SF伝道者の四方山話 No.30 青木安輝
「か」たづけるいこ
ひょんなことがきっかけでるいこ(私の妻)が最近軽快に断捨離を進めています。特に家の中の倉庫部分や色々なものが溜まってしまっているアトリエスペースが見る見るうちに綺麗に片付いていってます。そのきっかけというのが、幼稚園時代のお道具箱から生まれた人生の究極のフューチャーパーフェクトとも言える未来イメージでした。面白いなあと思って、「アプリシエート(自分語りWS)」で使っているAOKI HOUSEの応接間でインタビューさせてもらいました。以下はその聴き取りをもとにして僕が組み立てたストーリーです(その意味は最後に)。
ウチは子供がいなくて夫婦そろって60代後半に入ってきたので、緊急性はなくても「最後の最後は・・・」という終活意識も混じって断捨離はここ数年ずっと頭の片隅にある課題でした。最後は自分(たち)できれいに終わらせられるように、元気なうちに準備をしておきたいとるいこは強く考えていたようです。しかし、なかなか重い腰が上がらない・・・。
それでも、やっと倉庫の奥を少しづつ片づけ始めていたら、幼稚園時代のお道具箱が出てきました。彼女の父が国家公務員だったので引っ越しが多く、子供時代の思い出の品はかなり捨てられてしまったけど、この木製の箱だけはなぜか親が大事にとっておいてくれたそうです。中はからっぽで何が入っていたかの記憶もないけれど、「たづけ(旧姓)るいこ」とひらがなで名前が書かれているのを見て子供の頃を思い出し、「あぁ、自分の人生のスタート地点がここにあったんだなあ」と感慨深く思ったそうです。
それから何十年かの間には色々なことがありました。学生時代のこと、最初の就職、転職、結婚、インドのアシュラム体験、かわいいペット犬たちのこと、趣味で始めた色々な活動のこと、社会人大学生になったこと、登山への傾倒・・・細かく数え上げればキリがありません。そして、それらの活動の記録や遺物がいろいろあって、どれを残してどれを捨てるかを考え始めると結論が出ず、よくわからなくなり、整理しようとする意欲も減退してしまっていました。
ところが、人生のスタートの象徴とも思えるお道具箱を見ているうちに、「人生の最後に遺すものはこの箱に収まるくらいにしたい!」という考えが浮かんだそうです。遺品箱!そうしたら、とてもスッキリした気持ちになり、整理の検討対象となっている色々なモノを見て、迷うことなく「これは必要ない」とスッパリ処分できるようになったとのこと。
人生のスタート地点で使っていた小さな木箱が、人生の最後にも自分の生きた証を収めるものになるというアイデアによって、人生のスタートから今までと未来がすべてつながっていく感覚を覚えたそうです。大事なのは、「私は人生を大切に生きた」という感覚であって、その過程で生まれた具体的なモノはそれを思い起こさせるためのリマインダーに過ぎない。本当に大事なことは「あれもこれも」ではなくて、人生を大切に生きたという想いであるなら、それはこの小さな箱に入るくらいシンプルなことであるはず。そう思ったら、吹っ切れたそうです。
「何を入れることになりそう?」と尋ねると、「箱はあくまでもシンボルだからさ、具体的に箱の中にモノとして何を入れて遺すかということにあまり意味はないのよね。もしかしたら空っぽのままにする可能性だってあるもん。」それを聴きながら、僕は想像しました。何十年かたって・・・最後の最後にその空っぽの道具箱を見て、「私は人生を大切に生きた」と安らかに微笑んだまま目を閉じる妻の姿を。うわっ、絵(詩)になるなぁと妙に納得!
お道具箱を遺品箱にというアイデアを思い付いたら、どんどん片づけが進むようになったという話を写真付きで本人がSNSに投稿したところ、友人が「箱に書かれた名前の頭に『か』をつけたらどう?『かたづけるいこ』になるよ!」と楽しい提案をしてくれました。そして、それを実行したら、さらに断捨離が加速しました!
