SF雑談広場

【対面とオンラインの違い: コメント求む!】

ZOOM等のオンラインでのコミュニケーションについて、そのメリットデメリットを色々な人が検証していますが、脳科学者の研究としてこんな記事を最近読みました。対面コミュニケーションだと「脳反応の周波数で同期現象」が起こるのに、オンラインでは起こらないというのです。別の関連記事を検索してみたら、健常者と自閉症者という組み合わせだと、対面で話す場合でも「脳反応の周波数で同期現象」は起こりにくいそうです。自閉症の人がコミュニケーションを苦手とするという事象が物理的に測定されたということなのでしょうか。また、健常者同士が対面で話す場合でも、「同期現象」の発生する度合いが違うので、それが“相性“の正体ではないかという研究者もいるようです。別の見方をすれば、オンラインだと「相性が合う」かどうかは”体感的“には感じにくいということにもなりますね。確かにオンラインだけで出会った人への「いい人だな」とか「面白い人だ!」という感覚は、実際に会った時と違って、画面がプツンとオフになると同時に薄くなりやすい気もします。

さて、オンラインコミュニケーションが時代を変えようとしている現在、人間コミュニケーションに関心のある皆さんだったら、上記の情報から何を思いますか?よかったら、コメントお願いいたします。私が思ったことは以下に記しますが、あまりにも長文なので、読まずに上記のことだけにレスポンスしていただいてまったくかまいません。皆さんが、どんなことを思うかとても興味があります。よろしくお願いいたしま~す。

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僕はセミナーや研修を提供することを生業としている者だし、ここ2年間はセミナーや研修のオンライン化を進めてきて一定の手ごたえを感じてきたので、「オンラインでは脳反応の周波数で同期現象が起こらない」というニュースは、なんだか「オンラインではうわべだけの薄っぺらいコミュニケーションになる」と言われた気がして、心中穏やかではなくなった。機械で脳波を測定したって、どうせ心の中の真実なんかわかるはずない・・・等と無理やり“人間的”に反論してみたくもなった(笑)。

しかし、少し冷静になってみると、同期現象が起こらないことは悪いこととばかりは言えず、メリットもあるのではないかと考えるようになった。でなければ、オンラインのセミナーがこれだけ世の中に受け入れられるわけがない。また、コロナ禍で教育のオンライン化が進み、自閉傾向で不登校だった子供たちの成績が上がったという事例も数多く報告されているという事実から考えても、「脳反応が同期しない」ことのメリットがあるのかもしれない。人間コミュニケーション全般として考えずに、「研修=学びの場」でのコミュニケーションという側面からこの現象について考えてみたくなった。

もしコミュニケーションの最終目的が「相手と近づくこと」である場合には、オンラインよりも対面の方が圧倒的に目的成就率は高くなるだろう。しかし、研修やセミナーにおいては「講師と受講生が心理的に近づくこと」は手段ではあっても、目的そのものではない。研修やセミナーは、その後に受講者がそこでの学びをもとにして必要な変化を起こすことが目的だ。

そう考えると、講師との親密感(距離感)はどのくらい近いことが良いのだろう?

同じオンラインでもライブでやりとりするのではなく、録画されたものを視聴するときのことを考えてみる。これだと「脳反応の同期」はゼロだ。コロナ禍でステイホームの時間が増えて、いろいろなYouTube動画で趣味でやっていることを上達させるための短い動画を見るようになった。無料だし、先生の前できちんと座る必要もないし、こちらを見られたからと言ってニッコリを返す必要もない。面白くなければいつでもオフにできる。余計な部分は再生速度を速めて流す。必要だと思うところは繰り返し再生できる。自分の側に100%の主導権があるから楽だ。内容が良いと、その講師にある種の親近感や敬意を感じることはもちろんあるが、それは後まで引きづらないその場限りのものに近い。そして、その後やったことがうまくいくと、「自分は動画を見ただけでうまいことやることができた!」と自分を褒めたくなる。これは、老子が言うところの「二流の教師が教えると『先生のおかげで』と思わせてしまうが、超一流の師が教えると生徒は『自分でやれた!』と言う」に妙に響き合うところがある。で、こう考えてみる。インプットする際に講師や他の生徒への社交的配慮に気を使わずに済む、つまり100%「素の自分」でいられる気楽さによって、インプットする内容を受け取る自分の能力がフル回転させられるのだ。だからその内容が自分に合うものであれば素直に飲み込みやすい。

