SF伝道者の四方山話 No.18 青木安輝
自分だけが発見できる「奥の院」♪
「運動神経がいい」って言葉は小さい頃あこがれだった。自分は運動オンチではなかったし、小学校の体育の時間では色々なスポーツが上手な友達を10としたら多分6~7くらいはいけてたと思う。でも、中学高校で運動部に入ってもすぐに挫折、大学生になってスキーに行くとへっぴり腰でかっこ良くない。そんな僕が唯一のめり込めた競技が、28才で始めたゴルフだった。
初めてのコースラウンドは照明施設があるゴルフ場でのナイター。そして途中からどしゃ降りの雨になったにも拘わらず、「世の中にこんな面白いものがあったんだ!」と感動して、「これは一生探求する対象だ」と思った。それから36年のゴルフ歴の中では、なかなか上達できない時期、前よりうまくなったことを実感できた時期が交互にやってきた。スコアが100を切る壁、90を切る壁、80を切る壁、ハンディキャップが一桁(シングル)になる壁等を乗り越えるまではかなり苦労した。スイングイップス(クラブを振り上げると体がフリーズしてしまう心因性の症状)になって「もうダメだ。やめちまおう・・・」と思ったこともあれば、クラブチャンピオンになった(ソリューションフォーカスを立ち上げる前の年)黄金期もある。仕事でプロゴルファーのメンタルトレーニングを引き受けたり、往年の名選手ゲーリー・プレーヤーのゴルフ人生本を翻訳出版したり、アマチュアの公式競技に出場したり、色々なゴルフ仲間に出会ったり、ゴルフの聖地セントアンドリュースでプレーしたりと、色々なことを経験させてもらい、本当にありがたく思う・・・。
で、今日のトピックは、もっとも最近の「前より上達している!」がいかにして手に入ったかです。一言で言えば、「上手になる」ということに関する捉え方が変わったことによって、「練習の質がソリューションフォーカスになった」ということになります。その捉え方をあえて言葉にすれば、「憧れの対象と同じになる(する)」のではなく、「さっきの自分より少しよくなることを目指す」ということになるかもしれません。
本題の前にもう少し状況説明させてください。株式会社ソリューションフォーカスを創立してから10年くらいは、欧州SOL Worldのソリューショニストたちとの交流、そして日本でソリューションフォーカスを一般社会に広めようという活動がそれまでの職業人生の中でもっとも広がりを感じて楽しかったので、そこに集中するためにゴルフはほぼお休み状態にしました。しかし、シニアになったらまた公式競技に出られるくらい本格的に再開しようと思っていたので、50代後半でまたゴルフに注ぐエネルギーと時間を増やしました。
ところがゴルフを再開した当初は、酷いショットが多く、試合に出ても最下位、ハンディキャップも二桁になってしまい、自分はシングルプレーヤーであるというプライドも維持できず散々でした。しかし練習量を増やしたおかげで、なんとか再びハンディキャップが6~8を行ったりきたりするレベルに戻りました。ただ、身体が硬くなってきて、筋力が落ち、飛距離も落ち、視力も落ちて眼鏡が必要になってくるなど、マイナス材料が増えました。年輩のゴルファーが口にしがちな「若い頃はもっと飛ばせたのに・・・」という詠嘆調のセリフや身体の不調がいろいろあるからという言い訳を聴くのが、若い頃はとてもイヤだったのに、それを言いたくなる気持ちが身に染みてよくわかるようになってきたのです。しかし、どうせこんなもんだとあきらめたくない。自分がなれる最高レベルのゴルファーになるためにできることをやりきった・・・という感覚はまだない。だから、なんとかもっと上達する方法を見つけたい・・・。
これが5年前くらいの基本的状況でした。
そんな中、同年代のゴルフ仲間たちがYouTubeの短時間ゴルフレッスンを観るようになり、にわか解説者の生かじり理論を聴かされることが増えました(苦笑)。だけど、そんな5~15分程度の動画を観たからってうまくなるわけないと思っていました。ゴルフの理論や練習法に関しては、自分に合ったものを厳選することが大事で、良さそうだからとやたら試していたら自分のスイングはまとまらずにバラバラになってしまう・・・と考えていたのです。携帯を開くたびに玉石混交の雑多なレッスン動画を観てしまったら、キリがないし混乱するだけだと。
