「自分と究極に仲良くする」No.1 青木安輝

いよいよ青木安輝のブログ新シリーズ「自分と究極に仲良くする」が始まりました。初回は「究極に」の意味あいに焦点をあてたいと思います。

「自分と仲良くする」という表現はよく使われることがあるし、自分にやさしくする、責めずに許す、心身を大切にいたわるというような意味だろうと字面で想像できますよね。では、そこに「究極に」という言葉が入ることで何が違ってくるのか?

僕自身その明確な定義を言語化できているわけではありません。それができたと思える時の身体感覚として「この感じ」というのはあるのですが、それがどういうことなのか言葉にしようとすると既存の陳腐な表現に引っ張られてしまい、真意が表現されない感じがすることが多く、まだまだ探究モードです。ただ、このテーマは自分にとってとても大切なもので、これからずっと続く内的冒険になるだろうと直感的に感じるので、あえて皆さんとこの探究プロセスを共有することで、「自分と究極に仲良く」したいと思います(笑)。

先週「SFブロガーの遊び部屋」で「自分と究極に仲良くする」をテーマにして6人で楽しくおしゃべりしましたが、事後アンケートで「結果が出ない話っていいな~、好きだな…と改めて思いました」という回答がありました。そうなんです。特定の正しい回答がない領域なんです。「自分」、「究極」、「仲良くする」という単語としては意味が簡単にわかる言葉なのに、組み合わせると新しく未開拓な世界の扉が開きます。そして、それぞれの人が自分はこう思う、ああ思うと発言することがさらに好奇心を刺激して、自分にとって一番有用な自分なりの解釈を各自が展開していくという不思議な広がりを、前回の遊び部屋で感じさせてもらいました。

正解にたどり着くのが好きな方には、「何をごちゃごちゃ言ってんだ」って感じかもしれませんね(;’∀’)。一方、それってどういうことなんだろうと好奇心が湧いて深めていきたいという方にはどんどん面白くなっていくテーマかもしれません。Welcome to the Club!

では、僕が「自分と究極に仲良くしよう」って思うときはどういう時なのか、そしてどういう内的作業(インナーワーク)をするのか、具体例を一つあげてみます。

ある時、通っていたボイトレ教室の先生が僕には当たってないとしか思えない嫌な指摘をしてきたので言い合いになり、気まずくなり、レッスンにいかなくなりました。都度払いのレッスンなのでお金の問題はありません。しかし、その先生のことがしょっちゅう意識にのぼってなんだかイヤ~な気持ちになりました。もしかしたら、あの指摘は当たっていて自分が自己防衛をしているだけじゃないのか等と自己疑念が浮かんだり、こんなことはサラッと流して大人のつきあいをすべきだと思ったり、あの先生のああいうところがダメなんだよなと「向こうが悪い」と決めつける考えも湧きました。

「起こったことは最高さ」で考えてみると、「もっと自分に合う先生を見つけられる可能性が開けた」とか、「ボイトレが自分にとって本当に今大切なことかどうかを見極める機会になった」とか、「これでいいのだ」と思えるような考えを浮かべることはできました。それで、ある程度は救われるのですが、なんだかうっすら嫌な感じが残りました。

「自分と究極に仲良くする」と、どうなるんでしょう・・・

何がきっかけだったかは忘れましたが、「嫌な感じを感じている“自分”が、それを払うためにいろいろ思考を巡らしている」こと自体をちょっと背後から眺める位置に意識が移動しました。その瞬間、思わず顔がほころんで「ふふっ」と鼻笑いが出ました。ある意味、自分のことを「かわいいなぁ(ちっちゃいなぁ)」とバカにしているみたいですけど、自分はバカにされている側にいるのではなくて、しょうもないなぁといいながらその自分と肩を組んで慈しんでいる側にいるのです。その瞬間、胸のつっかえは無くなりました。何だか「我に帰った」っていう表現がピッタリな気がしました。その先生と仲直りするか、別の先生を探すか、それはどちらでもよいのだと思えました。実際には仲直りしましたが、その後レッスンはまたお休みしています。いつか再開したいと思ったらそうします。

これがなぜ「自分と究極に仲良くする」ことだと思ったのか。単に「自分と仲良くする」でも、セルフコンパッションとか既に存在する用語をあてはめるのでも良いではないかとも思います。しかし、僕は自分を置き去りにして、社会的に正しいとされる基準や人からの期待に合わせようとしたり、競争心からくる優劣の居心地悪い感じ等に負けてしまうことが多いので、それらの引力に抗して心底ホッとする場所にたどり着くまで自分に寄り添う度合いを高めるブースターが必要と感じたのです。「自分」と「仲良くする」の間に「究極に」を入れることでそのブースターが点火されるような気がします。

