なんで僕がこのようなプログラムを企画したいと思ったのか、その経緯をつらつらと書いてみたいと思います。わかるようなよくわからないような話かもしれませんが、お付き合いください。

お金に換算できない価値ある”もの”

僕は大学生の時に参加した人間コミュニケーションのセミナーで本当に素晴らしい体験をして、人と人が関わることで生み出される、お金に換算できない価値ある「もの」(”もの”という表現では不適切ですが、他の陳腐な表現も避けたいのでお許しください)を一生大事にしていきたいと思いました。その後そのセミナーのトレーナーを11年間務めた後に、1994年に独立し最初の会社「NLPジャパン」を設立してからの11年間と株式会社ソリューションフォーカスに商号変更してからの18年間の合計29年間(2023年現在)は、人間コミュニケーションに関する企業研修の講師およびパーソナルサポートをしてきました。

そんな仕事上の経験、そして60数年間の個人的な人生経験を通じて今思うのは、人間て直接知ることができるのは「自分」だけだということです。そしてその「自分」というのは決まりきった一定のものではなく、探求すればするほど新しい側面を見せてくれます。

直接知ることができるのは自分だけと言うと、少し寂しく響きますが、様々な感情を人と共有することはあるし、協力して何かを成し遂げることで「わかり合っている」という感覚を持つことはあります。また、ある人への感情移入状態が深くて何を思っているかが話さなくてもほぼ”わかってしまう”こともあります。それでも、他の人の全体性をすべて共有することはできないし、自分のことをすっぽりうけとめてくれていると感じる相手ですら、自分の思う通りには自分のことを理解してくれていないことに直面することは珍しくありません。

僕はある時点で、人にもっと自分のことをわかってもらおうと努力することにはあまり魅力を感じなくなりました。もちろん自分の仕事上の業績や趣味でやっていることを人に見せて認められたいという欲望はあります。でも、人にわかってもらうこと以上に、自分で自分の内世界を知ろうとすることはもっともっと試みても良いのではないかと思うようになりました。で、そのために人と話すことは役に立つんですよね。「アプリシエート」ではお互いの話しを聴き合いますが、他者を理解するためというよりは、自分を知るためという方により重きを置いています。

だったら一人で文章を書くとか、何かに打ち込めば良いのではないかという声も聞こえてきます。確かにそういう方法もありますよね。では、一人でいる時間が長い人は自分のことをより深く知っているのでしょうか?生活上のクセなど具体的な側面や自分の活動領域のことではそうかもしれませんが、他者(異文化)と交わることがないと、一定レベルで自己完結している状態を「自分のことはわかっている」ということと混同しているだけかもしれません。それは知り得る世界の一部でしかないのです。そして、本当はもっと自分に関して知ることができるのにそれをしないと、「人生に飽きる」という状態もあり得ます。

コミュニケーション、人間関係、つながり、そういうものはもちろん重要だし、それを良くすることで色々と価値あることが生まれます。ただ、自分自身の年齢のせいもあるのかもしれませんが、人生で本当に大切なことは、それらの結果として「自分自身との関係」がベストになることだと思えてきました。自分自身との関係がベストってどういうことなのか?言葉にすれば、「自分自身が自分のベストフレンドである」ような状態・・・かもしれません。なんだかナルシスト的な響きですね。でも本当にそう思っています。まわりの人を視野に入れていない自己陶酔ではなくて、人生の様々な出来事の渦中にいて、人と交わったり、時には一人になりながら、自分が自分であることを味わって楽しんでいる状態のことを言いたいのです。

「自分が自分であることを味わって楽しんでいる。」

それは一旦そうなったらずっと自動的にそうであり続けられるような境地ではありません。何かに気を取られて自分が自分から離れてしまう瞬間に気づいて、「おいおい」と自分を呼び戻して「我に返る」ことを繰り返すことで手に入る状態だと思うのです。自分から離れてしまう瞬間というのは、人と比較して心の中で自分をいじめるとき、大き過ぎる目標を掲げてしまって息も絶え絶えになりそうなとき、本当はもっと所有しているものが多くないといけないと思ってしまうとき、逆にもっと少ない所有物にしなければと思いつつそれを変えられないことを責めるとき、やるべきことはやったし自分は悪い人間じゃない・・・のに何かが足りないような気がするとき、など他にも特別な理由もなく「自分の人生これで全部なのかな?これでいいのかな?」と思うときは色々あると思います。

逆に、好きなことを自由にできて絶好調の時や、自分の持ち味が十分発揮されていると感じるとき、人が自分の価値を十分認めてくれていると感じるときなどは自分に疑問を持つこともなく、「自分が自分である云々」などと考えすらしません。ただし、そういう時がずっと続くわけでもない・・・多分誰もが・・・というか、ボクの場合はずっとは続いてなくて波があります。もちろん「0か100か」じゃないので、「自分100%OK!」と思ってないからといって0ではありません。「アプリシエート」でテーマとしたいことは、そういう満足度の数字を上げようとするみたいなこととはちょっと違います。