妻はこの「『か』たづけるいこ」を見るたびにフレッシュな気持ちになるようで、今ではこの道具箱が載せてある棚を「私の神棚」と呼んでいます(笑)。
僕は最初にこの「道具箱→遺品箱」の話をるいこから聴いたとき、「望む未来から逆算する」という意味で「フューチャーパーフェクト」だ、しかも究極の!と思いました。よし、これは色々尋ねて掘り下げて中身の濃い話にしてブログ記事にしようという下心でインタビューを申込ました。るいこもOKしてくれて、実はさきほど終わったばかりです。
しかし、僕が繰り出す色々な質問に回答はしてくれるのですが、途中でこう言われました。「質問に答えようとすると“説明”になっちゃうんだよねえ・・・。本当は詩の方がいいんだけどなぁ」。確かにふと浮かんだ想いって、そのまま自分の心の中にあるとエネルギーがあるんだけど、分析的な説明言葉に変換されちゃうと「わかるけど力は湧かない」ってことになる場合が多いですよね。
さて、どうしよう・・・よし、これは「役立つ誤解」の出番だ!
彼女の心の中で、幼稚園の道具箱、遺品箱というイメージ、何が必要で何は必要でないかがくっきり見える感覚、人生、片づける、軽快に動く、背負うものを減らす等の言葉やイメージの断片がどうつながっているのかは、最終的には本人にしかわかりません。僕が下手な言葉をあてはめようとすると、「んんん、っていうより・・・なんだけど」と、どうもしっくりこないようです。だから、「るいこさんはこう思ったようだ」と、あくまでも僕の想像なんだと認識してこの文章を書きました。でもね、彼女の真実と僕の解釈がずれていたとしても、僕にとってはなんだかさわやかなエピソードで、「あれもこれも」と欲張らずに「俺の人生これ!」ってシンプルにしてしまっていいんだとインスパイアされた気がします。
そう言えば、ソリューションフォーカスの用語で”stay on the surface”ってのがありました。簡単に言うと、相手の言うことや事実に対してウラを読んだり深読みせずに、そのまま受けとめることが大切ということなんです。だからここから先は、軽快に片付けを進めるるいこの姿と神棚のように祭られた「『か』たづけるいこ」の道具箱をニコニコと見守るだけにしようかと思います♪
青木さん、るいこさん。とても素敵なお話をありがとうございます!
読みながら、内容とは関係ない部分ですが、お二人のインタビューのやり取りに感激しました。夫婦間の対話がこんな風に豊かに成り立つって最高だなぁと。お互いを尊重している様子もまた素敵。ふむ、私は夫との業務連絡のような日々の会話を省みることになりました(笑)
断捨離に至る、るいこさんの気持ちの変化からも学ぶことがあります。私は欲張りになると頭痛がしてきてぜんぶ嫌になっちゃいますが、自分にとっての意味や意義を問い直したり、人生を味わいながら選ぶことをする時間を過ごせたらこれまた良いですね。
我が家には引越しから開けていないままの段ボールが2つ押し入れに眠っています。今こそ、箱を開くとき!
こばちゃん、コメントありがとうございます!
いやあ、うちも業務連絡ですましている日々はかなりありますよ。
でも、この日はね、「これは単なる日常会話じゃなくて『オフィシャルインタビュー』にして色々聞いてみよう!」と思いついたら楽しくなっちゃってね。場所もセッティングして、飲み物とお菓子も用意して、「どうぞこちらにお座りください」とあらたまって(ま、半分ジョークですけど)、ノートも取りながら1時間くらい話を聞きました。これは意外と楽しかったですね♪
ある意味一番遠慮しないで済む”夫婦”という関係だと、相手が何か言ってても悪気なく上の空にもなるし、自分が言いたいことが浮かんだらすぐ言ってしまったりして、相手の言うことを最後まで、さらにその奥まで聞こうとするなんてことはあまりないんですが、「インタビュー」という形をとってみたら、好奇心が高まって、新鮮な感じがありました。
そこに注目してくれてありがとう!!