「これだけやれば必ず上達!秘密の〇〇」とか「〇〇しただけで飛距離が30ヤードも伸びた!」なんていう宣伝文句が目に飛び込んできても、「ウソくせー!どうせ名もない中途半端なティーチングプロYouTuberの登録者数稼ぎだろ」と思ったので、中身を観る気にはなりませんでした。そして「いつかは自分にピッタリ合う理論とコーチを見つけて、それ一筋で精進しよう」と、あてのない理想境を夢見るだけでした。でも、そういうコーチを見つけて弟子入りして“本格的”に取り組むには、きっと相当なお金と時間がかかるはずというイメージがあり、尻込みして「なれる最高のゴルファー」に向けて前進するどころか、体力低下分だけ後退し始めた感じがしていました。
ある時・・・ふと思いました。無いものねだりじゃなくて、手元にあるものを活用していくってのがSFスピリットだよなぁと(人にはそう教えてきただろ!?・汗)。既にあるリソースを活用せずに、「いつか正しい先生について正しい理論で」って考えるのは全然SF的じゃないゾと思い直し、試しにYouTubeレッスンを観て、できそうなことから始めてみるか、と思ったのがコロナ禍が始まった3年前くらいのことです。で、何が起こったか。
結果から言うと、現在ハンディキャップは5まで向上し、去年今年と公式競技「関東倶楽部対抗」に出場する所属クラブの代表選手に選ばれました(すみません、自慢です!)。
ここから先が本題です。
まずやったことは、少しでも「ピンと来た」レッスン動画やゴルフ雑誌の記事を見つけたり、なるほどと思えるゴルフ仲間の成功体験を聞いたら、それを「試してみる」ってこと。幸い、家の車庫にネットを張って球が打てるようにしてあるので、飛んでいく球筋は見えなくても、当たる感触は得られます。で、一つのことを試したことにより「何か良くなる感覚があったらそれを続ける」「何もいいことがなければ捨てて違うことをする」というSFの原則を繰り返しあてはめ続けたわけです。どこかに絶対的に正しい体系的なやり方があって、それを教えてもらう必要がある・・・と考えるのをやめて、手当たり次第試しまくり、自分の中に「気持ちよく残るもの」を大切にすることにしました。「一貫性のある体系的理論」という幻想は捨てたのです。
もし「“正しい”理論の“正しい”コーチ」についてしまったら、そんな風に気軽に「やり方」の取捨選択はできずに、「〇〇ができるまで次のことはやらない」というストイックな練習法をやり抜くことに憧れながら、どこかのステップで止まってしまったことでしょう。そして「なんでコーチの言う通りにできないんだろう・・・」と落ち込んだろうと思います。過去にそういう経験を何度かしましたが、その時は自分を責めて上達しないまま終わっていました。
この文字通りの「試行錯誤」を始めてみると、色々発見がありました。面白いのは、一つの動画で言っていることをやっても「なんだかよくわからない」という感覚しか残らなかったのに、別の人の動画で言っていることを試したら「そうか、こういうことだったのか!」と理解(体感)できることがあること。また、別々の動画で言ってるバラバラなことを試した結果、それらが自分の中で繋がって、自分なりの新しいイメージができあがったりするってこと。一つひとつの「教え」は違うことのようなんだけど、自分の身体の動きの中でそれらが有機的につながる接点が見つかるんですよ!この自分なりの「発見」をコースで試して、うまくいくことだけを残していく。うまくいかないことはただ忘れていく。そんなことを繰り返す中で、自分の基準みたいなものができてきました。自分に合う正しいスイング理論は「どこか」にあるんじゃなくて、自分が発見するまで世の中に存在していないんだ!そう考えると探求心が俄然活気を帯びてきました。「誰か教えて~!?」ではなく、「新情報インプット→実践→振り返り→発見→改善」を繰り返す自己学習サイクルが楽しくなったのです。
そうすると、失敗した時も自分を責める気もちより、「今何が起こったのか」に意識が向くようになりました。それが「よし、次は〇〇してみよう!」という改善策につながります。それがうまくいったらもっとやるし、うまくいかなければまた違うことをやる。途中で自己否定をしない。まさにSFです。理想的スイングと比較してのマイナス自己評価ではなく、さっきより少し良くなったことを発見する喜びに意識を向けるようにしたわけです。
