SF伝道者の四方山話 No.15 青木安輝
「プラスの眼鏡」で振り返った私の2022年
これは先日開催したオンライン「SFブログ読者Café」年末スペシャル版のタイトルです。2時間使って12名で今年の良かったことをシェアして、うさぎ年の来年はぴょんぴょんと軽快に飛び跳ねて行こうというエネルギーを高め合いました。(参加者の皆様の感想はこちら)
さて、僕が「プラスの眼鏡」で振り返ってみて今年良かったと思えたことを10個あげてみます:
★12年間研修を続けてきた自治体(広島県廿日市市)の「人材育成基本方針」改訂版で「ソリューションフォーカスの視点を大事にする」という文言が盛り込まれた。
★ある製造業の大規模事業所で9年前から継続している「SFモデル職場活動」で、成果発表の内容がより洗練され進化している実感があった。
★ある自動車会社の全国販売店幹部向けに制作した動画教材「人を活かすマネジメント講座」でSFを学んだ人が提出してくれた「成果レポート」に優秀事例がいくつもあった。そしてそれらを成功事例集にまとめるプロセスが順調に進んでいる。
★ブログ「SF実践者の“ザ・リアル”」とその読者のためのオンライン読者Caféが気持ちよく継続できている。共同執筆者の皆さんがとても協力的でありがたい。
★10年前に僕の本を読んでSFセミナーに参加してくれた人から10年ぶりに突然メールが届き、国際援助の様々な場面でSFが活用できていてありがたいとお礼を言われた。
★痛風の発作が出たことで、お酒をコントロールして(一カ月に10日飲まない日をつくる)飲めるようになった。一回も薬を飲むことなくその後は発作が起きていない。
★ゴルフで人生2度目のホールインワンを達成した。しかも所属クラブの月例競技会で。
★自分の誕生日祝いにライブハウスを借り切って「The Party @ 64」という歌パーティーを開催して、皆さんと楽しい時間が過ごせた。そのための歌レッスンも良かった。
★16年乗ったプリウスからスバルXVに乗り換えてとても気にいっている!
★比較的安価なスポーツジムに入会して、以前と違ってしっかり元は取れていると思えるだけ使っている。
こう書き出した後のリストだけを見れば、「良い一年だったじゃないか!」という印象になりますけど、この作業をする前は、自分の意識の中でこれらのことはバラバラに散っていて、一つのことを思っている時は他のことは無意識の中に隠れています。だから良かったことよりも、ダメだったことや、やろうと思っていたのにしなかったこと等への後悔の方が大きく見えてしまうこともしばしばでした。そんな時は「今年はイマイチだったなぁ・・・来年はもっと頑張らなきゃ」みたいな気持ちになります。
ところが不思議なもので、書き出す前は「良かったことそんなにあったかなぁ・・」と懐疑的だったのに、書いているうちに「もっと色々ありそうな気がするなぁ」という感覚に変わりました。実際に書いているうちに、ここには書きだしていない他のいくつもの良かったことを思い出すことができました。特に小さいけど良かったことが沢山浮かんできて、それが思い出せたことで味わえる嬉しさは意外と小さくないことを実感しました。
また、書き出した一つひとつのことも、プラスの眼鏡をかけていなければ、「もっと上手くできたはず」と減点法で見ていたり、他人と比べて「Xさんの〇〇から比べたら大したことない」と否定的にとらえていた可能性もありました。「プラスの眼鏡をかけて振り返る」と意識したからこそ「良かったことリスト」に入ってきた項目もあります。
そして、読者Caféで皆さんとこれらの良かったことをシェアして、それに対してOKメッセージをもらったら、「ああ、今年は思っていた以上に良い年だったなあ!」という感覚が強くなり、「来年は~しなければ」という義務感ではない「よし、来年は~するぞ!」という自然に前向きな気持ちが高まってきました。それが今でも続いています♪
思うに、そういう感覚が強化されたのは、自分の良かったことを意識したことだけの効果ではなく、他の人たちの良かったことを聞いて、それに対して「良かったね」の気持ちを伝えたことで、「良かった」の感覚が「自分だけ」の範囲から「皆も一緒に」という、より幅広い範囲で響き合う感覚に広がったからだと思います。「良かったこと」を共有し合うというのは、集団心理的にとてもパワフルなことだなぁとあらためて認識しました。
もし、読者Caféをやらなかったら、僕にとってこの年末の感覚はなかったかもしれません。カフェに参加された方が「SFの仲間っていいですね」とよく言ってくれますが、確かに普段の生活の中では自分の良かったことをリストアップして聴いてもらうなんてちょっと気恥ずかしくてなかなか言い出せないかもしれません。やってみたとしても、最後まで全部聞いてくれてOKメッセージを返してくれる人は少ないかもしれないし。
日常生活すべてを「プラスの眼鏡」をかけて過ごすことは不可能だし、それでは危険な場合もあります。「マイナスの眼鏡」も必要です。しかし、リスク回避のためにマイナスなことへの感受性を高めていることに無自覚で、その状態が「普通」になってしまっている人が非常に多いような気がします。しかし、それは自分の可能性を狭めてしまうことにつながります。ときどき警戒モードを解除して、「プラスの眼鏡」に徹して自分を振り返る、そしてそれで見えたことを「プラスの眼鏡」をかけている人に聞いてもらう場を持つことはとても重要です。実際にやってみると、爽やかに未来に向けて何かやりたくなるエネルギーが生まれます。シンプルなことですが、それができる場って、思った以上に稀少で貴重なことなのだと、今回の読者Caféを通じてあらためて思いました。
来年も「SFブログ読者Café」では年末に限らずそんな「プラスの眼鏡をかけてお互いの話しを聞き合う」という要素を大事にしていきたいと思います。皆様のご参加を心よりお待ち申し上げます。(日程発表は年明けになります。少々お待ちください。)
来年は「うさぎ年」で、新しいことにチャレンジするのに適している年まわりだそうです。望む未来に向かって軽快にぴょ~んと跳ねていきたいものですね。どうぞ良いお年を!
