではない。ここから先が大事!

そういう雑音交じりで音程もはずれる歌なのに、聴いている人が「いい曲(セミナー)ですね」と言ってくれたのは何故か。多分、聴き手側の意識の中に“原曲の美しい響き”が存在していて、僕の歌の端々にそれと響き合う部分があると、その内なる美しい響きにリンクさせて補正しながら聴いてくれたわけだ。では、人は聴き手になる時、誰に対してもそのような好意的フィルターをかけて補正するかというと、そんなことはないと自分の経験から思う。だから、僕が講師として長年仕事をすることが可能だったのは、「この人の話しなら“補正”して聴いてあげてもいいかな」と無意識の内に思ってもらえる何かがあったんだと思う。

それは何だったのか?多分、オンラインコンテンツで画像と音声をきれいに整えるという方向で完璧なものをつくっても生まれない何かなんだと思う(ってか、思いたいのかな)。人と人が“生”で相対するときに、そこに目に見えない何かが流れる。それは画面を見る時には生まれないものだ。そして、言葉が正確に話されているかどうかとは別次元で、この人が伝えたいことはどういうことなのかと、曖昧さの中から意味をくみ取りたくなる気持ちが刺激されることで生まれる何かがある。「あれ」や「それ」が何を指すかわかってしまうような“高度な”人間的意思疎通は、「短くて正確でわかりやすい言葉と映像」とは別次元で重要なことだ。もっと言えば、デジタルに置き換えられるものは生存(生活)を支える手段としては大事だけど、生きる喜びっていうのは、曖昧なものの中に響き合うものを見つけようとするところに生まれるのではないかな。

このブログ記事のタイトルも内容も多分に曖昧なものだけど、わかってもらえるかなぁ?

SF伝道者の四方山話 No.8 青木安輝” に対して19件のコメントがあります。

  1. 柴田 篤 より:

    青木先生 拝読しました。ありがとうございます。

    「水清ければ魚棲まず」と、己が胸の内で、唱えてみます。

    1. 青木安輝 より:

      柴田さん、早速のコメントありがとうございます。さすが、簡潔にまとめてくださいましたね(笑)。
      0か1か、YESかNOか、そういう整理が可能なことと、それができないことが相俟って世界は成り立っていますけど、「清く」しきれないところが排除されないように気をつけたいなあと思います。

  2. 諏佐政宣 より:

    青木先生 大変お久しぶりです(多分5~6年ぶり?)。相変わらず面白い事言ってるなぁと思いながら拝読しました。今、この時代だからこそ人との接点・記憶が如何に残すか残されるかが大事になってきたと思ってます(過去も大事でしたが)。青木先生・藤沢先生・渡辺先生と培った日々は今も私の心の引き出しの上部に置いてあります。今回は何気なく書いてみたい気持ちになって投稿しました。これからも頑張ってください!

    1. 青木安輝 より:

      諏佐さん、確かに「お久し」ぶりですね!「相変わらず面白い事言ってる」と思ってもらえたことがすんごく嬉しいです。「SF実践コース」の記憶を引き出しの「上部」に置いてもらっていることも本当に嬉しいです。「ふと」書いてみたい気持ちが湧いたらいつでもコメントしてくださいねえ。お待ちしてます♪

      1. 渡辺照子 より:

        諏佐さん、お久しぶりでございます。共に学び合いをさせてもらった日々が、諏佐さんのお心の引き出しの上部に置いておいていただけていると知り、とても嬉しい気持ちになっています。あの共に学んだ日々、諏佐さんの話されるお言葉から、諏佐さんの状況を全身で感じ取って、諏佐さんがより良い方に・より前に向かうために、自分に発することのできるメッセージは何だろうと一心に思っていたと、当時を思い出しています。時を経ても共に学び合った日々を引き出しに入れておいていただけていることが嬉しくてたまりません。

  3. シオタリョウコ より:

    青木先生、激しく同意!笑
    私自身も仕事に対して思うのです。
    その人の(あり方)(生き様)が言葉や表情、醸し出す雰囲気、言葉にならない何かに現れるのでは…と。

    私がSFに魅力を感じるのは、青木先生や初めてのSF講座講師の渡辺さんからそれを感じたからです。
    *先生方から直接(生き方)を話されたわけでもないけど…笑

    ここ最近、私は…
    世界の平和を願い祈るとともに、心の動揺を感じつつも(今、生きている幸せ)を感じることが大切だ…。
    こんな日々の思いが自分を作り、これからの何か(仕事)に繋がるのだと思って今日も生きています。