自分をなさけねーとか、みっともねーとか思ったり、嫉妬や卑屈さや怠け心などで自己嫌悪が起こったり、過去の選択への後悔や「こんなはずじゃなかった」という思いが湧いてくるとき、人に見せたくない自分を目の前にするときってきっと誰でもあると思います。そんな時、その自分を見ないようにしたり、無かったことにしたりすることもできるでしょうけど、究極に仲良くしちゃった方が楽なんじゃないかなーと思うのです。ある意味、人生の中で遭遇するいろいろな嫌なことって、その中で翻弄される自分と究極に仲良くするためのチャンスなんじゃないか、もしかしたら人生の目的ってそれをすることなんじゃないかとすら思うことがあります。

最近パソコン上に一つのファイルを置いて「自究自足ノート」って名前をつけました。このテーマ専用のメモ帳で、自給自足をもじって「自究自足ノート」です。「自」分と「究」極に仲良くすることで「自」分は「足」りているという感覚で生きる。そんな意味合いを込めました。これからしばらくは、このノートに書かれたメモからこのブログの題材を見つけていくことになります。どうぞお楽しみに♪

あ、それから何か思うことがあったら是非コメントしてください。使う言葉は違っても、多分「自分と究極に仲良くする」方法は皆さんそれぞれ見つけてるんじゃないかと思います。それを共有しようとすることで、お互い色々な発見があると期待してま~す。

「自分と究極に仲良くする」No.1 青木安輝” に対して4件のコメントがあります。

  1. 花村むつみ より:

    子どもたちを見ていると、ものすごいぶつかり合いをしても、次の日には一緒に遊んでたりします。仲良くいるためには、忘れる力が大きいんじゃないかな……と思います。青木さんの、ボイトレのせんせいとの話を読んで、そんなことを思いだしました。同僚に「さっき言ったこと、気にしないでね!」と言われたことがあるのだけど(子どもに対する見方とか、そういう違いについて話をしてきたひとでした)そのとき、『どちらでも良いんだよね』って思えていたので「えっ?なんだったっけ?」という言葉が口から出て(忘れていたわけではないんだけど)その瞬間、その人の気遣いみたいなものがスーッと消えていくのが分かって、わたしも相手のひとも良い感じになったのです。自分と究極に仲良くしているときには、こころが軽いなぁ~って思います。捉われているものが少ない感じ。それは、相手と仲良くいるときの感じとも似ているような気がします。

    1. 青木安輝 より:

      花村さん、コメントありがとうございます。ブログを読んでもらえていて嬉しいです。
      「自分と究極に仲良くしているときには、こころが軽い」って本当にそうだと思います。
      逆に言えば、なんだか心が軽くないなあってときは、自分と仲良くしていないときなんですよね。で、それがどこから来るのかなぁって手繰っていくと、たしかにそれは正しい考えだと思うようなことが心を重くしてたりします。そこから「”究極に”自分と仲良くする」って意識して、ちょっと正しさを飛び越えてみると、ふっとその重さが落ちるって感じになれるときがあります。その感覚を大事にしたいと思っています。

  2. おっくん より:

    青木先生へ

     おはようございます。
     いつもいつも僕の探求心をくすぐってしまうブログの存在に感謝しています。
    この二日間いろんな思考が湧いては変化して、まさに自分自身でも「ひとことで表せない」ことであることがよくわかります。今回から始まったシリーズを通してひとり一人がより深く探求することができたらうれしいですね。

     ボイトレの先生との間で生じたいやな思いを感じているご自身を「ちょっと背後から眺める」ことで「ふふっ」とほころんだりするシーンはとてもわかりやすい喩えに聞こえます。
     「自究自足ノート」って表現も縁側でお茶を飲んでいる青木さんを思い起こさせるような穏やかな雰囲気が漂ってきます(笑)。どんな日々が記されるのか楽しみですね。

    【自分と究極に仲良くする・・・今日の気持ち】

     子供が外で遊んでいて「うちの子も仲良くしてね」と新しい友達がやった来た時に、名前や年齢、兄弟のこと、好きな食べ物や好きな遊びが聞きたくなって「その子のことを知ろうとする気持ち」に近いのかなって。自分のことはわかっているようで実はわからないことも多いですよね。自分を知りたいと思うことは自然な願望なのでしょうか。

    おっくん

    1. 青木安輝 より:

      おっくん、いつもコメントありがとうございます。このブログがおっくんの探究心をくすぐって色々な考えを巡らせるエネルギーになっているなら本望です!嬉しいです。
      「縁側でお茶」ってイメージは好きですねえ。「自分と究極に仲良くする」ができている時の一つのイメージはまさにそんな感じです♪
      近所に引っ越してきた子が「どんな子なんだろう」って好奇心が湧くときのように、新しい自分を見つけていけると面白いですね。「自分と究極に仲良くする」ってのは、何かに縛られていた(勝手に自分で縛っていた)のが、紐が緩んで自由になる感覚に近いので、今までとは違う自分に感じられる可能性はありますね。

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