快い日々を生きる No.15 渡辺照子

「どうすればいいのだろう」

母は6000粒のトウモロコシの種をまいて育て、実ったら全国のこれまで繋がりのあるお客様や親せきや友達に送る。秋になると家の裏にある幅30メートル、長さ80メートルくらいの畑いっぱいに大根、白菜、しゃくし菜、キャベツ、プリーツレタスなどを作り、通りかかった近所の人たちが、「ちょうだ~い。」とやってくると、はい、どうぞ~。家業の宿に泊まってくれたお客さんにお土産にと、一人2個ずつ餡ピンもちをご出発の日の朝、早起きしてこしらえる。スキーから戻ってきたお客さんにと、うどんを大量に手打ちする。そうそう、冬の時期には、米麹で甘酒を作って、沸かして、冷まして、瓶に詰めて、近所に配っている。作ったものはすべてプレゼントだ。

実姉は家業を継いで、宿を経営している。元体育教師で、なぎなたで国体優勝した経験がある。短距離もかなり速い。宿の仕事のかたわら、地域が活性化するようにと、国の補助金を頂けるように立ち回って、最近はトータル7億円の工事費のかかる農地改革が実行されるようにしてしまった。地元の高校では評議員を務めたり、引きこもりがちの子がいたら、何とか活躍の機会を作ったりなどする。双子ちゃん育てに頑張っている県外に住む姪達には、頻繁に果物や野菜や手作りの食品を宅配便で送っている。周りの人々のためになると信じたことは、ものすごく高いエネルギーでとことんやる。

それで、先週末のこと。母が小正月の餅をついたから、帰ってきな。と電話をくれた。置いておくと傷むから、取りに帰っておいでと。私の住むここから母のところまでは、高速道路を使って1時間半ほど。今の季節は雪道だ。私は、かなりやらねばならないことはあるものの、母が言ってくれているのだから、日帰りで帰って、頂き物をしながら手伝えることを手伝おうかな・・・とは考えた。何より母の気持ちがありがたい。妹の分もいただいてきて、私が届ければいい。

私には妹がいて、私の家の近くに住んでいる。妹と私は、交互に時には一緒に、週末宿の手伝いに行く。姉はそのことにいつも感謝してくれている。姉は、せっかくお客さんが少ない週末、わざわざ帰って来させないで、体を休めさせてあげたいと考えてくれた。

客観的にみるなら、母は離れて暮らしている娘たちのことを思い、手作りした食べ物を食べさせてあげたいと一途に考えてくれている。姉は、普段協力してくれる妹たちよ、休めるときは休んでねと、配慮してくれている。こちらからすれば、両者の思いが、とてもありがたい。しかし、当の二人は、お互いの考えの相違で、バトったのである。冒頭に書いたような二人のエネルギーのレベルがそれぞれかなり熱く強いので、衝突するとそこにはかなり爆発力の高さが存在する。時間をひと時置けば、すぐに解消するバトルではあるのだが。

もし、私が母の友人で、母から電話をもらうとしたら、こうだろう。「ちょっと聞いてくれる。私がつくったものを、子どもたちに食べさせたいから、取りに帰ってきなと連絡したら、一緒に住んでる娘ったら、なんで妹たちを呼びつけるのよ!と私をいさめるのよ。顔が見られれば嬉しいし、ちょこっと取りに来て、すぐ戻ればいいんだから。ねえ、私間違っていないでしょう。」

もし、私が姉の友人で、姉から電話ももらうとしたら、こうだろう。「ちょっと聞いてくれる。週末お客さんが少なめだから、叔母にお手伝いを頼んで、妹たちを休ませてあげようと、手伝いを頼まなかったわけ。それなのに母ったら、ついた餅を取りに来いって、妹たちを呼びつけようとしたのよ。高速道路を使って雪道を来るのは大変だわ。今のご時世宅配便があるんだから、送れば済むことでしょ。ねえ、私間違っていないでしょう。」