講師と生徒が同時に画面に参加するオンラインセミナーでは、そこまで生徒の主導権が100%ではないが、講師への心理的エンゲージメントが対面に比べるとかなり低くなる。だから、生徒が「素の自分」でいられる度合いは対面よりも高いはずだ。先生に向けて「はい、わかりました」という信号を送らなければならないという無言の圧力がない分、受け取った内容のうち納得したことは「なるほど、今度試してみてもいいかな」と自然に自分事として思いやすいのではないだろうか。脳反応の同期現象が起こりにくいことで、講師から見ると、画面上の相手が「聴いてくれてるんだかどうだかわからない」という不安は抱えたままにされてしまうけど、それはあまり問題にしなくて良いのではないだろうか。

ソリューションフォーカスのようなコミュニケーション手法を学習してもらったら、それを応用する場面の相手との親近感(脳反応の同期率)を高めてもらえば良いのであって、講師や他の受講生との親近感は、学ぶ仲間としての最低限の礼儀をわきまえる程度で良いのではないか。そう考えるのは少し寂しい気もするが、学びの深さと講師への親近感(脳反応の同期率の高さ)は直接的にはリンクしないと考えることにはメリットがあるような気がする。オンラインで提供される学びのコンテンツを受け取った人が、とりあえずそれを試してみようと思うところまで導けるように、わかりやすくて納得感が高く、実験精神や好奇心を刺激する内容を磨きあげることが大事であって、講師への親近感は求めなくて良いと考えると少しスッキリする。

講師がりっぱな人で、会ったらその人のエネルギー圧力に巻き込まれて、その人みたいになりたくなる・・・無意識のうちにそんな講師像が理想と思ってきた。まわりの人の「脳反応の周波数を同期させる」力が高いことが良い教師だと。内容によっては、そういう直伝的なやり方でしか伝えられないこともあると思う。しかし、「日常のコミュニケーションの中におけるソリューションフォーカス」のような領域では、今までやってきていることを微調整するだけで良いみたいなことが多いので、講師の存在感が高いことは逆に弊害になる場合もある。

どのような領域においても、理想の先生になりたい(なったつもり)人のまわりに集まる人々がやたらと先生に同調したがることには弊害がある。先生のやり方だけが正当化されて、他の効果性は高いが先生とは違うやり方はまだ何かが足りないと見られたりするのだ。今までそれはおかしいと思うことがよくあった。しかし、デジタルトランスフォーメーションの時代となり、生で対面して周りの人を巻き込む(脳反応を同調させてしまう)力による変化ではなくて、直接的に同調する必要を感じさせないのに、情報を受け取る側が「なるほど!」「それちょっとやってみようかな」と思わせるコンテンツを磨く力をもった人が世の中に必要な変化を起こさせるのかもしれないと思うようになってきた。

ここまで書いたことを読み返すと、ちょっと行き過ぎかなとも思うけど、ある一面を言い得ているような気もする。十分に考察を重ねたわけではなく個人的な随想だけど、コメントをもらえたら一緒に深めていける大事な切り口なのではないかと思えた。

皆さん、コメントよろしく~!

SF雑談広場” に対して23件のコメントがあります。

  1. 柴田 篤 より:

    文章長すぎ!! でもまあ、言いたいことは分かるわね。オンラインではリアルみたいなVAKが限定されるから、互いの通信回路は細くなるよね。その制約の中からこそ、イノベーションは生まれるのでしょう。明日に乾杯(^^)/

    1. 青木安輝 より:

      柴田さん、「長すぎ」の率直なコメントありがとうございます。それでも読んでいただけて、コメントいただけたことが嬉しいです!ありがとうございます。私の伝えたいことがご理解いただけたかどうかはよくわかりませんが、「制限があるところこそイノベーションの生まれる可能性あり」というのは本当にその通りだと思います。

      1. 柴田 篤 より:

        不躾なコメントにもかかわらず、温かい返信をいただき、冒頭部分の修正までも。心より感謝申し上げます。

        ここまでのやり取りで感じるのは、相手への共鳴を示すことができれば、対面であれオンラインであれ、あるいは文字による交信であれ、同期は起きるということ。

        この瞬間、青木先生と私の脳波はシンクロしていると思いますよ。ということを、学ばせていただきました。ありがとうございます。

        1. 青木安輝 より:

          シュルシュルシュ~ン。同期完了(笑)!

