快く生きる日々 No.17 渡辺照子

軽やかな生活スタイル

この3月のとある週末、ハワイ・オアフ島のワイマナロ海岸で、掃除の活動に参加した。

エメラルド色の海に白い海岸の砂、うっとりするような美しさだが、掃除のために砂浜に足を踏み入れると、海岸砂には無数の色とりどりのプラスチックの破片が混じっていた。太平洋を渡って日本で使用されたプラスチックも打ち寄せられると主催者から説明がなされるのを聞いて心底驚いた。なぜ日本のプラスチックだとわかるのかというと、日本でしか使っていない養殖に使用するプラスチック片が混じっていたりするからなのだそうだ。(その日集められたプラスチックは、熱処理して、炭に換えられるとのこと。)

令和元年度版の環境白書をみると、「海洋ゴミは、生態系を含めた海洋環境の悪化や海岸機能の低下、景観への悪影響、船舶航行の障害、漁業や環境への影響など、様々な問題を引き起こしています。」と書かれている。

さらに篤志家のブログをみると、少なくとも毎年800万トン(東京ドーム約7個分)、多くて1200万トンのプラスチックごみが世界中の海に流れついていて、2050年までに海の中に存在するプラスチックの量が魚の重量を超えるかもしれないらしいと書かれていたり、海の一人当たりのパッケージ用プラスチックのごみの発生量が、アメリカに次いで日本は、世界で2番目に多いとのこと。

テレビニュースや新聞記事では目や耳にすることがあっても、自分に迫る形でこの問題を受けとめてこなかったので、これからの社会に自分が為せることは何かと真剣に考え始めた私がいる。

さて、今回のブログで私が書き表したいのは、以下のことである。

海岸掃除をした時間は、1時間程度。作業後集合場所に集まると、ピクニックテーブルの上に、参加者が拾ったと思われるプラスチックの破片が、じゃらっと置かれ、ボンドのボトルも数本置かれていた。その日の参加証が各人に配られたが、参加証の下の部分には余白があって、なんと今日の記念に、ボンドで自由にそこにプラスチックの破片を張り付けて、アート作品に仕上げてくださいというのだ。私が感心しているその目の前で、参加した親子や男女のカップルが、ある人は楽しそうに、ある人は真剣に作業をしている。

この、参加証に、ゴミを張り付けるという発想が、私には衝撃だった。学生の頃に現代アートの美術館に行ったとき、生ごみが透明のアクリル素材で固められている作品を見たときと同じくらい驚いた。なんていうかなあ、発想の柔軟さに感じ入ってしまったわけだ。❝ごみはごみだから捨てる・処理する❞ではない発想。実際のところ私自身は、ごみ拾いの体験からだけでなく、このアートにした作業の思い出や自宅に持ち帰ったアート付き参加証を見る毎に、プラスチックごみへの意識が再認識されるのである。事業者の意図が軽やかに参加者に届いているっていうところが、何ともいいなぁって思う。

こんなことを思ったとき、別の思い出がよみがえった。30年くらい前に、中央アメリカのグアテマラに住んでいた時、生活をスムーズにするために少しでもと、現地の公用語のスペイン語を、語学学校に習いに行っていた。そこで、キリスト教の布教活動に来ていたアメリカ人のオードリーさんと仲良くなり、お互いの家に招き合ったりした。さらに親しくなって、オードリーさんは、アメリカ本国の自宅にも招いてくれて、長期休暇に夫と遊びに行ってみた。そこは、アメリカ・ノースカロライナのブラックマウンテンという町。その時の体験なのだが、オードリーさんの家に泊めてもらっている間、オードリーさんと旦那さんは、私たちを楽しませてくれようと有意義な時間を企画・実行してくれた。「明日はハイキング・ピクニックに行くよ。」との言葉に、半日かけてあるいは一日かけて行くことを私はイメージしていた。二人はそのイメージを大きく裏切ってくれた。実際当日、ブルーリッジという美しい山脈の稜線を眺めることのできる山に登り始めた。しかし、ハイキングをするオードリーさんの旦那さんは、タッセルローファーを履いている。とても山に登るいでたちではないのだ。細い山道を2~30分登ったところで、お昼にしようということで、オードリーと旦那さんは、ブロックを寄せて火を燃せるようになっている簡易なバーべキュー場で、その辺にある小枝を燃やしてハンバーガーのネタを焼き、ちゃっちゃかちゃとハンバーガーを作ってくれた。いただき終わると、火を消して、「じゃあ、下山しよう!」と。登り始めて食べて下山するまでほんの1時間ちょっと。私の感覚では、ピクニックをするなら、服装はそれなりにピクニックの格好で、がっつりピクニックの時間を送る。でも、オードリーたちは違う。あの山の中腹に、あの簡易なバーベキュー場が設けてあったのをみると、周りの人々は皆、軽やかにハイキング&ピクニック気分を味わっているということなのだろう。

このハイキング・ピクニックの軽やかさが、先述のハワイの海岸掃除に参加した時の「プラスチックごみアート」と重なる。二つの出来事に共通する❝軽快さ❞になんとも惹かれる。日々の暮らし方に、快さを追及している私だが、どうも私の日々は、「きちんと」とか、「しっかり」とか、「じっくり」とかいうニュアンスから脱却できない。軽やかに生きる・暮らす。二つの出来事から気づかせてもらったこの感覚を、今後の暮らしに取り込んで、快く生きることをもっと・もっと・もっと増幅していきたい。

