快く生きる日々 No.38 渡辺照子

 コーチングの際に、クライアントさんから、「あの部下のことをあきらめたくない。」 という言葉が発せられた。それを聞いた瞬間、私はなぜかとても苦しい気持ちになった。なぜ苦しい気持ちになったのだろう? その時いったい、私は誰に感情移入したのだろうか。目の前にいるクライアントさんか?それとも、彼女の話に登場してくる彼女の部下にか?

 「諦める」という言葉の意味を調べてみると、「とても見込みがない、しかたがないと思い切る。断念する。」と記されている。諦めるとなると、諦めてしまう残念さがそこに伴うこともある。目の前のクライアントさんは、諦めたくないと言っているのだから、そこには意欲が存在して、むしろ快く思ってよい場面だったのではないだろうか。

 ところで、青木安輝氏から、『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』という本を紹介していただいて、読んだことがある。和歌山県の高野山に向かう電車の中で読んだので、車窓の風景と共に、本の内容が頭の中に今も残っている。ネガティブケイパビリティ(Negative Capability)の意味を調べると、「どうにもならない状況や答えが見えない状況でも、焦らずにその曖昧さに耐える力」、「不確かな状態に留まり、じっくりと熟考することで、より正しい答えや判断に導く能力」とある。私は、「ネガティブな状態にあっても、きっと良くなると信じて、そこに留まる力」と解釈している。

 一方で、諦める美学も存在している。「良い意味で妥協する」「期待を手放す」等。これもまた大事な考え方だと思う。

 話は戻るが、周りの部署からの苦情などが聞こえてきて、成長が芳しくない部下を諦めたくない私のクライアントさんは、ネガティブケイパビリティを発揮して、何とか現状を越えようとしているのだ。それなのに、私が苦しい気持ちになったのはなぜなのだろう。ふりかえって考えてみる。

 コーチは、クライアントの味方だ。だが、クライアントの味方であり続けるために、クライアントさんとのセッションでは、自分を無にするというか、直感を働かせる状態(環境)に身を置く。その意味で、直感的に思ったのは「部下のことを諦めない」と言っているところに、クライアントさんのある種の身勝手さを感じたのだと分析する。部下のことを思って諦めたくないと言っているんだけれども、目の前で「諦めたくない」と言っているその瞬間のクライアントさんからは、クライアントさん本人が諦めたくないのであって、部下の方の存在とは距離のあるところで、ものを言っているように感じられたのだ。同時に感じていたのは、クライアントさんが、自分のことを厳しいまなざしで見つめ過ぎていて、痛々しさも感じていたと思う。これらのことが総合されて、私は苦しくなったのだというのが、ふりかえって考えてみた答えだ。

 それでは、どうであることがよいと私は思っているのか。それは、「諦めたくない」と言っているその周辺に、❝力みがないか❞、❝かかり過ぎているエネルギーがないか❞、言い換えると、❝ニュートラルさを伴っているか❞ ということが肝要だと私は思っている。ご当人が下す判断は、「諦める」でも「諦めない」でもどちらであったとしてもよいと思う。そのことを判断するときのご当人や周りの状態に、肯定的な見方がなされ、そうすることがベストだと思って、判断が下されようとしているかが大事なのだと考える。

 では、その状態を手に入れるためにはどうすればよいか。ここに登場するのが、「プラスの眼鏡」だ。ものごとを肯定的に捉える性能を持つこの眼鏡をかけて、自分自身と対象や自分の周りを見ることができていて、その上での判断であれば、その時下されるその判断は尊重されてよいと、私は思っている。

 あのクライアントさんはどうなったかというと、次のセッションの時には、自分に直面して、考えを私に話してくれた。自分の希望や期待や思いを伝えてみようと思っていると笑顔で語っていたのが印象的だった。自分への目線が肯定的で、優しくなっているとも私は感じた。

 前のセッションと次のセッションの間にクライアントさんに何があったかは分からない。私がしたことは、「ごきげんいかがですか?お身体大事にご活躍くださいね。」と、一度メッセージを送っただけだ。

 前のセッションでは、苦しい気持ちに一瞬なった私であったが、次のセッションの際中と後に、私はとても爽快な気持ちになった。 Viva クライアントさん!