  2. 深山敏郎 より:

    30年くらい前、米国ワシントン州オカノゴンというところ(山の中)に住んでいた友人が、ディスタンス・ラーニングの発祥の地はここよ!と言っていた。

    それから10年くらいして、2000年頃、慶應義塾幼稚舎で当時舎長をしていた金子郁容さんが、講演会で言っていた。「米国では今、良い高校・大学に入ろうと思ったら、通学ではなくディスタンス・ラーニングが良いというのは、常識。標準テストのスコアも良い。」とのこと。

    思うに、大脳新皮質に関係する論理的思考能力などは、オンラインでも十分に学ぶことが出来るのではないか。旧皮質を使う本能などは、機械を通した周波数の上下がカットされた音声、平面的な画像だけでなく、音声周波数の上下を含んだり、音声が同時に発せられること(オンラインだと一方通行)、立体的な画像、嗅覚や触覚(空気の流れを感ずる肌感覚)、時には一緒に食事をするときの味(味覚)などを総動員することで複雑な情報がやり取りできるのではないだろうか。また、1対1か、1対多、多対多といったコミュニケーションの細かな違いによって、また大脳や脊髄等をどう使うかということも分析してみたい。

    と私も長めですね。

    1. yasuteru より:

      へえ、面白いですね!「多面的な信号に反応せざるを得ない」リアルな対面コミュニケーションと、「ほぼ論理的思考の領域で反応」すれば良いオンラインコミュニケーションでの違いはきっと大きいですよね。学習の内容が後者で済む部分をオンラインでやって、それをもとにした実践はリアルな対面状況でやってもらう。で、その振り返り(知的作業)をオンラインでやるというサイクルで成り立つ学習形態は、思った以上に効率的なのではないかというのが僕が立てた仮設です。

  3. 花村むつみ より:

    わたしはSFのコースをすべてオンラインで体験した稀な人間です。コロナになってから、SFを学び始めたので、こじんまりしたオンラインしか知りません。わたしは、ひとに興味があるので、集合した対面の講座は、参加人数も多いだろうし、例えばグループを作ってワークをするときなど、自分が興味を持った人や、話をしたい人を相手に選ぶことができるので、きっと楽しいだろうなぁ~と思っています。

    SFと直接関係ない話ですが、エッセー講座(25名程度)に参加して、今年で4年目になります。2年間は対面講座で、去年は、ほぼオンライン。そして今年になって、オンラインと対面のどちらかを選べるようになりました。教室形式なので、オンラインになって初めて参加されている方の顔と名前が一致するようになりました。いつも一番後ろに座るので、表情が分からなかったところが、画面越しに顔を見ながら話を聞くことができたのです。

    ただ、長い時間のオンラインは疲れますね。自分の顔が映っているから、話がつまらないときにでも、つまらない顔をすることはできないし(笑)画面越しでは、周りの空気が読めないから、聞いているひとの気持ちを分からずに、ずっとひとりで話し続ける人もでてきます。
    わたしは、たいていの場合は、下を向いてノートを書いているふりをするけれど(笑)

    それから、講師との関係ですが、対面の場合は、講座が終わってからの講師とのちょっとした立ち話で、お互いに(講師も受講者から…と言う意味)学びのヒントをもらえることがよくあります。それによって、部屋を出ていくときに、グンと学びが深まるという喜びがあったりします。オンラインは、そのちょっとした雑談がないので、つまらなかったりする。

    でも、青木さんのオンラインコースでは、終わったあとで、雑談時間があったので、直接講座と関係ない事でも質問できたり、それはとても良かったと思います。

    1回きりだと難しいかもしれませんが、連続した講座であれば、オンラインでも参加者同士のコミュニケーションを深めることは可能だと思います。【栄えある第一回オンラインSF基本コース】参加者であるわたしたちのグループは、1年後(今年の5月29日)にオンラインの同窓会を約束しています!

