SF伝道者の四方山話 No.40 青木安輝

「神様には内緒」っていうのはないんだろうなあ・・・。

そう自覚した最初の体験をしたのは、かなり小さい頃だった。

何歳だったかは定かではないけど、仏壇の前で「手を合わせてご先祖様に感謝しなさい」と母親に言われ、大人の真似をして合掌しながら心の中で「神様、ご先祖様ありがとうございます」と素直に繰り返してみた。その意味はよくはわからないけど、なんだか良いことをしているような嬉しいような感覚になった。ホメられるので、その後率先して仏壇に向かって手を合わせていたような気がする。

ところが、ある日こんなことを思ってしまった。「神様(ご先祖様)は僕がちゃんと心の中で『ありがとうございます』って唱えてるの知ってんのかなぁ・・・?」神様から直接にOKメッセージがないことを寂しいと思ったのかもしれない。

ところがその瞬間、別の考えが閃いた。「神様は遠くにいて、僕の声が届くのを待ってるんじゃなくて、いつもそこに居て僕がやること、心の中のことを全部見てるんだ。だから神様は僕の心の中なんか丸見え。すべてお見通し。だから、僕はちゃんと拝んでますよって証明する必要もないし、逆に『神様なんてどうせいないさ』って思ったら、それもすぐわかられちゃうはず。誤魔化せないんだ、きっと」と。なぜか約60年後の今でもそう思った瞬間の仏壇のろうそくの映像が記憶に残っている。

そして、そう考えた自分のことをなぜか誇りに思えた。その時はそれを言語化できなかったけど、今あえて言語化してみると、「これは自分が発見した本当のことだ」という手ごたえ(親に「これで間違ってない?」と確認する必要を感じない)を感じていたのだと思う。そして、「自分の心に浮かんだことは、神様と一緒に自分が一番先に見ているのだ」と自覚した。

さて、それから60年くらいがたった。その後、神様にバレても恥ずかしくないことだけを思うようにした・・・なんてことはもちろんない。むしろ“恥ずかしいこと”や“いけない”ことを考えてることの方が多いかもしれない(;’∀’)。それは利己的な考え、嫉妬、情けないほどの小心、あからさまな競争心、その他、ま、色々だ(具体的内容は秘密ね)。もちろん感謝、利他心、世界平和を願うこと等、「ねえねえ、神様僕こんなこと思ってるよ!」と堂々と神様に見せたくなるような“良い”ことが心に浮かぶことだってある。脳科学者にモニター装置をとりつけてもらって、どっちの割合が多いか調べてもらったらどんな結果になるかなあ・・・やめといた方がいいね(笑)。

さて、ソリューションフォーカスとこの話しがどうつながるのか?ここから先は、「自分へのソリューションフォーカス~SF内省の効用~」とでもタイトルをつけた方が良いのかもしれない。以前「自分と究極に仲良くする」っていうフレーズを紹介したけど、これは言い換えれば自分の心の中に湧いてくるゴミ(これが自分と思いたくないネガティブな表象)とのつきあい方をソリューションフォーカスの枠組みで考えるってこと。

最近はスマホで色々な情報に接するし、SNSでは知り合いの近況などもよく目にする。そんな時、素直に共感したり称賛したくなる場合もあれば、競争心、嫉妬、蔑視などに近い感情が湧いてくる場合もある。そして、それに気づいて「なんて小さい自分・・・」という否定的な気持ちを自分自身に向けてしまうことは日常茶飯事にある。もし僕がソリューションフォーカスを知らなかったら、そういった心の中のゴミ(ざわつき)から発生する「自己否定」がどんどん溜まっていって耐えられなかったかもしれない。

では、そんな「見たくない心の中の”ざわつき”たち」に対してどうしているのか。まず思い浮かべるのは「あなたがそう思う(する)のには理由(わけ)があるはずよねぇ(You must have a reason for that.)。」というインスーがよく使ったフレーズ。

たとえば、誰かのSNS投稿を見て嫉妬を感じ、「うわっ、ちっちぇー自分」と思ってしまい、呼吸が浅くなるのを感じたとする。もしそのままにしておくと、その投稿主や自分に対しての小さなネガティブな気持ちが蓄積するので、上記のフレーズをまず思い浮かべてみる。それだけで、呼吸の深さが落ち着いてくる。そうすると、「小さく感じてしまった自分」に少し距離が取れ、小さな余裕が生まれてくるので、SF的問いかけが可能になる。

余裕の自分:
「それ『嫉妬』って名前つけちゃったけど、実際はどういう気持ち?」

ちっちぇー自分:
「『俺だってやればできるさ。先を越されて悔しいけど』って気持ちかな。」

余自:
「ああ、そうなんだ!『何かやれそう』『やりたい』って気持ちがあるんだね。」

ち自:
「そうなんだよね~。それを始めてないから焦ってるのかな。この人(SNS投稿者)はどんな努力や工夫をしたのかなぁ?」

と、落ち着いて内省が進んだり、嫉妬のきっかけとなった発信をした人への素直な好奇心が湧いてきたりする。そうすると、ゴミは無害化されて、場合によっては、「よし、それなら自分は~してみよう!」というエネルギーにもなる。まるで心の中に環境浄化装置が設置されたかのようだ(笑)。