    1. 青木安輝 より:

      「それ」を感じてくださったことがありがたいなあ。
      シオタさんとはまだ対面したことないけど、オンラインSF基本コース以来もう何度も会っているような気がしちゃってます。場合によっては、オンラインでも「それ」を感じることができるのでしょうね(笑)。

    2. 渡辺照子 より:

      シオタさん こんにちは。シオタさんがSFに魅力をお感じになる周辺に、私のようなものを置いていただけることが、嬉しいです。シオタさんがそうおっしゃってくださるのと同様に、シオタさんから私も言葉では言い表せない信号といいますか薫りをキャッチしています。何か通じ合うようなものが既にあるような感覚です。ですので、セミナーの日の朝は初対面でも、夕方には、旧知の関係であるかのように思い、一日が終わってのお別れの時間が、名残惜しいような感覚になるのでしたし、明日から現実の世界で実践して、またここへ戻ってきてくださいね~って言う感じで、近親者を送り出す気持ちになっていました。ということで、青木さんがおっしゃる、「デジタルに置き換えられるものは生存(生活)を支える手段としては大事だけど、生きる喜びっていうのは、曖昧なものの中に響き合うものを見つけようとするところに生まれるのではないかな。」という文章に同感しますし、シオタさんの存在は私にとって、生きる喜びを感じ合うことのできるありがたい存在なのだと思えます。

  4. 前田 真一 より:

    お久しぶりです!
    私はオンラインでの研修の時は、対面での研修の時よりもOKメッセージを多く出すようにしています。同じ空間にいない分、言語的なOKメッセージも非言語的なOKメッセージも必要性が高まると思って、日々研修の参加者と向き合っています。

    1. 青木安輝 より:

      前田さん、このコメントをいただいたことも僕にとってはOKメッセージになってます。ありがとうございます!
      対面だとさりげない仕草でもOKサインを送れるけど、オンラインではより明確なOKメッセージが必要でしょうねえ。前田さんのはきっと良い研修になっていることと思います!

  5. 深山敏郎 より:

    青木さん
    動画、私もチャレンジしてみました。言葉尻に加えて自分の顔のアップに耐え切れませんでした。(笑)でも、いいですよね。SFを広めていくためにも、動画賛成。

    そして、「多分、聴き手側の意識の中に“原曲の美しい響き”が存在していて、~~」という表現、なるほど!でした。

    1. 青木安輝 より:

      深山さん、ブログをしっかり読み込んでくださってありがとうございます!
      僕も表情にはすごく気を使うようになりましたねえ。冬は唇が渇くので、よく舐めてしまうのですが、カミさんにこれを注意されました。録画する時はリップクリーム必須!!
      ”原曲の美しい響き”という表現は、自分でも気に入ってます。本当にありがたいことだと思います。

  6. 春の気配 より:

    “原曲の美しい響き”もあると思いますが青木先生のお人柄に全幅の信頼を寄せて補正(無意識だけど)することは一緒にセッションしている気分になると感じています。
    この記事を読んで「写ルンです」がエモいと再評価されていたり、デジタル作品にフィルム写真やレコード盤で聴く音楽のようなゆらぎをあえて入れ作るのを思い起こしました。
    数字の羅列のように正確で整然としたものにも美しさはありますが自分で補正をかけるものには能動的になり魅力を感じますよね。

    1. yasuteru より:

      春の気配様、初コメントありがとうございます!
      「人柄に全幅の信頼を寄せて補正(無意識だけど)することは一緒にセッションしている気分になる」というところを読んで、素敵な表現だなあと、今日はこちらがセッションに参加させてもらった気分です(笑)。
      「補正をかけるものに対して能動的になる」というのも、非常に的確な表現だと思いました。逆に言えば、補正をかける必要がないものは味気ないのかも。
      ぜひ、また色々思ったことをコメントお願いします!!

  7. おっくん より:

    青木先生へ

     1回目さらりと通したあとに
    「居心地がいい」が浮かびました。
    人間の曖昧さが心地良いのでしょうか?