快く生きる日々 No.17 渡辺照子” に対して9件のコメントがあります。

  1. ポンタ より:

    軽快でとてもシンプルに楽しんで今を生きている。これはシリコンバレーなどアメリカ西海岸でも同じだね。make it simple, simpify という言葉も多い。これってSolution focus でも実践している発想と言葉(表現)だね。5ドル言葉とか、micro planningなんて、そういう発想から生まれるんだろうね。

    1. 渡辺照子 より:

      ポンタさん、コメントありがとうございます。アメリカ西海岸で、make it simple, simpify。文化的な背景もあるのかなあ。「simpify」は思わず辞書を引きました。「簡素化する」とありました。これらの発想、SFでは、「5ドル言葉」「micro planning」。確かに、自分がSFに魅かれたの要素の一つが、複雑でなく、わかりやすくすっきりしているところであったことを思い出しました。私が書かせてもらった一つ目の話は、青木安輝さんの『解決志向の実践マネジメント』に出てくる、イタリアの化学工場の話で、ゴーグルをかけないので、デザイン性のあるゴーグルにしたら、皆かけるようになった。という話にも通ずるところがある気がします。ポンタさんのおかげで、今回の記事内容とSFとのつながりを、もっと深められそうな気持ちになってきました。どうもありがとうございます。自分の中で熟成したら、記事にしてみたいと思います。

  2. おっくん より:

    渡辺さんへ

     今日からまた「気軽に生きてみようかな」と肩の力が抜ける素敵なお話ですね。
     ハイキング・ピクニックの話を読んで思い出されたのは、子供のころに家の周りの畑で初めて焼き芋をして食べたときのときめき。山奥の集落だから毎日がキャンプだったとも言えますね。
     
     人々の心が求める最終(本当)の暮らし方はそんなリラックスしたものかもしれないです。なぜ人はいろんなしがらみを作ってしまって自分をその中に閉じ込めてしまったんだろうかとも思えてきます。最終の暮らし方が見えているのなら、最初からそのようにすればいいのにね。

     ぼーくらはみんな、いーきているー。いきーているからたのしいんだー・・・!!!

    1. おっくん より:

       言葉不足を感じていたのでもう少し。

      「軽快に生きる」とは「ときめくこと」かもしれない。もちろんそれだけではないでしょうけど。
       例えば、新しい世界に挑戦する、出来なかったことが出来るようになる、誰かと会ってお話をするというようなプラスに見えるもの。自分の不甲斐なさにガッカリする、期待したものが手に入らない、ずいぶん遠回りしてしまったというマイナスに見えるもの。

       プラスはもちろん、マイナスのときめき?というかその時の「内面の変化や副産物」を不完全でもいいから感じること。しかもその変化や反応をもう一人の自分がときめいたり楽しめるとしたら少々の困難は大丈夫に思えてくる気がします。

       あれ〜、余計ややこしくなってしまいましたか?

      1. 渡辺照子 より:

        おっくん、おはようございます。コメント2つもありがとうございます。
        とても嬉しいです。二つのコメント、良~く味わってあらためて返信いたします。
        今日もお快き一日をお過ごしくださいませ。

      2. 渡辺照子 より:

        おっくん、連投失礼いたします。

        「プラスはもちろん、マイナスのときめき?というかその時の『内面の変化や副産物』を不完全でもいいから感じること。」

        こう思えれば、毎日のすべての経験や瞬間・瞬間が、ときめきを味わえる貴重な時間だと思えてきます。

        スピリチュアルなことに関心を持つ知人が言ってました。❝あちらの世界は毎日が平穏で幸せな毎日なので、ときめきは、この世でなければ味わえないから、この世にいるうちに、たくさんときめいておいた方がいいよ。❞と。

        困難もときめきと思えれば、毎日が面白さで満ちますね♪

        おっくんへの返信を記すうちに、エネルギーが満ちてきました。ありがたいです☺

    2. 渡辺照子 より:

      おっくん、こんにちは、コメントをどうもありがとうございました。
      いつもどうもありがとうございます。「毎日がキャンプだった」というおっくんのお幼いころの体験は、毎日が豊かだったということですね。わが子たちが幼いころ、私は子どもたちを連れて、実家の宿の手伝いに週末行きました。私と一緒に妹も子どもたちを連れてきて、姉の子どもと5人は、宿で大人たちが仕事をしている間、何かして遊んで過ごしていました。娘が大人になった時に、当時で一番楽しかった思い出は?ときいたことがあります。回答は、「鍋やコンロや水を手分けして持って、山に登って、そこで木の枝で箸を作って、ラーメンを食べたこと。」だそうです。

      「人々の心が求める最終(本当)の暮らし方はそんなリラックスしたものかもしれないです。」

      そうかもしれませんね。私もこの先、そうであることを求めていまして、今から練っております。

      1. おっくん より:

         理解に苦しむであろうコメントをこのように消化吸収していただきありがとうございます。相手のことを真剣に理解しようとするところは感謝と尊敬です。いつも、いつも。

        1. 渡辺照子 より:

          おっくんのOKメッセージが、身に染み入ります。どうもありがとうございます。 (渡辺)

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