ああ、二人とも間違ってません! もうただただありがたいだけだ。それなのに二人がバトってしまうのは、なんとも申し訳ないなあ。もし、私が母なら母のようにふるまいたくなり、私が姉なら姉のようにふるまいたくなるだろう。そして、母の友人だったら、一緒に住んでる娘さん、あなたの気持ちも汲んでくれてもいいわよね。って言うかもしれないし、姉の友人なら、あなたのお母さん、あなたの気持ちも知らないで、あなたにつらく当たるなんてね。って言うかもしれません。

・・・とここまで書いてみると、ある人から見て悪く見える人も、実はその人にはその人なりの思いがあってそうしている。実は悪い人は誰もいなくて、皆各人の人生の瞬間を、真摯に生きているだけ。人は皆肯定的意図を持って生きているとも聞いている。ということは、誰もが今のまま生きていけばいいのかな・・・と思う。しかし一方で、誰かが快くない時を過ごすは忍びないなあ・・・と思う。

どうすればいいのだろう

この答えは、これからも考え続けていく。

結局週末は、私は家に戻らずに、自分のするべきことをさせていただいた。宅配で届いた母からのお餅は、一枚一枚丁寧に焼いておいしくいただいている。翌日母の好物を宅配で送ったら、「着いたよ。ありがとね~。」と姉の携帯番号から、母のごきげんな声が聞こえてきた。

快い日々を生きる No.15 渡辺照子” に対して16件のコメントがあります。

  1. 深山敏郎 より:

    そうですね。誰でもよかれと思って行動していますよね。私はどちらかといえば、お母上のような振る舞いが多いかな と考えてしまいます。

    1. 渡辺照子 より:

      深山さん,おはようございます.
      いつもお読みいただき,コメントをどうもありがとうございます.
      深山さんは,母のようにふるまわれるのですね.

      深山さんは,「みやま」さんで,これまでもお伝えしましたが,私の
      実家の屋号は,「みやま」です.
      その屋号は母が父とつけたわけですが,
      深山さんと母は,「みやま流」ということで共通している,と
      勝手に結びつけをした私を
      おゆるしください.笑.

  2. おっくん より:

    三人姉妹とその母上へ

     度々登場するこのご家族が、私は好きだ。なんとなく微笑ましく、どことなく懐かしい光景が見えてくるようだ。
     そしてお母上とお姉さんのどちらも理解したいし、どちらにも見習いたいことが沢山ある。更にその血が妹達にもきちんと流れていることは間違いないと確信できる。

     少し視点を変えてみるのだが、
     母親としては直接顔を見たいし、相手の喜ぶところを味わうと次のエネルギーにできると知っている。ひょっとすると残りの人生で伝えたいことがあるのかも知れない。
     お姉さんは、週末に姉妹が集まってくれること自体が嬉しいし、感謝もしている。しかも、パワフルさの他に相手への思いやりも忘れないからこそ地域でも頼りにされる人であり続ける。

    即興詩
     ふーむ、この血脈のなんと清々しきことか。潔きことか。武尊に積もった雪が溶けて集まり、川となって大海にそそぐ。この流れを誰に止めることができようか。(おっくん)

    追伸
     私は男四人兄弟なので子供時代の母はさぞかし大変だったと想像できるが、三人姉妹はもっと大変だったかもしれないですね☺️ でも母親から愚痴ひとつ聞いたことがない。たいしたもんだ。(半世紀も昔のこと)

    1. 青木安輝 より:

      詩人おっくん 超いいね!

      1. おっくん より:

        ☺️

    2. 渡辺照子 より:

      おっくん,いつもコメントを頂戴し,どうもありがとうございます.
      おっくんが私の母や姉や私ら姉妹を描写してくださったくだりを
      拝読していると,心が温かくなるというか,肯定感が湧いてくる感じになります.

      そして,即興詩は,詩人おっくんが素敵です.武尊山や,太平洋に流れ込む利根川の支流片品川辺に私の故郷があるのを,見事に読み込んでくださって,雄大な余韻を醸し出して
      くださったことがとても素敵で,感謝の気持ちが湧いてきます.