現在の具体的目標はハンディキャップが「0」のスクラッチプレーヤーになることなんですが、これはとても高い目標で健康寿命の間に達成できるかわかりません。しかし、練習の質が外部基準じゃなくて自分の感覚からのフィードバックを基準にしたものになったことで、これからさらに上達できそうな気になれました。「自分がなれる最高のゴルファーになる」という望みは叶う気がしています。だから楽しい♪
さて、タイトルの「奥の院」ですが、これは入口(beginning)に対して目指すゴール(end)という意味でイメージした言葉です。「なれる最高のゴルファーになった状態」が「奥の院」に当たります。そして、そこに至るための入り口は無数にあります。様々なYouTube動画レッスンや雑誌記事、仲間の体験談等はすべて入口です。色々な入口から入って、迷って、新しい道を見つけ続けることで、段々と地図ができてきます。そして「奥の院」のある方向が感知できてきた気がするのです。入口は大事だし、人に示してもらうことはできるけど、そこから先に進んで「奥の院」を見つけるのは自分にしかできないこと。こう考えると毎回の練習にとてもロマンを感じます♪だから入る前にそれが「正しい入口」かどうかにこだわる必要はまったくないし、むしろ入った後でそこから先に進む気になる入口が良い入口なんだと考えるようになりました。
どこかにいるかもしれない“素晴らしい先生“にいつか出会いたいと儚く期待するのではなく、自分が既に持っている「必要な情報にピンと来るセンス」「身体からのフィードバックを感知する能力」「身体の健康を保つ努力をする意欲」をお伴にして、「奥の院」に向けて冒険の旅を続けるゴルファー♪このセルフイメージが自分に力を与えてくれてます。
さて、ここまで書いてみて、ふと思いました。
「ソリューションフォーカス」ってのも自分にとってはゴールじゃなくて一つの入口なんだとすると、今人生の「奥の院」にどのくらい近づいているんだろう・・・。そもそもその場合の「奥の院」て何だったのかな?今なんだか居心地のいい場所に居させてもらっているけど、まだこの先に扉が見える。そこには「アプリシエート」(*)という札がかかっている。さて、この扉を開けると何があるのかな?ん~、どきどきわくわくするぞ~。
(*)ただ今企画中の「自分語りを聴き合う」プログラムの名称。
青木先生、ご無沙汰しております。
青木先生のブログを拝読し、「守」・「破」・「離」と言う言葉を思い出しました。
「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。
「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
だそうです。
まさに青木先生の現在のゴルフは「離」の境地にいらっしゃるんだなあと思いました。
私も社会人になってゴルフ始めましたが、30年以上経った今でも110切が目標です。(恥ずかしい~)偶然が3回ぐらい重なってナイスショットが出て、100を切れた日なんかは嬉しくて
夜も寝られません。(笑)真剣に上手くなりたいと思った時期はゴルフスクールに通ったり、レッスンプロに教わったりもしましたが、その時は熱心に練習しても、うまくいかなかったらいつの間にか我流に戻ってしまい、今もって100切目標ゴルファーです。
「離」の境地に達している人は、スーパーコーチからの教えを乞うというよりかは、我々が何気なしに見過ごし、「大した事ないよ。」と通り過ごしているものの中にあるお宝を、洗練された触覚で拾い上げ、自分自身の細胞の中に取り込んでそれを自分のスキルとして昇華させてしまうことの出来る何かがあるんだなあと思いました。でも、そこに至るまでの道のりは如何に険しく、想像を絶する程の努力が必要だったことは想像できます。
「年間100ラウンド以上を何年間かやり遂げた。オーストラリアにゴルフ留学していました。」
そんな青木先生の言葉を思い出しました。
ところで、私にとってのソリューションフォーカスの最大の魅力のひとつとして、その辺にある平易な言葉でも、その時の使うタイミング、相手の心理状況、自分の相手を思いやる気持ちなどがうまく重なり合って発せられるOkメッセージには魔法の力があると思っています。