    なんだかまとまりのない問わず語りのような文章になりました。それに、すでに長文なので(汗”)このあたりで止めておきますね。

    1. 青木安輝 より:

      花村さん、コメントありがとうございます。確かにSFを全部オンラインで受講してくださった数少ない人々のうちのお一人でしたね(笑)。雑談時間があったことの良さを感じてくださって嬉しいです。まさにそれが意図したことでした。おっしゃるようにオンラインでも参加者同士のコミュニケーションを深めることは可能だと僕も思います。

      ただ、長時間のオンライン(同期)は疲れるとか、まわりの空気を読めずに話し続けてしまう人がいるとか、起こりがちな問題とそれへの対処はかなり繊細に必要ですねぇ。

      同窓会、楽しみにしています!

  4. 村上雅信 より:

    BCCでコメント欲しいと言われたら、特別に選ばれた感があって反応せざるを得ないですよね!笑

    以前は、効果がないと思っていたオンライン研修やWeb会議ですが、ここ2年、受講する立場で感じていることを書きます。

    結論から言えば、使いようだなぁ~と思います。
    まず難しい(リアルのほうが良い)と思ったときは、業務上重要な判断や理解が必要な時に画面越しでは伝わらないというか、うなづきや顔色の変化がわからず本音はどうなのか、同時に話す(会話する)ことができず、時間だけが経過し、結局不満が残ることになりました。

    一方、良い点は、国の説明会など、大人数を対象に一方的に話をされる場面だと、わざわざ東京に行かなくても、職場で受けることができ、何よりも、同じ話を聞くことができ、すぐに質問できるのは、非常に有効です。(以前は、国の説明を県が聞き、県が市町に説明する流れで、質問もその逆の道を歩まないといけなかったので。。。)

    そして気づかなかった良い効果も!
    昨日、国のデジタル庁の説明を受けたときのこと、会議室に複数の課の職員が集まって聞いていたのですが、こちらの音声や映像が入らないようになっているので、説明中でも、その内容を協議(文句も含め)することができて、一定の方針を出すことができました。

    例えば、リアル研修だと受講中に雑談はできないし、瞬間に思ったことを隣の人と共有することもできないけど、これなら講師に失礼にならない形で、思ったことを共有できるな!と思いました。

    でも青木先生のセミナーは、初めにリアルで親近感が生まれた方がいいんじゃないかなと思います。少人数を対象にしたリアルとオンラインのハイブリットもいいかもです。

    ただし、阿吽の呼吸と先生と飲みたいだけの私としては、リアルでお願いします(笑)

    1. yasuteru より:

      村上さん、コメントありがとうございます。

      一番印象に残ったのは、国の説明を聴いてる間も内輪でおしゃべりができるというメリットのところですね。たしかにそれは仕事をスピードアップするだろうと想像できます。かしこまって一方的に聴くだけの時間て苦痛ですからねえ。ライブ配信じゃ早回しもできないし(笑)。

      本当に目的と使いようなんだと思います。生青木の研修を要望してくださるところにはいつでも喜んで参上いたしますよ~。アフターがあればなお良しで!!オンライン上の効果的なやりとりについては、さらに研究を重ねていきたいと思います。今後ともよろしく~♪

  5. シオタリョウコ より:

    昨日読んだ段階では「ちょっと明日ゆっくり考えて感想書こう…」と、思って寝ました。
    今朝“冒頭すっきりの再投稿”(笑)に,待っててよかったと思った私です。

    オンライン、対面での研修や研修以外のコミュニケーションについて私が思うことは、当初、(オンラインはなかなか伝えにくい)(研修も盛り上がらない)と思っていましたが、次第に(そうでもないな)と、変化してきました。例えば…
    ●対面で何年も関わっている方々とオンラインになった時に、盛り上がりに欠けて、その要因を「スタッフ全員の細かい表情が見えないからだな」(1つの画面にスタッフ全員が映る場合)と、思った。
    ●初めましての方々の場合でも非常に盛り上がり、双方向のやり取りや参加者同士も会話をしている時もある。
    ●オンラインイベントに参加した際に、ブレイクアウトルームで一緒になった方とFacebookで繋がり、zoomやメールのやり取りが続いている。(ただ、他の3人とは繋がっていない)
    ●対面で会っても(次に会うのは無いな)と、思う人もいる(笑)