以前、ある懇親会である人が遠目に面白そうな人だなと思えたので、近づいて話しかけたら冷たくあしらわれて、心の中で「〇〇ヤロー!」と思ったことがあった。これは時間にすればたった数秒のことなのに、それを気にしてうろたえてしまった自分への情けなさと、せっかく話しかけたのに拒否した相手への恨みがなぜか何日も続いてしまった。ある日やっと「それにはわけがあるはず」というフレーズを思い起こしてみたら、「それだけその人と仲良くしたい(できるはず)っていう期待感を自分は持っていたんだなあ」と気づいた。そしたら、うろたえた自分を許せてしまった。すると、不思議と相手の冷たい態度も「そう見えた」だけで「なにかわけがあったんだろうな」と落ち着いてとらえることができ、その「わけ」がわからなくても気にならなくなった。

こんな風にソリューションフォーカス的内省は自分を救ってくれる。“好ましくない表象”の奥には、“健全な願い”が眠っていたりすることが多いことに気づくと、気持ちが折れてすぐに回復できない時でも、あとできっと「そのわけがわかるさ」って思えてくる。

僕は完璧じゃない。でも若い頃は完璧じゃないことに気づくと、神様にバレる前になんとか自分を変えようと焦っていた。今は「完璧でないままで、次の一歩を踏み出す」ために、完璧でなさ具合を責めずに、呼吸を落ちつけてSF的内省につなげている。

それができる時「自分と究極に仲良くする」道を歩んでいる気がする。そして、神様は全部お見通しながらやさしく見守ってくれているのだろうと思っている。

SF伝道者の四方山話 No.40 青木安輝” に対して7件のコメントがあります。

  1. 上野哲生 より:

    今日もいい話をありがとうございました。
    私も日々ちっちゃい自分と折り合いをつけています。
    インスーさんの言葉、頭に刻みこんでおきます。

    1. 青木安輝 より:

      上野さん、コメントありがとうございます。ちっちゃい青木とちっちゃい上野さんがニコニコしながら会話しているイメージが浮かんだら笑ってしまいました。放置せずにその都度「折り合いをつけていく」方が身軽になれますよね。

  2. かや より:

    なんか似た感覚が私にもあります。
    月に数回実家に来ると仏壇(父)に
    線香をあげ手を合わせる。
    母や家族の健康、近況報告、愚痴、怒り、etc.
青木さんと一緒で
世界平和(^^;; その他、色々(具体的内容は秘密ね)
    父や先祖や神様に祈るわけでもないんだけど
    なんだろね。誰にも「言わない」「言えないこと」を
    頭の中で言葉にしている。
    「アプリシエート」や「ソリューションフォーカス基本セミナー」に
    参加して前と変わったのは
    頭の中の全て(青木さんが書いてるゴミも)のつぶやきが
    何かのリソースになる可能性を秘めていると思うようになったこと。
    そうそう。そう考えるようになったから
    仏壇に手を合わせてつぶやく内容が多くなっているかもしれないです。
    「ごめんなさい」相変わらずまとまりのない書き込みで
    でも、これも最近思うんです。
    「まとまらなくても口に出してみる(書いてみる)」
    これも何かの誰かのリソースになると思うから。

    1. 青木安輝 より:

      彼谷さん、コメントありがとうございます。確かにきれいにまとまってはいないかもしれないけど、彼谷さんが僕のブログを読んで色々感じてくれたことがめっちゃ伝わってきます!これからの時代は、きれいな文章はAIに任せて、その分人間は素のまま、まとまりをつけようとする以前の源泉に近い表現をする方が「らしさ」を感じられてよりヒューマンなのではないか、なんて思う今日この頃です(笑)

  3. おっくん より:

    青木先生へ

     おはようございます。
     ようやく少しだけ涼しくなったようですね。 
    わずか2、3度の変化でも安らぎを感じています。

     ぼくの家には仏壇はないのですが、実家に
    帰ると何かの儀式のように仏壇の前に座ると
    不思議と落ち着いた心持ちになるようてす。
    特にご先祖様に報告することもないのですが、
    仏壇の前に座るという行為そのものが別世界
    なんでしょか。

     最近、家内はベッドに入って寝る前に
    「地球さん、今日はどうもありがとうござい
    ました・・・。明日もどうぞよろしくお願い
    します」とつぶやくようになりました。
     ぼくもあわせて「太陽さん・・・」と。
     善かったことにも悪かったことも含めて感謝
    &リセットなんですかね? 
     寝ながらでは地球さんにも太陽さんにも
    届いてないかもしれないですね、笑。

    おっくん

    1. 青木安輝 より:

      おっくん、コメントありがとうございます。
      昨晩は皆既月食を見ました。なんだか不思議な気持ちになりましたねえ。天体が動くスピードって人間には動いてないかのように見えるけど、ちょっと目を離すとさっきとは確実に何かが違っている。ゆっくりでいいや、確実に変化してるからって、なんだかそんな気持ちになりましたよ。

      1. おっくん より:

        いそがなくていいんですね。
        今日から寝る前に
        お月さんにもご挨拶😊

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