『かたづけるいこ』のことは「るいこさん」のSNSの投稿で興味深く見ていました。
ちょうど母の介護で実家に来ていて母もお風呂に入り寝室に行き、一人でなんとかくテレビをつけてボーとしていたら、青木さんからの「SF伝道者の四方山話」の投稿!
思わずテレビを消して真剣に読まさせてもらいました。「るいこさん」の直感からの発想とすぐに実行する行動力。それを包むようにサポートする「青木さん」の包容力。ねーねーねーって感じです
最近。IDやパスワード、連絡して欲しい友人や企業、預金口座、保険の手続きなどをまとめた「私が死んだら」ファイルを作らないとな…などと考えて、なんの行動もできていなかった自分の背中を押してもらった感じです。ありがとうございます
かやさん、コメントありがとうございます。
お母さんの介護で遠くまで大変ですね。お疲れさまです。うちは両方の実家の親は皆あちらにいってしまったので、介護といえば、どちらかがそれが必要になったら・・・の話しはよくしますよ(笑)。今回の断捨離はるいこが頑張ってくれてますけど、墓じまいのことやその他もろもろまだまだこれからって感じです。
残された人が困らないようにという意味あいももちろんあるんですけど、それにも増して片付けないままのことが沢山あると知らないうちに無意識の容量が使われてしまって精神エネルギーが減衰する気がするんですよねえ。僕もるいこを見習って中途半端なことを整理して「最後は~だけ」みたいな境地を目指したいです。
でもね、頭でわかっている通りに行動できない自分だったとしても、それを受けいれちゃう訓練も日々しています(爆)。
青木先生へ
青木さんと奥さんはご夫婦なんだけど、旦那と奥さんという関係ではなく「あおきやすてる」と「あおきるいこ」って感じなのかなあって想像してます。お互いをひとりの人間として惹かれ合っているんだなあと。
○○会長とか、○○課長とかの肩書きで呼ぶとその人とは違うもう一人を見ているようです。お父ちゃんという呼ばれ方にも親しみもあれば、型にはまったイメージで見ていることもあるかも知れないですね。(こんなことはついさっきまで考えてもなかったことですが書いてしまいました)
ともかくお二人は対等な関係性でフィルター無しでお互いを見られているんだろうなと感じました。
るいこさんの言葉の
「質問に答えようとすると“説明”になっちゃうんだよねえ・・・。本当は詩の方がいいんだけどなぁ」
わかるような気がします。
そこでまたまたヒントをいただきました。
4軒となりに93になるおばあさんが一人で暮らしておられます。班長としてたまに声かけに言ったときは喜んでくれますし、野菜をいただくことも。
ただいつも人の悪口も聞かされるので何とかしたいなあと思っていました。
そこで「交換日記」してみようかなと、今思いつきました。人生の最後は楽しい思い出につつまれますようにですね。早速やってみます!
今回もありがとうございました。
おっくん、毎度コメントをありがとうございます!
確かにね、旦那と奥さんという表現は僕たちには合いませんね(笑)。ヤステルとるいこだと思います。おれたち夫婦じゃないよ・・・親友だよ♪なんて言うこともあります。だからラブラブなんて表現も合いません。好きなことをやることを応援し合う感じですかね。「夫婦」というフィルターは対外的に必要な場合には使うけど、お互いの間はフィルターなしというよりは、「ヤステル」と「るいこ」という”フィルター”(過去の記憶の集積?)がかかってるかな。
どう思いついたのかはわからないけど、そのおばあちゃんとの「交換日記」って面白そう!!書くことが好きな人だといいね。しゃべる方がいい人だとまた別の方法もあるかもしれないけど。良かったら、どうなったか教えてね~♪
フィルター無しの眼鏡で見てみま~す💖
素通し!わおっ!!
シンプル~♪