 

快く生きる日々 No.38 渡辺照子” に対して3件のコメントがあります。

  1. 豊村博明 より:

    渡辺さん
    とても興味深いお話をありがとうございました。恥ずかしながら「ネガティブケイパビリティ」という言葉を始めて耳にし、チャットGPTでも調べてみました。私は現在SNS相談員を時々しているのですが、よくクライエントさんから「どうしたら良いか分からない。」「なぜそういう気持ちになるのか分からない。」時には「相談員さんはどうしたら良いと思いますか?」って質問されることもあります。そんな時、「あなたはどう思いますか?」なんて聞き返せないし、「あ~私もどうしたら良いか分かりません。」なんて返答すると、「この相談員はただ話を聞いているだけで、何も私に役立つことは話してくれない人。話すだけ無駄やん。」って思われやしないかという不安や焦りが飛来し、そして「何か役に立ちそうなことを今返さなきゃ。」っていう言葉が脳裏をかすめます。その挙句「クライエントさんからはこの人に相談して良かった。」って思ってもらいたいとか、「何とかこの場をうまく切り抜けたい。」そういう自己保身ばかりが募ってきて、ついつい自分の価値観を押し付けたり、自分がクライエントさんにやって欲しいと思っている方向に意識的に誘導したりしていました。

    でも今回の渡辺さんの「ネガティブケイパビリティ」のお話を拝聴し、このスキルはカウンセラーにとってとても大切なものだと認識出来ました。SNS相談者の中にはもう100回以上来談されているクライエントさんがたくさんいらっしゃいます。よ~く考えてみると、彼らは相談員に答えを求めに来ているのだろうか?もしそうだとすると、100回以上も来るはずがないと思います。本当に答えだけを求めに来ているのであれば、2~3回来てみて自分が納得するような回答が得られなければもう来ないはずです。(私なら少なくともそうします。)では、彼らは何を求めにここに来てくれるのだろうかって考えると、「答えではなくて自分と一緒に居てくれる場」を求めてやって来るのではないかと感じています。以前、あるクライエントさんから質問されて私が返答に困っていると、「すみません。こんなこと相談員さんに聞いたって、相談員さん逆に困っちゃいますよね。」って言われて内心ほっとしたことを思い出しました。そうなんですね。彼らはカウンセラーと一緒に悩んだり、考えたり、感じたりする場を求めてやって来るのかも知れません。
    ネガティブケイパビリティと言う心地よい広場を持ったカウンセラーの中で一緒に留まり、答えなんかすぐに出ないけれど、(あるいはもうすでに答えはクライエントの中にあってそれに気づいているか気づいていないか)そこで何か安心できる、これまでは一人でいたけれど今は決して一人じゃない空間に浸っていられる場を求めてやって来ているのではないかと、渡辺さんのプログを読みながらそう思えました。
    これを身につけていければカウンセラーとしての器が広がって行くと思います。相当訓練と経験が必要ですがチャレンジしていきたいと思います。とても貴重なきっかけを与えて頂き、本当にありがとうございました。少し本題からは逸れてしまいました。申し訳ありません。

    豊村博明

    1. 青木安輝 より:

      豊村さんのコメントを読ませてもらって、豊村さんが相談しに来た人とつくる「一緒に悩んだり、考えたり、感じたりする場」はとてもいい感じだろうなあと思いました。

      1. 豊村博明 より:

        青木先生
        いつもありがとうございます。
        青木先生からのOKメッセージはいつの時でも自分の心を温かくしてくれ、勇気が湧いてきます。

        豊村し

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