    コミュニケーションは双方に50%ずつの責任があるので、講師として発信側の時はこれまで通り研修の目的に応じて試行錯誤をしようと思います。また受信者側として参加する時は、自分がそのイベントや研修にどのように望むか、参加者とどのように関わるかを直感を大いに使って試行錯誤したいと思っています。(こうあるべき)と言うより、(自分がどうありたいか、どうしたいか)を中心に。

    そう考えると、私が講師の時の受講者に対しては、(その人たちの範疇)なのでお任せになるわけです。ただ、受講者の心に何か引っかかって、そこが呼び水となり、その人の心が豊かになる何かが届けばいいなぁ。という感じでゆるく思っています。
    こんなこと考えました。

    1. yasuteru より:

      塩田さん、コメントありがとうございます。再投稿の効用があったと聴いて、ホッとしました(笑)。

      お互いに50%づつの責任がある、というところに「なるほど」と思いました。対面研修でもそうでしたけど、集まってからどうするかよりも、何のためにそこに来るのか、その場に何を期待して良いのかを事前にクリアにするプロセスを大事にしないと場づくりがとても大変になってしまいますよね。効果的なオンラインコミュニケーションも、そこを工夫することで、あとは50%づつの責任と思いやすいのかな。

  6. 深山敏郎 より:

    こうして改めて拝読すると、多面的なコメントの面白さも相まって本文も二度三度と読み返したくなりました。柴田さん、花村さんのコメントやそれらに対する青木さんの返答も非常に興味深いですね。

    私の文も長いので、お時間のある方だけお読みください。

    私もたまたま長期間トレーナーということを生業にしていますが、最近、自分の本来の役割は何だろうと振り返る機会が多くなりました。

    そこでおぼろげながら、長期的にトレーニング参加者を拝見して、(コース終了後20年以上のお付き合いの方々も多くいて)こんなことを思うようになりました。

    教育トレーナーの役割は、本来個人(時にはチーム、組織といっても個人の集合)が持っている成長願望を満たすご支援をすること。そのためには、トレーナー自身の学習姿勢も含めてトータルな学習支援の方法を模索することが重要なのでしょうね。「動機付け」という言葉がよく使われます。もともと個の中には成長願望はあります。そうでないと生きていくという環境適応が出来ませんから。

    学習の楽しさをトレーナー自信が体感し、学習方法も多様化している中で、それらをどう活用して成長していくかという「学習リテラシー」を支援することこそがトレーナーの役割ではないかと私は思うようになりました。知的好奇心、あるいは必要に迫られての学習であっても、学習し、成長していくことが面白くて、そのためにはこういう方法が可能なんだというメディアミックス。そしてそれをどう組み合わせていくかという実験をしていく面白さ。そんなことも含めて参加者の皆様や企業の場合は送り出してくださる関係者の皆様などと一緒に練っていく、そうしたことを今年はもっともっとやってみたいですね。

    私自身もSFをはじめ、さまざまな学習を楽しんでいます。5月29日も楽しみにしています。

  7. おっくん より:

    拝啓、青木安輝さま

     いつも応援ありがとうございます。
    オンライン経験超不足ですが、変わりないおっくん節で良かったら読んでみてください。(順不同)
    もちろん脳に関する内容はないよう^^

    ①青木安輝−親近感=???
     何が残るんでしょうね。
     J-SOL懐かしいですね。主催者の想いに皆が心地良かった。あの場は故郷のように暖かいのです。
     オンラインになっても青木安輝式コミュニティ魂はすでに存在してますよ。

     そーか、オンラインの青木さんはどんな顔してるんだろう🤔

    ②送信者と受信者
     50%か、塩田さん、中々上手いこと言いますね。同じようなことを考えてました。
     「キャベツが美味い」と言っても受信者が食べたことがなければ理解しがたいですよね。再現再生し、膨らます力が受信者に必要だと思う。「美味い」がどのくらい美味いのかは結局、受け手次第ですから。食べた後でさらに美味くなる要素も同じく受信者次第。
    これは対面、オンラインでも共通点してますね。
     受信者が求めていれば活かせるし、そうでなくても実践の中で感性は磨かれていくはず。
     倒れないような支え(仲間)は必要ですよね。