私が思う「自分を面白がって人生を味わっている状態」というのは、そういう「絶好調であること」とは次元が違うんですよね。むしろ、調子が悪い時にもそういう味わいを体験できるし、そういう体験を繰り返していくと、あまり好不調の波に関係なく人生の豊かさを感じられる。そんなことなんです。

そのためには、偉人や有名人の教えに従おうとすることは逆効果になる場合が多いと最近考えるようになりました。若い頃に色々な言説に接することは非常に大事だと思いますし、そうやって自分に刷り込んできたことを自分なりに消化して自分のものとするのなら良いのですが、既に“できあがっている”完成品のように見える人への憧れによって自分を矮小化してしまうのであれば、人生の後半に差し掛かってきた人には、毒性の高い行為となる気がします。「鶏口となるも牛後となるなかれ」と言いますが、どれだけりっぱな名言を知っているか、どれだけ最新の科学理論を知っているかではなくて、たとえ稚拙に聴こえたとしても自分の実感がこもった言葉でどれだけ人生を語ることができるか。それが生きる力、あるいは生きがいを感じる力につながるような気がしています。そのための「自分語り」の場がアプリシエートです。

アプリシエートの原型

このただ「語る」と「聴く」だけのプログラムには一つの原型があります。30数年前のことですが、ハワイから来日した心理学講師のセミナーで面白い体験をしました。そのセミナーは自分の「過去から現在」を「望む未来」につなぐ橋渡しをすることを目的として、3日間に渡り無意識の世界とかユングの理論に関するレクチャーといくつかの対話実習がありました。

レクチャー内容はまったく憶えていないのですが、3人組でやった一つの実習のことが今でもずっと好感を伴って記憶に残っています。しかもそれは初日の冒頭の方で、ウォーミングアップとしてやったものでした。とてもシンプルで、一人ひとりが15分づつ「生まれてから今日までのことを話す」というものでした。その時間内に人生を語りつくすことはもちろんできませんが、自分が何をピックアップしてどのような色合いで話すかというところが一つのポイントとして面白かったです。

そしてそれが終わったあと、たった1時間ちょっと前に会ったばかりの目の前の二人に対して、ずっと前から知っていたかのような近しい感覚を覚えました。そして自分自身に対しても「この人生そんなに悪くないな♪」とでもいうような安心感を感じました。特殊なフィードバックを交わしたわけでもなく、ただ「語る⇔聴く」だけ、NO理論NOテクニックです。なのに、「人が自分のことを語る、そして聴くってきもちいいことだなぁ♪」という感覚がその後ずっと残りました。この体験は、僕の中で「人はきもちよくお互いの『自分語り』を聴き合うことができれば、その体験自体に価値がある」という記憶として定着したわけです。

アプリシエート(Appreciate)はその体験を原型として、いわゆるコミュニケーションの“トレーニング(技術等を向上させる訓練)“ではなく、色々な人との「話す⇔聴く」というシンプルな行為を通じて「自分の人生を味わう」「自分を面白がる」ことにつながることを期待して組み立てられています。

100年生きるかもしれないミドルエージャーとして

私の個人的体験ですが、還暦を過ぎてしばらくした頃のある日、本棚を眺めていてふと以前と違う感覚を覚えました。もう一度読みたい本、本当に読みたい本は思っていたよりずっと少ないことに気づいたのです。もともと特に本が好きな方ではありませんでしたが、前だったら「読んでおかなきゃ」の分類だった本に対して「もう読む必要ないや」と思ったり、「こういう偉い人の考えを知っておかなきゃ」と思えていた本に対して、何だかよそよそしく感じて「それより“自分が”どう思っているのかをもっと知りたい」と思ったのです。

それで本当に読みたい本だけを目の前に並べてみたら、ほんの10冊程度しかなかったのですが、それらに対して共通に感じている自分の“ある想い”みたいなものがあることに気づく(思い出す)ことができました。それはまだ明確に言語化できていませんが、この「アプリシエート」を企画実行することは、その想いを大切にすることの延長線上にあることははっきりと自覚しています。

人生100年時代と言われるようになり、人生の後半をどう生きるのかに関する指針が色々な形で提供されています。経済(お金)、健康、人間関係、生きがい、自分らしさの追求などに関して、それらを整えるための多様なお手本が示されていて、そういう情報は容易に手に入ります。しかし、「自分は」どう思っているのか、「自分は」本当は何を欲しているのか、自分が持つ可能性に対してどのくらい実現しているのか等に関しては、どんな本を読んでも、人に尋ねても手に入りません。自分の頭(心)の中にあるからといって自分の思考や感情をすべて明確に自覚できているわけではないのです。それなのに自分の内側を探求するよりも、外からせまってくる圧倒的な量の情報に対処する時間を費やし続けているのが多くの現代人の実情なのではないでしょうか。

そこで、半ば自動的な情報インプットを一時的に中断して、3日間は自分の内側に注意を向けるために「自分語りを聴き合う」という超アナログで超ローカル(自分)な時間として大切に使ってみようというのがアプリシエートです。

あなたが人生の時間をあとどのくらい残しているにしろ、この3日間を過ごすことで、これまでの人生の意味あいや、残りの人生の過ごし方のイメージが「人生を深く味わう」という方向により近づいていくことを期待してみてください。