      おっくん,私も4人の姉妹です.おっくんちと同じ4人です.
      お母様は愚痴一つ言わずに,男児4人を豊かな情緒を備えた大人へと
      育まれたのですね.おっくんのお母さんどんな方だったのかな.
      いつかの機会にお聞かせください.お願いいたします.

      1. おっくん より:

        思い出がひとつ。
        母は「宝くじが当たったらカラオケ屋さんをするんや」とよく言ってましたね。なかまの集まりでも天然の?本音を漏らして周囲を笑わせていました。
        いつのまにか私の中にもDNAになっていたんですね!

        1. 渡辺照子 より:

          おっくん、さっそくお母様のお人となりが推測されるエピソードを
          教えていただきどうもありがとうございます。
          確かに、お母様の素敵さは息子のおっ君に受け継がれましたね。
          最高!

  3. 小野友之 より:

    ああ、自分にもこれまで似たようなことがあった、、、今もある・・・と思い浮かべながらブログを読みました。

    それにしても、渡辺さんのお母さんも、お姉さんも、妹さんも達もそれぞれ魅力的で、思いやりのある人たちばかりと感じました。お母さんやお姉さんは熱量が高い分、行動力があり社会的に役立つこともどんどん成し遂げるし、衝突もする。

    人間生活の悩みの多くは、人間関係。そして、人は十人十色。人間関係の翻訳というか交通整理というか、そういったことが必要だ、そんなことも思い浮かべました。

    「問題のない暮らし」を漠然と思い浮かべて、それからのひき算からなんだか不幸を感じてしまいますが、生きて人生が前に進んでいるからこそ、問題は起こるものだということを聞いたのも思い出します。

    「問題」だ!と思っていることの中には、その人の興味関心や持ち味、その人らしさと、その人がこうありたい、こうしたいという願いがあることをSFの学びの中で(ポジティブNOの話題の頃)教わりました。

    最近、そのような傾聴の仕方のことを「ダブルリスニング」(”問題”を聞きながら、相手の”ストレングス、肯定的な意図や願い”を聞く)ということを知りました。

    SFのいいところは、相手の話を聞きながら、OKメッセージを伝えて状況を整理していくことで一息つくことができること。

    そして、前向きな質問に答える中で自分では気が付いていなかった”肯定的な意図”に気付いたり、今とは違う選択肢を選び直したりすることができることだと、あらためて思いました。

    最近、自分の母親が病院にかかることになり、自分の生活が変わりました。家族の残された時間のことを思い、衝突しがちだった頑固な父親との関わりも、自分が折れて柔軟に対応すると決めたら、悩み事が一つ減ったことに自分で驚いています。

    一人の人に対応するだけでなく、複数の人がかかわる関係に対応するときに、どんなふうにSFが役立つのか、僕も渡辺さんと一緒に、考えていきたいと思います。

    たくさんのことを考えさせてくれる記事に感謝します。ありがとうございました。

    1. おっくん より:

      小野さんへ

       お久しぶり。お元気そうですね!
       自分ではどうすることもできない運命みたいなものはありますよね。お母様の入院もそうかと思います。私の経験でも、父、母のことで普段疎遠になりがちな弟達と気持ちを繋ぐことができたのを思い出します。だから渡辺さんのようなご家族がとても愛おしく感じられるのかもしれません。
      目指せ!本当の小野ファミリーを!
      (勝手な想像してるならご容赦ください)

      1. 小野友之 より:

        おっくんへ
        温かいメッセージ、ありがとうございます。
        自分が本当に大事にしたいことが明確になってから、捉え方が変わり、関わり方も変わってきたと感じています。
        おっくんの特別支援奮闘記、同じ道を歩むものとして、陰ながら楽しみに拝読しております。今後ともよろしくお願いします!