    「解体新書対談」では画面越しのお二人の表情で十分に伝わったと思っております。
     
    ③デジタルとアナログのいいとこ取りしてみよう。
     手紙→電話→テレビ電話→オンラインと変化してきた。
    いまや電話は普通。しかしテレビ電話はこれから。居間のテレビでオンラインで親族会議なんてできるように普及されれば、結構オンライン講座参加者との「同期化」もそこそこ普通になってくるのでは。パナソニックさん、もう出来上がっているのかなあ?

    ④五感で受け取る
     目が見えない、耳が聞こえない偉人は沢山いた。不自由だからこそ補うように他が研ぎ澄まされていく。
     私には同期しないと言うことが分かりません。(思慮不足か)
    どんな人でも諦めない。必ず共感できると信じないならやらない方がいい。
    (ちょっと言いすぎ)
     自閉症の方にはその方なりのコミュニケーション(能力)があるんでしょうねと思いたいです。

    ⑤青木さんのオンラインでの手応えは本物。悩んでいそうで、実はもう答えはおありなんですよね😁
    今後の参加者の急増が楽しみ。

    ⑥僕はブログの小林さんや塩田さんには直接お会いしたことはないですが、勝手に仲間だと思っております。誠に勝手ですが、ご迷惑でもしょうがないことなんです。
     
    ⑦受講生やその周りの人達が胸を張って活躍することができる。問題に楽しんで取り組み、いつしか乗り越えることができた。それが目的かなあ。
     SFにめぐり会えたなら超ラッキー。できてないことより、できていることを認めてもらえる世界がそこにある。
     対面ならより深く、オンラインならより広く繋がることができる。ありがたや。悩み多き人生こそ楽しけれ!

    ⑧変化には大きなエネルギーが必要。
    「チリも積もれば」・・チリが積もってできた山は見たことない。山は地殻変動によって起こるもの。
    やはり外的な影響がなければ人は変わらないと思うし、自分以外の人からエネルギーを受けなければとも思います。
     そこで、今までの成功事例に加えて、現在進行形あるいは、これから挑戦しようとされている方がを応援できるブログスタイルがあってもいいですよね。

    敬具

    1. 青木安輝 より:

      「青木安輝−親近感=???」で何が残るか? この問いかけにギョッとしました(汗)。

      セミナーがオンラインになった時に、コンテンツを今まで以上に整理する必要にせまられたことは確かです。対面ライブだと、その場の雰囲気づくりをうまくできて親近感が醸成されると、言い間違えや曖昧なことがあっても、いいように解釈してもらえていたんだということに気づき、ありがたいことだったんだとあらためてわかりました。ところがオンラインだと、冷めた目で「あれ、つじつまがあってませんよ」等と客観的に見られる度合いが高まるのです。このセリフを直接言われたわけではありませんし、本当は皆さんがどう思っているかも確かめてませんけど、そんな気がしてしまうんですね。皆さんの表情やその場に”居る”雰囲気による反応を小さな画面で部分的にしか受け取れないことで、自分の中の自己批判的要素が大きくなってしまうんだと思います。だから、内容をしっかりつくりこまないと、自分が「これでよし!」と自信をもってしゃべりづらくなりました。だけど、これは自分にとっては良かったことです。

      つまり、”親近感”でどうにかできる度合いはオンラインでは確実に減りますが、しっかり理屈で説明する部分の構成がうまくつくられていると、ちゃんと視てもらえます。

      僕の場合は、おっくんのようにコロナ前からつきあいがある人がオンラインになってからのプログラムに参加したり、再受講してくれたりしてる割合が多いので、オンライン以前の親近感をここに持ち込むことができた分だけ、オンライン化が多少ぎこちなくても助けられてきました。ただ、ここから先オンラインで初めて出会う人が増えてくると、さらなる工夫が必要だと思いますので、それに備えたいと思っています。

      おっくんには、ブログをずっと応援してもらっていてありがたいです。これからもよろしく!