     手の中のsiriも最近は「鶏を揚げたのを売ってるところ」のような曖昧?な表現でもちゃんと検索してくれることがあるけど、優れたAIならもっとすごいんだろうな。コンピュータの目指すのも人間の曖昧さなのでしょうか。

     そう言えば「晩のおかず適当に買ってきてよ」とメールで頼まれるけど、適当と言っても頭の中では、好みとか、昨日と重ならないとか考えてはいるんです。
    しかし、買って帰ったら「何でこんなん買ってきたん」と愚痴を言われる😅「それなら(あれ、それでなく)最初からちゃんと品物の名前を書いてくれ」とあなたの頭の中のメニューをデジタル的表現にしてほしいと😁
    あれ?あまり居心地良くない話でした。

     2度目を読んで10数年前の感動を思い出した。それは一本のデジタル動画。

     ザクロスでSF実践コースに参加し始めた頃の話です。Tさんのチーム作りの体験をJ-SOLで発表しているビデオを事業所全員で見る機会がありました。
     そこには、紛れもなくひとつのチームとなり、歓喜し躍動した姿が映っていました。そして観ている人もまるで自分が体験したかのような錯覚に陥ったのです。当時、倉庫業務の私は「あの壁の向こうでこんなことが起こっていたのか」
    「ひとりの熱い志がこんなことを起こすのか」と驚いたことを覚えています。

     このビデオはもちろんデジタルですが、「チームって良いなあ。ひょっとしたら自分にもこんな真似ができるんじゃないだろうか」と勇気をくれるものでした。
     そしてそこにはSFとはこういう定義だとか、OKメッセージとは何ぞやという説明もありませんが、今思うと全てがそこに収められていたのではないでしょうか。
     先日の「解体新書」のように、受講生が欲しているテーマのお手本を観ることで、視聴した側に生まれる何かを解体説明しながら、或いは大切に育ててもらえるとありがたいようにも思いました。

     結局、青木さんたち講義は答えを押し付けるのではなく、自分自身で発見させて伸ばすお手伝いをしてくださるので
    「居心地がいい」空間を感じさせるのかもしれません。

    夜明け前でいい加減なことを書いてしまいました。

    1. 青木安輝 より:

      おっくんも思考拡散型だよね(きめつけ・笑)。SF関係者には、自他の意識を自由にさせることに喜びを感じる人が多いので、僕もそうだけど思考拡散型の人は一大勢力になっていると思う。

      Z社の初めてのJ-SOL発表は本当に素晴らしかったよね。スイスの名コーチPeter Szaboさんも感動して目を潤ませていたし。ああやってちゃんとストーリー仕立てしたものを受け取るとすごい話だとわかるけど、実際には壁一枚隔てたところにいる人には何もわからないところで目立たないように進行している・・・世の中には、すぐそばに存在してても気づかないことは沢山あるんだろうなあ。それを発掘することは大事だよね。

      おっくんが僕たちのSF伝道では「押し付けるのではなく、自分自身で発見する」をよしとしていると”認定”してくれたことが嬉しいです!それは本当にSFの中心的な価値だと思います。最近あるメーカーの動画教材をつくる過程でそこのSF教育を受けたマネジャーさんたちのインタビューをしたんだけど、「つい『~すればいいんだよ』と言ってしまいそうになるのをこらえて、『どうすればいいと思う?』と問いかけることで生まれるモノがある」と証言する人が何人もいました。

      思考拡散型の人は思う以上に世の中に多いと思うけど、「余計なこと考えたり言ったりしてないで早く結論を言いなさい教育」に順応する過程で、「つまらないけど必要なことを短く伝える」スキルが身につき過ぎて個性を忘れてるかもしれない・・・あ、また拡散しそうだ・・・おっく~~~ん、ちょっと出かけてきま~~~~~す………..

      1. おっくん より:

        おかえり〜っ!
         ご同類に入れていただき誠に光栄であります😊
         青木さんの論理は三段論法で私にも分かりやすく解説いただいており、ウムウムとうなづいているのです。ただ同じ色を上塗りしても面白くない(上塗りできない😅)ので、私のハートをありのまま文字にしてみました。

         オンラインに完成度の高い資料が求められるのであれば、逆に説明よりも感情に直球のあのようなビデオを取り入れて受講生とパレットを共有するのも有効な手かなと思いました。

        ちょいとコラムテーマにもどったかな?

        1. 青木安輝 より:

          コラムテーマは、デジタルな正確さも人間的な雑音交じりの曖昧さの中の真実も肯定しつつ、正確さよりは受け取り手の解釈の余白が多いに残る”自由”表現に魅力を感じるし、その方が受け取り手の能動的な関与が引き出されて良い・・・みたいなことだったのかな。それ以外にもつっこみどころはあるけどね。テーマを気にしてくれてありがとうございます。でも、おっくんはいくら拡散してもらってもOKですから(笑)。色々なところに旅行しましょ♪

          1. おっくん より:

            だよね😁

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