快い日々を生きる No.27 渡辺照子

「今、自分のちょっとの努力でできる」と判断して手に入れたもの

私の姉は元体育教員。小中学校で、12年働き30年ほど前に退職して、群馬県北の山里で民宿の経営をしている。70名ほどが泊まれる家族経営の宿だ。姉の宿での仕事は一人何役?ってほどマルチに活動する。主に予約・施設の衛生管理・調理・送迎など。近くにはスキー場があり、複数の宿が点在している。いずれも規模が大きくないので、〇百人という団体様が宿泊するときには、複数の宿に分宿していただくことになる。

今から書く話は、先日姉からきいた話。「どうしたらそんなことできるの?」って感心し、なんだか嬉しくなった話である。

今の季節は、首都圏の小学校の体験学習、先日は横浜の小学校の児童の皆さんが宿泊してくれたそうだ。全部で100名ほどの子どもたちは三つの宿に分宿した。子どもたちは滞在中、様々な体験をする。森林散策・沢登り・草木染・星空観察・キャンプファイヤー・川原で郷土料理作りに挑戦など。その体験学習は一部選択制で、子どもたちが「これをやりたい」に参加する。体験メニューの中に、「魚のつかみ取り」がある。

魚のつかみ取りは、川上で養殖された鱒を、川のゆるい流れの場所に魚が逃げないよう、網を石でとめて、魚を放ち、子どもたちはワイワイ言いながら一人一匹魚をつかみ、それをさばき、焼いて食べるという体験。

姉が体験学習を終えた子どもたちを車で迎えに行ったところ、2人男の子がしょぼんとしていることに気づいたそうだ。「どうしたの?」と声をかけると、近くにいた先生が、楽しみにしていたのに魚をつかめなかったのだと説明。つかむ術がなかったのではなく、つかむ魚がいなかったとのこと。網は石で簡単にとめてあるので、たとえ多めに放っていても、3分の1くらいの魚が、子どもたちがワイワイやっているうちに、逃げ出してしまったようだ。

そのことを知って、姉は動いた。

子どもたちのスケジュールは結構びっちり詰まっていて、午前中のそれぞれの体験を終えて、昼食を食べて、バスに乗って帰るという行程。時間はわずかしかない。元気がない子どもたちを見過ごせないところは、元教員ということもあるのかな。食事の準備をスタッフと共に進めつつも、まず魚の養殖場に電話した。「これこれこういう理由で魚が必要なので、私が電話したらすぐに、生きてる魚を持ってきてもらえるよう控えていてもらいたい。お願い!」。次に旅行会社の方に話して許可をとり、宿に泊っている担任の先生に話し、自分の家だけでなく、他の宿にもつかめなかった子がいたらその子たちも一緒にと、別の宿に泊まっている校長先生に許可を取り、魚屋さんにすぐに届けてもらい、ほかの宿でもつかめなかった6名をピックアップしに行き、全部で8名に、自家の宿の中庭に集まってもらったそうな。

つかみ取りの体験をさせようというのだ。

中庭に水場はない。そこで大き目の発泡スチロールの箱に鱒を放ち、ただ魚をつかむだけでは面白くないから、3メートルほど先に、水を張った別の発泡スチロールの箱を置き、魚をつかみ、動く魚と格闘しながら、時には落としたのを拾ったりしながら、向こうの箱まで運んで放つ。子どもたちは、キャッキャ言いながら、それはそれは楽しそうに行ったそうだ。姉が段取りし始めて、子どもたちが魚をつかみ終えるまでの時間は30分間ほど。

話はたったこれだけのことなのだが。あとで姉にきいたところ、子どもたちが魚がつかめなくて元気がない様子を知った時の気持ちの多くは、子ども達に満足の気持ちを持ち帰ってほしい。同時に頭のすみっこには、ご家庭で待っている親御さんのこと、旅行社のこと、学校の校長先生や担任のすべての方のこの後のことを思ったそうだ。勝手に走るのではなく総合的な判断を以って、今、ちょっとの努力でできることをやろうと思い行動したのだそうだ。

子どもたちは、魚をつかんだ姿を一人ひとり個別に写真屋さんに撮ってもらい、はいポーズの時には、満面の笑みを浮かべたそうだ。帰りのバスに乗り込むとき、担任の先生も校長先生も、「やらせてもらってよかった。」とおっしゃり、ほっとした様子であったそうだ。

姉の立場に自分が立ってみると、そこまでやれたかなと思う。昼食の用意がある。サービスを提供する側として、予定の時間を遅らせることはできない。となると、魚がつかめなくて元気がない子の顔を見ても、「仕方ない。」としてしまったのではないだろうか。そもそも、中庭で魚のつかみ取り体験をするという発想が出てこない。

思い返すと、このことが成立した背景に、日ごろの魚屋さんと姉の関係性も大きい。そもそも魚屋さんが魚を持ってきてくれなければ、できなかったこと。魚の養殖場は、人里離れた川上にあり、スタッフは日中居るが本来は養殖が本業。そうであるが姉は時々、宿に食材として魚を届けてもらっている。姉はいつも届けてくれる魚屋さんに気持ちよくあいさつし、母が作った餅や饅頭を、「食べてね」「お仕事いつも頑張ってますね」「届けてくださってありがとうございます」。オーナーさんが見えた時には、「スタッフの皆さんの日ごろのご対応がほんと気持ちいいです。」と伝えるなどやっている。