      1. おっくん より:

        なるほど、よくわかりました。
        対面、オンラインのどちらも経験した講師ならではの新たな挑戦なんですね。そしてその取り組みは受講者の皆さんにとっても幸せなことなんだと思います。きっと。

        1. 青木安輝 より:

          さんきゅ~♪(^ ^)

  8. 小畑怜美 より:

    おはようございます。私も迷っているので答えはありませんが、私の思うことを共有します^^
    私は「今の子どもたち」と共に学ぶためにも、オンライン学習やICTにもっと慣れていきたい・駆使できるようになっていきたいと思っています。コロナ第6派の影響で、新年から 学校状況は激変、急遽自宅オンライン学習に切り替えたり(それでも自宅に学習環境がないこのために)時間差通学をなんとか駆使したり、そんな学校2校で少し働いています。もう一つ、昨年はスクーリングが年数回の通信制の中学生とコミュニケーション演習しました(←参加者の9割が画面オフで、プロ級のチャット遣いです。笑)

    この状況で、「オンライン学習」に敏感に戸惑うのは大概大人側(先生・保護者)だなあと思うこと多し。自分たちの経験がないものに対しての抵抗感が強く出ているという感じで。
    一方、中高生は案ずるより産むが易し、状況変化に強いですね。オンラインの良さをそれぞれに見つけてたっぷりオンライン学習の環境を享受していて、そのスタイルの中で自分なりの学びを得ようとしています。リラックスして講義を受けられる、自分のペースで考え・答えを共有していっていい(より発達状況に適応)、自分の取捨選択で学習対象を変えられるなど。
    もちろん学力格差や勉強への焦りの増加など、色んな問題も上がりますが、子どもたちはオンライン学習と経験学習にアジャストしていくなあと感心します。彼ら彼女らがオンライン上の繋がり方や情報交換に関して、見ているもの、捉えているものが違うのでしょうかね。私は、子どもたちの感性に一緒に乗っかって、オンライン/Society5.0の世界を探索していきたいなあと思う昨今です^^オンライン学習は割と新たな試み?なので、周囲と共にたくさんトライ&エラーさせてもらえる環境があることや新たな価値観・概念を作っていくステージに立たせてもらえるのがとてもうれしいです。ITエンジニアみたいじゃないですか^^?かっこいい〜

    ということで、対面とオンラインのハイブリッドの先にあるコミュニケーションを青木さん、ここで出会える皆様と試みできることとても楽しみにしています。感想まで(笑)

    1. 小畑怜美 より:

      青木さん!自分の返事を読み返したら、フワッフワしたことしか書いてなく(汗)具体性がないので申し訳ないなあと反省モードになってきました。雑談場なので良いでしょうか〜 いいかな♪

      1. 青木安輝 より:

        「雑談」の目的は、まさに”雑”(なんでもあり)”談”(言葉のやりとり)ですから。「フワッフワ」だろうが「ハード」だろうが、まじめだろうがふざけていようが、OKで~す♪

    2. 青木安輝 より:

      小畑さん、コメントありがとうございます。

      子供たちの適応力が素晴らしいと聴くと、嬉しいし、未来への希望が持てます!ありがとうございます。うちは子供がいないので、大人だけで(しかもド昭和!)いろいろと「これからどうなるのかね?」と話すことが多いのですが、無意識の内に「前は良かった」という感覚で今を憂えてしまうようなことが多いのかもと思いました。ローマの遺跡の「最近の若者は・・・」の落書きと同じで、自分の若い頃への懐古趣味で新しい可能性に対して盲目にならないようにしたいです。

      「オンライン/Society5.0」ってカッコいいね。「一生勉強」って前は素直に思えたけど、だんだん努力が必要になってきました。でも小畑さんのコメント読んで、息切れしたら休みながらも、なんとか自分の脳みそが腐らないように勉強し続けたいと思いました。

      1. 小畑怜美 より:

        青木さん!一生勉強カッコいいですね!わたしも「昭和」仲間です。ギリ昭和^^

        1. 青木安輝 より:

          イエーイ、Let’s go, 昭和~!

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