    2. 渡辺照子 より:

      小野さん、コメントをどうもありがとうございました。
      ご示唆に富んだコメント、
      小野さんがこれまでの学びや人生で培ってきたことを
      集めていただき、感じ入りつつ読ませていただきました。
      以下のところを、しっかりキャッチさせていただきました。

      人間生活の悩みの多くは、人間関係。そして、人は十人十色。人間関係の翻訳というか交通整理というか、そういったことが必要だ

      「問題のない暮らし」を漠然と思い浮かべて、それからのひき算からなんだか不幸を感じてしまいますが、生きて人生が前に進んでいるからこそ、問題は起こるものだ

      最近、そのような傾聴の仕方のことを「ダブルリスニング」(”問題”を聞きながら、相手の”ストレングス、肯定的な意図や願い”を聞く)ということを知りました

      SFのいいところは、相手の話を聞きながら、OKメッセージを伝えて状況を整理していくことで一息つくことができること。そして、前向きな質問に答える中で自分では気が付いていなかった”肯定的な意図”に気付いたり、今とは違う選択肢を選び直したりすることができることだ

      最近、自分の母親が病院にかかることになり、自分の生活が変わりました。家族の残された時間のことを思い、衝突しがちだった頑固な父親との関わりも、自分が折れて柔軟に対応すると決めたら、悩み事が一つ減ったことに自分で驚いています

      小野さん、どうぞお母様のご快方を願います。お父様、お母様との時間を味わって
      お過ごしくださいませ。

      複数の人がかかわる関係に対応するときどんなふうにSFが役立つか・・・。
      今回の私にとって、母と姉という複数人がいて
      母と姉の関係性を私がどうしたものかと思っている場合の、今の私の答えは、
      母と姉の関係を私が問題視しないで日々を進むこと。と思っております。
      母と姉はバトルしても、私が知らない多くの時間を共有し、交わって、共に生きているので、二人を信じて私が日々を生きる。ってことかなって思っております。

      小野さん、これからも、SFについて、人が快く生きることについて、
      共に考えていくのをよろしくお願いいたします。

  4. 柴田篤 より:

    正月気分を豪快に吹き飛ばすブログ、拝読しました。ありがとうございます。

    「餡ピンもち」って、食べたことが無いので想像ですが、大福みたいなものでしょうか。

    餅の形は角と丸とがあり、私の地方は西日本で丸もち。関東は角もちですよね。「関ケ原」が丸と角との境界線、という話を以前聞いた覚えがあります。

    丸い卵も切りようで四角、などと申します。バトルの裁定は、餅奉行に任せましょう、か。

    1. 渡辺照子 より:

      柴田さん、コメントをどうおありがとうございました。
      母と姉のバトルをどうしたものかと眉間にしわを寄せていたのが、
      柴田さんのコメントで、解けました。

      そうですね。バトルの裁定は、餅奉行に任せることにします。

      気楽になれました。
      この頃の母も姉も生き生きと日々を生きている、ただそれが嬉しいです。

      餅の角と丸の境界線は関ケ原ですか。
      エスカレーターで、左に寄るのと右に寄って乗るのも、
      もしかして境界線は、「関ケ原」ですかね?

      1. 柴田篤 より:

        渡辺さま 返信ありがとうございます。

        エスカレーター右立ちは大阪など関西に多い暗黙ルールですが、お餅のように関ケ原や、よく引き合いに出される糸魚川静岡構造線で、線引きできないようです。東日本も西日本も、左立ちが多数派なので。

        エスカレーターの右側を駆け上がりたいのに、そこにボッと立っている人がいると、つい怒りの炎が発火します。そこから天下分け目の戦いに発展しないよう、一旦停止するゆとりを持ちたいものです。立ち止まっても、エスカレーターが運んでくれますもんね。

        1. 渡辺照子 より:

          柴田さん、さっそくのご返信をどうもありがとうございます。

          エスカレーターは違ったのですね。(笑)

          「天下分け目の戦いに発展しないよう」ゆとりもっていきます。

          柴田さん、「笑点」にご出演なさったら、座布団をたくさんゲットできますね。

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