SF伝道者の四方山話 No.2  青木安輝

SFで”自分”をマネジメントする!?

副題:自分の心の中にいる色々なヤツらを面白がる

ソリューションフォーカスを学んだ人へのアンケートに、実践して良い結果を得られている人が「まだ意識しないとSFできないので、これが“自然にできる”ようになりたいです」と書いてくれることがよくあります。以前は「自然にSFできるようになりたい」は、高い意欲の現れ(あるいは達人への憧れ=向上心)と捉えて、「頑張ってください」と激励していました。ま、自分もそんな願望を持っていたからですね。

しかし、SF伝道を始めて16年たってもその境地には達していない自分を冷静に自己観察すると、自分の内からSF的な反応だけが自然に湧いてくる状態など(稀な例外を除けば)ないと悟りました(笑)。むしろ、同時多発的に起こる内側の色々な反応の中から意図的、意識的に(「自然に」からはほど遠い)取捨選択をしているというのが僕にとっての真実です。

実は、その取捨選択のプロセスを自己観察するのが面白いと思うようになり、自然にSFできるという境地に至らなくてもよいと思うようになりました。自分の心の中には色々なヤツがいて、それぞれ個性があって、これが本当に同じ自分なのかって思うくらい正反対のヤツもいたりして、とっても興味深い!

例えば、よく出てくるのは「出たがりやっちゃん」。僕のこと見て見て~ってうるさいやつ。こいつは他の人が自分より目立っていると嫉妬してすねてしまいます。だからSNSで自分よりすごいことをやっている人の投稿を見る度に胸をしめつけてくるので苦しくなります。でも、何か新しいことを始めるとか、面白いことを考えるのが得意という長所があるので、それが必要な時には活躍してもらいたい元気なヤツです。

その反対の「控え目やっちゃま」という品のよいお坊ちゃまもいます。いろいろなことをわかっていても主張は控え目にして、まわりの人をたてて、人が喜ぶのを見るときに嬉しいと感じるようないいヤツです。ただ、リーダーシップを発揮しなければいけない時でも遠慮しすぎてじれったくなります。

基本的にいつもそこら辺をうろうろしている「欲張り安太郎」ってのもいます。とにかく自分の感覚の喜びを求める。美味しいものを食べたい、美しいものを見たい、気持ちいいことしたい、楽にしていたい。まあ、こいつには「生命力の根源」とかそれらしいニックネームを与えてますけど、人のことを構わず自己チューなので、あまり活躍され過ぎても困るから適度で「足るを知る」ようにと指導しています(笑)。

それから「理想主義者安之進(やすのしん)」てやつもいます。「全人類が仲良く協力すれば必ず良い世界ができるはず!」と壮大な夢物語を描くのが好きで、自己犠牲を払ってでも崇高なことに加担したいという想いも持っています・・・が、あまりにも大きなことばかり考えているので、いわゆる現実というやつを見ると、気力が一気に萎えてしまってプチ鬱をつくりだので少々厄介です。こいつのいいところは、何のために生きているのかみたいな根源的な問いに対して正面から答えようとする時に発せられる爽やかな真っ当さですね。貴重なやつです。

これ以外にも八百万(やおよろず)のキャラが心の中にひしめいています。全部に名前をつけたら面白いだろうなあ、気がついたらすぐ名前をつけてメモしたら「青木安輝のトリセツ」ができるだろうなあと思いますが、これはまだ実行できてません。あっ、そういえば「アイデア出すだけ(動かない)ヤスベエ」ってのもいますね(笑)。ぶっきらぼうで尊大なオラオラ安五郎もたまに出てくるし、心配性で怖がりな弱虫やっくんもいるし、まぁホントに色々いるもんです。

面食らうのは、一度にひとつのキャラだけが活動しているのではなく、よ~く自己観察すると、“皆さん”が同時に活動してるんですよね。理想主義者と現実主義者と放置主義者が一緒にワアワア言ってたり、大雑把ですべてザル勘定なヤツと細かい計算をしつくしたいヤツが一緒に主張していたり。で、それぞれのキャラのその時の勢いによって、自分の意識に上る割合が違うだけ。

理想主義者安之進の勢いが突出している時は、自分は崇高な存在になった気がするんだけど、邪悪なヤスモンも実は傍にいて冷笑していたりします。欲張り安太郎が優勢で、あるモノを独り占めしようとする邪(よこしま)な勢いが強いと、自分て酷いヤツだなあって思ってしまうけど、安之進が出てくれば、「それが本当のあなたではありません」と励ましてくれる。そんな風に八百万のキャラが心の中で同時進行的に活動していて、それぞれとの距離感が変化するだけなんだと思っています。

で、ソリューションフォーカスの話に戻りますけど、SFコミュニケーションを交わそうとする相手に対して、自分の心の中のキャラたちが勝手にいろいろな反応を起こします。

極端に冷血で批判的な「氷のヤスラー博士」は、「この人は自己憐憫に浸りたいだけだから、一発平手打ちくらわせて目を覚まさせないといけない」なんて言うし、安之進は「この人には力があるのに今は裏切られた無念さで一杯なだけだから、まずその傷を癒してあげることが必要ですね」と優しいことを言うし、出たがりやっちゃんは「そういう場合は~すればうまくいきます」と成功体験をいくつもしゃべりまくりたがるし・・・てな具合です。