インスーの「理論はシンプルだけど、実践はアートね。」
相談者「先生、私、何をやってもダメなんです。」
アーティスト「あ~、今まではねぇ~」〈今まではダメだったかも知れないけれど、これからのあなたはきっとちがうよ。)
私はSFを学び始めの頃、この短い言葉の返答に衝撃を受けました。『こんな簡単な言葉の裏側にこんな相手への想いを込めておしゃれに返せるんだ・・・・自分もこんな言葉を自由に使いこなせるアーティストになりたい。』と思いました。
今回の青木先生のブログには、
特別な大尊師様に出会わなくても、自分の身の回りにある平凡な出来事の中にでも、研ぎ澄まされた触覚を絶えず磨いていこうとする意欲さえあれば、何かのきっかけで必ず進化出来るんだ。そんなメッセージが込められているんだなあという思いがし、とても勇気づけられました。
いやいや、やっぱりそれは「離」の境地にある人が出来ることであって、私のようなヘボゴルファーは上手い人に教えてもらって100を切れた夜は、自分のご褒美としてビールを飲んで寝ます。(笑)
いつの日か、青木先生と一緒にラウンド出来ることを夢のまた夢として抱くこととします。
ありがとうございました。
豊村さん、コメントありがとうございます。これを書いた後に読み返してみて、ここに書いたこと以上に色々なことが関係していて、とても書き尽くせてないなあと思いました。でもこのようにストーリーをまとめたことによって、僕にとっては何を大切にするかという軸が明確になりました。読んだ方が何か汲み取ってくれたら嬉しいですけど、書いた本人には既に役に立ってます(笑)。実は何回も書き直したんですけど、その度にストーリーが微妙に変わっていって、既に起きた”事実”であるはずなのに、どう思い返すかによって違う話になるんだなあとあらためて実感しました。J-SOLなんかでも、発表する人がどう話をまとめるかに苦労されている時に、事実全部を正確に伝えるなんて無理だし、自分が納得して、聴いている人に何が大事なのかが伝わるストーリーになるようにすることをおすすめしていました。話す、文章にする、面白い行為だと思います!
いつか一緒にゴルフしたいですね♪
青木先生へ
5月の風のように爽やかな気持ちに包まれています。青木先生のワクワク感がビンビンと伝わってくるからなんでしょうね。おかげで私の心の霧がすーっと晴れていくようです。
「人間というものは面倒くさい生き物だ。でもその面倒くささがあるから生きていくのが面白くもある」と、そんな風にも聞こえてきます。
思い返せば定年して別世界に踏み出す時、「これまで培ったもので勝負するんだ」と意気込んでいたのにそれが全く通じないことに気付かされました。しかし実はそこから始まるストーリーの方が断然面白いことにも気づくことが出来ました。
現在、ドライバー、先生、料理人、作家、コラムニストに最近ではリフォーム、自治会と肩書きは増えつつありますが、どれも出来なかったことや知らなかったことをクリアしている自分を楽しんでおります。ただ青木さんの仰るように、それぞれのテーマの中の実践で何が有効で何がそうで無いのか整理していく必要があると気付かされました。単に年数を重ねるだけでなく、何事も自分で発見しないといけないですね!
ただ今62才。試行錯誤の真っ只中です。僕の奥の院はどこにあるんですかねえ☺️
おっくん、いつもコメントありがとうございます。
ホントにマルチタレントな活躍してるよね♪フェイスブックにいろいろ書いてらっしゃるけど、新しい世界を探検し続けるおっくんの「今」はとても豊かだなあと思っています。前にやってたことが活かせないというところからのスタートの方が断然面白いっていうのが凄いね。やっぱり新しいことに挑戦している方が細胞が活性化するんだなぁ!
「できなかったことや知らなかったことをクリアしている自分」て嬉しいよね。そのおっくんのワクワク感からは、いつもこちらも刺激受けてますよ!奥の院に行くまでにいろいろなところを通過するのが楽しそうだなあ。
SF的に分析すると?ステージをいくつか持っていると、ひとつにつまづいても他のステージで挽回したとしたら、割と気楽に行けるような???
会社時代の私は優等生ではなかったけれども、周りからもSF人として認識されていたので動きやすく、立ち直りが早かったのかもしれませんね。
そうだよね。色々なステージをもっていたい!