追伸:
ここまでの文章を読み返してみたら、何かがまだ表現されていないと感じて、少し霧がかかっているような気がしました。柚子湯につかりながらそれは何だろうと考えていたら、ふと「何の(誰の)おかげでそれは可能になったの?」という問いが浮かびました。そして「良かったことリスト」の一つを取り上げて、その問いを自分に発してみました・・・。すると出てくる出てくる色々な人が!「あの人のおかげで~できた」ということが思い浮かぶたびに変な力みが溶けていき、顔がほころんでいくのを感じました。一人でやれたことなど何もなく、運よく色々な出会いがあり、本当に多くの人のお世話になり、その土台の上で自分が自分の役割を果たそうとした結果なんだなあと思ったら、最後に残っていた霧がぜんぶ晴れました!
あ、今宵はクリスマスイブじゃないか!!これってサンタさんのプレゼントだあ(^o^)
青木先生へ
私の親父もお袋も空の上にいます。
この年になっても親父の大きさを超えることはできません。学のないお袋でしたが愛の深さには感謝しかありません。こんな私に出来ることは親父やお袋の名を汚さないことであり、そう生きたいと思っています。
もし、青木先生のご両親が先生の今の姿をご覧になったらどれほどお喜びになるでしょう。直接、間接的に過去未来を通して世の人々に希望を与えておられるのですから。
そしてプラスの眼鏡で見た十の出来事は目に見える現象でありますが、その現象を引き寄せるまでの先生の歩みがとても尊いものであり、その勇気は私たちの胸中にも共鳴して参ります。
ご自身に点数を付けるとか、この先どのような悟りの姿を顕すのかを想像することは難しいと思いますが、現在の通過点が間違いなければ到達点はきっと明るいと明言したくなってしまいます。
「安輝、自分の信じた道を進みなさい!」・・・夜空のサンタクロースより
勝手なことを書いて申し訳ありません。
おっくん、壮大なコメントありがとうございます!うちの親も小学校しか卒業してませんでしたが、まっとうな人生を生きようとする真剣さからは本当に色々なことを学びました。この親を裏切ったらいけないと小さい頃から思ってましたねえ。もう向こうの世界にいっちゃってますけど、僕が書いた文章にこんなコメントをしてくれる人がいると知ったら、きっととても喜んでくれると思います。
「自分の信じた道を進みなさい」は本当に両親から言われているような気がします!
ありがとうございましたm(_ _)m
SFカフェを毎回楽しみにしている一人です。今回のブログの
*リスク回避のためにマイナスなことへの感受性を高めていることに無自覚
*その状態が「普通」になってしまっている人が非常に多い⇒それは自分の可能性を狭めてしまう
この言葉にハッとしました。
解決志向、SF的な考え方と思いながらも、無意識で反対の方向に行っている時を感じます。
そこで思い出すのは「マインドデジタル」。
『だから二分法で判断するのはダメだって~。』
と、自分が二分法で人を見ていると気づくことしばしば (/ω\)
今の私は「解決志向の実践マネジメント」の本を読み返すことと、SFカフェが確実にプラスの眼鏡へ戻る「場」「時」です。
今年もSFカフェ楽しみです。よろしくお願いいたします。
塩田さん、コメントありがとうございます!
僕もSF講師として受講生の皆さんにお伝えしていることが、自分に返ってくることがよくあります。冷静な時に「わかっている」ことと、いろいろな場面でセルフアウェアネス(自覚)を持てるかは別物ですよね(;^_^A
自分の脳内に限定された自覚だけじゃなくて、カフェのような場で人と共有した”共覚”(造語)を持つことは、その後の自覚の度合いを高めるのではないでしょうか。
おしゃべりが楽しみです♪