で、SFする自分という立ち位置を意識すると、それらの様々な内的反応のうち、どれを表出することがもっとも適切なのかと選ぼうとする視点が生まれます。で、まずは安之進に出てきてもらおうとか、この人は参考になる体験談を知りたいって言うから少しだけ出たがりやっちゃんにしゃべらそうとか、キャラ・マネジメントするわけですね。

で、そのマネジメントをしようとする時に邪魔になるのは、「~な自分でなければ”いけない”」という理想像(固定観念)です。こんなに落ち込んでいる人に「平手打ちくらわせたい」なんて思ってしまう自分はひどい人間だ・・・なんて考え始めてしまったら、もう相手に意識が向かずに自分の中の反省ワールドに浸ってしまいます。どのキャラにもきっと存在理由がある(“You must have a reason for existing.”)と思って、その理由が明らかになっていなくてもとりあえず存在自体は受け入れます。そうしないとかえってその休んでいて欲しいキャラにどんどんエネルギーを与えることになってしまいます。「そっかぁ、もしかしたら平手打ちの方が効果がある可能性もあるよねえ。それがまさに必要だと思えたらまた出てきてもらうからさ。今はちょっと休んでてくれる?」と、存在は受け入れるけど、今が君の出番かどうかは僕に決めさせてもらうからねという扱いをするわけです。

視覚的に表現すると、コミュニケーションの途中のある場面で、自分の目の前に複数のキャラが主張を伴ってマルチスクリーンで登場すると思ってください。スクリーンの大きさやインパクトはまちまち。だからボーッとしていると大きい画面に注意を奪われてしまいます。そこで、「大きい=重要(ないしは適切)」というわけではないと自分に言い聞かせて、どう反応するのが一番SFコミュニケーションのフレームワークにあてはまるだろうと考えます。で、例えば、「この場面では控え目やっちゃまを表に出して、じっくり相手の言いたいことを聴くことにしよう」等と決断をします。これ説明すると長いですけど、そんなプロセスが意識の中では一瞬の内に展開します。

以前はそのキャラたちの中のどれかが「本当の自分」で、あとは偽りの自分と思わなければいけないような脅迫観念があったのですが、今はどれか一つが本当の自分なんてことはなく、それは自分の中に住んでいる“面白いヤツら”なんだと思うようにしています。低俗なのも高貴なのも。

自分がSF伝道者の仕事をしてこれた理由の大きな一つは、そんな風に自分の中の色々なヤツらに居場所を与えることができたからだと思うのです。人にSFする前に自分にSFするって感じでしょうか。さらに実態に即して言えば、「自分の心の中にいる色々なヤツらとチームを組む」ってことになりますね。

よく「過去と他人は変えられない」って言いますよね。それは自分は変えられるっていう意味なんでしょうけど、僕は自分の中に存在する色々なキャラも変えることはできないと思っています。できることは、良きマネジャーになって、それぞれのキャラの出番を見つけてあげること。そのプロセスは「自然」からはほど遠く、計算打算が伴います。

それでええんちゃいますかぁ!?

SF伝道者の四方山話 No.2  青木安輝” に対して10件のコメントがあります。

  1. 花村むつみ より:

    「わたしの中にいるあなたに会いにいく!」…人の話を聞くときに、いつも自分に言い聞かせる言葉です。青木さんの中にいるたくさんの青木さんは、わたしたちのコトなのかもしれませんね。「自分の中の色々なヤツらに居場所を与えることができた…」という青木さんの言葉を読んで、青木さんの中に、わたしたちの居場所を作ってもらっているように思います。
     取説という言葉が面白いなぁ~と思いました。わたしもやってみようかな~!

    1. 青木安輝 より:

      花村さん、ぼくの中に居場所を感じてくれて嬉しいです♪あれっ、花村さんの中に僕の居場所があるのかな?どっちもですね、多分!まあ、名前をつけると分割されますけど、きっともともとは直接つながってるんでしょうねえ・・・
      「むつみのトリセツ」の表紙はバラかな(笑)。

  2. 豊村博明 より:

    青木さんのブログを拝読し、心が癒されました。安心しました。百面相大いに賛成!
    人の心なんて、たった2色の色鉛筆で色分けできるとは思いません。そこには色々な色が入り混じって存在し、多種多様なタッチがあるからこそ、興味深い絵が出来上がるのではないでしょうか。
    先日、カウンセラー研修で、アンビバレントな気持ちにいかに寄り添っていくかというテーマがありました。相反する感情が同時に存在し、そのどちらも本当の自分ということを受け入れることで、なんかホットします。百通りの人の気持ちを理解するには、百面相の素養が必要だと今は思えます。「以前は人前では聖人君子みたいなことを言っているけれども、やっていることはこれか。」と矛盾に満ちた自分や他人をネガティブな気持ちで見ていましたが、それもまぎれもない自分として受け入れることにしました。また、以前、他人からそういう自分を「大いに結構!」と認められたことがあり、その時の嬉しさは今も忘れられません。
    確かに言動不一致とか、気持ちがぶれるという見方もあるけれども、それが人に不快感を与えたり、人の気持ちを大きく傷つけることさえなければ、ありのままの自分を卑下せずに肯定していくことが、ひいては相手の多様性も受け入れることに繋がっていくような気がします。「俺もそうだよ。変やけどな。でも、それはそれでいいやん、自分に正直で。」の一言がどれだけ相手を勇気づけるか、これから実践していきたいと思っています。

