”この指と~まれ♪”

正直言って、自分を語るなんてことに興味はなく、「語る」以外の行動で充実しているという人は世の中に沢山いると思います。また、他人の自分語りに興味を持つことはないし、そういうことに時間を使うくらいなら好きなことをしていた方が満たされるという人も沢山いると思います。だからこのワークショップは万人のためのものではありません。アプリシエートは「自分語り」をしてみたい、そして他の人がそうするのを聴いてみたいと思う人のためのものです。このページは「そんな人、この指と~まれ♪」という呼びかけです。

僕自身は、その「語る」も「聴く」もどちらも好きです。今これを読んでいるということは、あなたもそういう意味では似ているところがあるのでしょうか。ただ、「いつでもどこでもか」というと、そうでもありません。「条件が整えば」という但し書きがつきます。たとえ仲のよい友人や一番安心できる家族といる時でも、「自分語り」をしたいといつでも思えるわけではありません。今それをやったら「面倒くさいヤツ」と映るかなと遠慮することはよくあります。また、ある人が語り始めたことが面白いのでもっと聴きたいと思っていると、他の人がカットインして終わりということが頻発します。

そういう意味では、本当は相手さえいれば「どこでもできるはず」と思いたいことだけど、その条件が整うことは稀であるという認識の下、それならいっそそういう場をつくろうということで企画したのがこの「アプリシエート」です。

では、なぜ僕が「自分語りを聴き合う」ということに意味があると考えているのか、以下に書いてみます。共鳴する部分がどれだけあるか、それ以外にあなた自身が考える意味あいはどんなところにあるかを意識して読んでみてください。

「自分語り」は自己確認

何十年かの人生経験を積んできて、ふと自分の人生ってどうだったんだろう・・・と思い返してみたくなったり、さてこの先の人生をどう過ごそうかと考えてみたいと思うことは誰でもあると思います。特にミドルエージャー(中年期以降の人)はそうだと思います。

毎日いろいろな用事を済ませる合間のふとした瞬間にそんなことを考え始めるけど、すぐに次の用事を済ませることに取り掛からなければいけなくなる・・・。仲の良い友人とお茶をしたり、飲んだりしている時にそんな話をしようと思ったけど、どう切り出したら良いかと迷っているうちに“ただの四方山話“になってしまった。ま、何か困っていることがあるわけじゃなし、いつかそんな話ができるチャンスがあったらその時でいいや・・・なんてことがよくあります。哲学者や作家になるくらいに自意識や文筆の世界で何かを突き詰めずにはいられないという少数派は別にして、僕も含めて多くの人々はそんなところに居るのではないかと思うのです。

仕事上で情報を伝達する場面ではなく、自分のことを語るという意味あいで5分以上の長さで話を聴いてもらうことはどのくらいありますか?僕は時々はありますが、望んでいるほどそういう時間はありません。もちろん色々な人とおしゃべりはしますけど、「あること」を話したいためにそこに至るまでの話をしている間に、話がそれてしまって肝心なことは話さず仕舞いってことはよくあります。もし自分が話したいことを話し切るまで話し続けられたら、どんなところに行き着くのだろう・・・

ジャングルの奥地に行くような冒険とは違いますが、行ったことがないところに行くという意味では、これってかなりのアドベンチャーなのではないでしょうか?ある意味、もっとも身近な「自分」という存在の今までタッチしなかった部分に踏み入れるかもしれないというのは、初めての新鮮な体験になるかもしれません。本音と思っていたことのさらに奥の本音みたいなところにたどり着くかもしれない・・・、意味があると思っていたことがまったくどうでもいいことだったと思うことになるかもしれない・・・、「えっ、そうなのか!!」と思うような新たな地平が拓けるかもしれない・・・。ワクワクしますね。

そして、語ったそのことが「本当に思っていることか」「納得していることか」「頭で考えただけか情熱を伴っているか」など、「自分にとっての意味合い」を確認できるのは、なんと自分だけです!もちろん他人が傍から見た方が、顔色の変化や声のトーンで本気かどうかがわかるなんてこともありますよね。でも、それをフィードバックされたからと言って、自分がそれを受け入れるかどうかを決められるのは、やはり自分だけです。そういう意味では語ることによって自分の意識世界にあるものを「自己確認する」ということが自分語りの一つの大きな意味だと考えています。これは他人に代わりにやってもらうことができません。

自己確認なら自分で考えればいいやとも思えますが、堂々巡りで中途半端になりがちです。目の前に人がいて気持ちよく聴いてくれるという状況があって、言葉を紡いでいく中で自分でも意識できていなかったことが“思わず”口から出てくる。そしてそれに自分でビックリしたり、嬉しくなったり、反感を覚えたり、混乱したり、色々な反応が起こる可能性があります。いつものパターンで考えているだけなら完結していたストーリーが、さらにその先を語ろうとすることで、未知の領域に踏み入ることになります。いじらなければ澄んでいた溜まり水をかき回したことによって一時的に濁るのと同じで、自分語りは「自己確認」に直行するわけではなく、途中のカオス的プロセスを伴う可能性があります。しかしその後で、浮遊物が落ち着くところに落ち着いていく時に、前と同じことを思うか、まったく違うことを思うようになるかは別にして、より強い自覚を伴った自己認識ができるでしょう。

「聴き合う」ことの効果

「聴き合う」は「自分語り」以上に重要な、あるいは「自分語り」を効果的にする上で重要なことだと考えます。

このワークショップは、結果的には参加する人同士が親密感を感じる可能性はとても高いですが、それ自体を目的とはしません。自分の人生を一本の棒に例えると、それだけでは長いとか短いとか認識することができません。でももう一本の違う棒がとなりに来ると、長いとか短いとか太いとか細いとか、相対性の中で自分の人生の位置が見えてくるような気になります。それだけだと、どっちが良い悪い、好き嫌いというような単純比較で終わるかもしれませんが、さらに数本の棒が加わって、棒にも色々あるんだなぁという「人生色々!」なレベルで「聴き合い」ができると、もうどれが良いとか悪いとかではなくて、長いのは長い、短いのは短い、青いのは青い、赤いのは赤いという「それはそれ」という絶対的な位置づけと受け入れのレベルでの認識が生まれる可能性があります。

そのための多様性を確保する上で、このアプリシエートでは最低5名以上での実施をすることにします。

人生の語りにおいては、聴く側の意識に部分的、一時的に「自分の方が上(下)」「自分の方がつらい(楽をしている)」「自分の方がXXX」などと優劣比較が発生するでしょうが、語りの全体性を感受すればするほど、また種類の違う語りに触れれば触れるほど、そのような比較の無意味さが認識されていくことでしょう。いわゆる「オンリーワン」認知ですね。

しかし、これもそれ自体を目的化して意識過剰になったり、あらかじめ「人生色々だよね」という結論にもっていこうとする意識が働くと「ウソ臭く」なる可能性もあります。流れに任せながら、自分の意識の動きに敏感でいる中で、自分として何に真実味を感じるかを確認していくことが、アプリシエートの醍醐味であると思います。

「語る」と「聴く」のマナーについて

アプリシエートはコーチングを受けるというような、自分をサポートすることを目的としてくれている人との1対1のコミュニケーションとは違って、複数の人と対等にマルチ方向で色々な意識が働く環境で「自分語りを聴き合う」ことになります。何を語るかは基本的に自由でありながらも、自制心や他者への配慮が必要とされます。それに関しては、「話し手、聴き手になる時のガイドライン」を参考にしていただきます。