ちょっとの努力でできると判断してやったことの末に、子どもたちの笑顔を取り戻すことができたことは、姉としてよかったと言っていた。

私はこのストーリーから何を学ぶのか。

周りの人を観察する大事。観察の結果その人たちにできることがあればベストを尽くす。独りよがりにではなく総合的に判断して、軽やかに動く。そう動くためにも、日ごろの周りの人々とのつきあいを丁寧にやってゆく。

快い日々を生きる No.27 渡辺照子” に対して6件のコメントがあります。

  1. かよちゃん より:

    なんて素敵なお話でしょう。
    さすがお姉さん!!素晴らしい~!
    とっさの判断で、知恵と人脈とコミュニケーションをフル活用して
    ご自分の出来る最大のプレゼントをなさったんですね。
    それも他の宿の子どもたちも、と広い視野で、誰一人置いてきぼりにしないで。
    大きな愛を感じます。
    拍手喝さいとともに、お礼も伝えたくなりました。ありがとうございます。
    小学1年生になった孫を持つ身として、つかめなかった子どもたちの元気のない顔が
    浮かび、なんとも切ない気持ちで読んでいました。だからとても他人ごととは思えません。
    素敵なお話をありがとうございました!
    (勢いで書いてしまいましたが、このまま送ります)

    1. 渡辺照子 より:

      かよちゃん、コメントをどうもありがとうございます。
      お孫さんがいらっしゃるかよちゃんのコメントから、
      ご家庭の方がどのような思いでわが子やお孫さんのことを思っているか垣間見ることが
      できます。

      その意味で、宿でお迎えする側からすれば、
      来てくださるそのお客様の向こう側においでの方のことも思って
      おもてなしをするってことの大事さを感じます。

      想像する力って大切ですね。

      私も宿のことを姉に手伝うことがしばしばありますが、
      心してお迎えしご対応をさせていただこうと思いました。

  2. シオタリョウコ より:

    渡辺さん、素敵なお話シェアして下さってありがとうございます。
    読みながら涙が出てきました。何の涙か分からないのですが、こみ上げてきました。
    お姉さま(生きるうえでの大切にしていること)に触れたからでしょうか?

    もちろん、お姉さまの大切にしていることは私の想像でしかないですが、
    ・子供に楽しい思い出を作ってほしい
    ・周りの人たちと常に良い関係をつくる

    等のもっともっと奥にある「人を見る時の深く優しい眼差し」と言うか、お姉さまの”世界観”に触れたようで涙が出たのかな…と、書きながら思いました。

    『ちょっとの努力でできる』の奥には深くて優しい世界が広がっていますね。

    お姉さまの生き様、ロールモデルにさせていただきます!(宣言)笑

    1. 渡辺照子 より:

      シオタさま

      コメントをどうもありがとうございました。

      「もっともっと奥にある『人を見る時の深く優しい眼差』と言うか、
      お姉さまの”世界観”」

      とお書きいただき、もしかしたら私も
      シオタさんがお書きくださったような感覚を持ったから、
      この話を聞いた直後、何かぐっとくるものがあったのかもしれないと
      思い返しております。

      穏やかなまなざしで
      シオタさんはブログをお読みくださったのだと思います。私に気づけていないことを
      お言葉にしてくださり、どうもありがとうございました。
      とても嬉しい気持ちです。

  3. おっくん より:

    渡辺さんへ

    おお〜なんということか
    わが心の未来が見抜かれたように
    見事なまでに一幅の曼荼羅に
    描かれたようにに思えてくる

    皆の気持ちが子どもたちの笑顔になる
    皆とは個の集まりであり
    そのままひとつの生命体のようである

    いとも軽々と成し遂げられたものは
    たかが30分で終わってみても
    まるで30分にあらず、1ヶ月にあらず、一年の歴史にもあらず
    さりとて花火の瞬間に似て見事に美しい

    この美しき景色は
    どのようにしてつくりあげたのか
    何年の歳月が過ぎたのか
    誰の思いか
    なぜ思いを理解し合えるのか

    でも、その事実は確かにある
    勇気をくれる

    わたしの前の道は利根へと続く
    しかしそこに私の理想郷はない
    私の理想郷は足元にある
    利根の水と空気はここにもある
    きっとある

    お姉さんと子どもたちに感謝しつつ

    自由詩人 由明(ゆうめい)

    1. 渡辺照子 より:

      由明さま コメント(詩)どうもありがとうございました。

      私は学生の時、文芸部にも所属していました。
      当時の感覚を思い出しつつ、
      詩の中には、自由詩人の技法が施されていて、
      味わい深く感じながら、
      由明さまの詩を拝読しました。

      「私の理想郷は足元にある」

      そうです。そうです。そうに決まっています。

      私も、いつもお読みくださる
      由明さまに、感謝しつつ。

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