    1. yasuteru より:

      豊村さん、コメントありがとうございます!存在するものを肯定するって力強いよね。

      ちょっと話がずれちゃいますけど、僕は生まれてから2週間は名無しだったんですよ。役場への届け出が遅かったんですね。その話は大人になってから聴いたんですけど、その2週間の名前がない自分(赤ちゃんで自分という自意識すらなかったけど)ていうイメージはすごく魅力を感じるんですよ(笑)。変な話ですけど。青木安輝という名前を意識すると、もう色々なレッテルにまみれちゃって”フリー”にはならないけど、最初の2週間オレは名無しで誰でもなかったんやぁ~って思うとすごく自由を感じちゃうんですね。自分の中の八百万(やおよろず)のヤツらと自由につきあえて面白いってのと似てるんですよね、その感覚。

  3. 谷奥勝美 より:

    青木先生

    このコラムいよいよ面白くなりそうですね。
    色んな方の考えに触れるって楽しいです。

    心のマネージメントのお話とはとは
    少しずれてしまうかもしれませんが、

    高倉健の映画を観たあとはみんな高倉健になる。

    バイクレースを観戦した帰りのライダー達は
    いつの間にか自分もレーサーになっている。

    オリンピック選手の頑張りを見聞きすると
    自分も頑張ろうと勇気と希望をもらう。
    ヒューマン映画で涙するのもそうだ。

    自分以外の人や自然界の中に自分の中にも
    あるであろう輝きを発見するのですね。
    もちろん、嫉妬や恐怖という負の側面も。

    SFでお聞きした言葉を使うと「勘違い」でしょうか。
    いかにも自分が体験したような気になるし、
    もしかしたら自分の中にもそんなエネルギーが
    あるのではないかと思ってしまうんです。

    花村さんとの居場所のお話も同じなんだなあと思いました。
    人の中にあるものは、自分にもある。
    自分の中にあるものは、周りの人にも必ずあると。
    だから相手の中の輝きを信じてあげることもできるんだと思っています。

    青木先生自身の内面を解き明かすことによって
    コラムを読んだ人たちの中にも
    「色んな自分」がいることを教えていただきました。
    さすが、伝道師。

    最後に、僕は「でたがりやっちゃん」がだーい好きですよ❣️

    1. 青木安輝 より:

      谷奥さんが「でたがりやっちゃんがだーい好き」って言うのを聴いて真っ先に思い浮かんだのが「すいか男」のパフォーマンスです(赤面)。J-SOLの懇親会でやったやつ。ああいうことしたくなっちゃうのよねえ。

      僕たちのDNAの中には色々な要素が可能性としてつまっていて、そのどこのところが発現するかは本当にちょっとした差なんだろうと思っています。映画やいろいろなアートに触れて触発される場合もあるし、生の人間との出会いは大きいし、逆境とかボーッと生きてられない状況とかもスイッチを押してくれるし、何歳になってもまだこれからスイッチをいれられる領域が残ってると信じてるんですよね。だから、自分の心の中の色々なヤツらに仲間が加わるのを楽しみにしたいです。あ、そういえば北斎の映画が面白そうですね。見にいくのが楽しみなんです!

      1. 谷奥勝美 より:

        人が喜ぶことならなんでも率先してやる
        そんな青木さんが大好きで尊敬もしております。
        スイカ男にまた会える日がきますように!

        1. 青木安輝 より:

          Oh, yeah‼️

  4. シオタリョウコ より:

    「まだ意識しないとSFできないので、これが“自然にできる”ようになりたいです」
    これを読んだ時、「は~い! 私、アンケート書いたことあります!」と思わず手を上げたくなりました。笑
    今回のブログを読んで、また肩の力が抜けたようです。
    「そうそう!ほんとその通りなんですよ~」と、激しく納得する言葉のオンパレードでした。根が真面目だからなのか(自分で言っている!)『~な自分でなければならない」と、昔は肩書や自身の役割に強く縛られていたこともありました。それが次第に緩くなってきたのもSFを通してです。
    私の中にも色々なキャラクターいます。
    (あっちもよし)(こっちもよし)でも核は「愛」であることはブレずにしなやかに生きていきたいと思いました。

    1. 青木安輝 より:

      そうでしたか!これを書いたときに塩田さんがそういう回答をされていたことはまったく意識していませんでした。いずれにしろ、肩の力が抜けたときいて嬉しいです。益々しなやかにいろいろなやり方で愛の形を見つけていきたいですね~♪

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